ラッセルの丘で
あと3週間でいったん学校は休みに入る。8月は、1カ月まるまる夏休みなのだ。もちろん、その間もオプションで短期の集中プログラムが用意されていて、がっつり勉強に費やすことも可能だけれど、大半の留学生は9月の新学期スタート前にリフレッシュするためバカンスに出掛けることになる。
 高緯度に位置するイギリスは、春夏は夜9時、10時を回っても夕方並みに明るい一方、秋を迎えるとびっくりするほど日が短くなる。3時半を回るともう暗い、なんていうのも決して大げさな話ではない。
 日照時間が激減する秋になる前に、日差しを存分に堪能するため、イギリス人の多くはバカンスで南を目指す。ユーロスター(いわゆる日本の新幹線のような高速鉄道)でロンドンからパリまで3時間ほど、という手軽さもあり、フランスは人気のバカンス目的地なのだった。
 というわけで、せっかくだから一緒にフランスに行こうかと憧くんとも話していた。初めは他にも誰か誘ったらどうかな、と私は思っていた。日本人の中でも浩美ちゃんや綾乃ちゃん、誠二くんあたりなら、私も親しくしているし、他にスイスから来ているマヌエルとブリジッタ兄妹や、6月の途中から入って来たうちのクラスのダニエル(イタリア人)なんかは、おそらく話に乗ってくるはずだ。
『みんなで行った方が楽しくない?』
『人が多いと面倒。何をするにも意見が割れてイライラするし』
 確か、2週間ほど前のランチの時間だった。やけに不機嫌な顔でそう言われて、あー、これはもう最初から私と二人きりで行く気満々だったんだな、と悟った。観光ついでにホテルで好き放題しまくりたい、というあからさまな下心も見え見えだ。
『わかりやすすぎて助かるわ。清々しいくらい隠さないよね』
『……そりゃどーも』
 憧くんはちょっとばつが悪そうにしてはいたものの、特に言い訳するでもなく、口を尖らせて開き直った。
『いいだろ、たまには。どうせ秋から完全に勉強漬けなんだし』
 12月にあるケンブリッジ英検に向けて、ということだ。確かに、パブでしょっちゅう飲んだくれたりしている暇などなくなるだろうし、夜中に《《とてもひとには言えないこと》》を《《ひとには言えない場所》》でやりまくる、なんていうのもそうそうできっこなくなるだろう。
 とういうわけで、私と憧くんは4泊5日でパリへ旅行に行くことになったのだった。

 この旅行がらみで、実は誠二くんとはちょっとぎくしゃくしていた。
 たまたまある日のTea breakの時間に、いつものように中庭のベンチで憧くんと並んで紅茶を飲みながらパリの旅行ガイドを見ていると、誠二くんがひょっこり現れた。少し前から何か察しているのか、憧くんと私が二人でいるときには近寄ってこなくなっていたから、珍しいな、と思っていたら「Jennifer(Upper-intermediateの担任)が探してるよ」と憧くんを呼びに来たのだった。
 続きはまた今度な、と私にガイドブックを預けて憧くんがその場を去ると、誠二くんは明らかに面食らった様子で突っ立っていた。
『どうかした?』
『……旅行、もしかして憧と二人で行くの?』
『あ、うん』
 ごめんね、誘おうと思ってたんだけど、なんて言い訳するのも変な気がしたし、だからといって、他になんて言うべきなのかもわからなかった。
『優依ちゃん、彼氏いるんでしょ、日本に』
『あ……覚えてたんだね』
『別に待ってなくてもいい、っていうあれ……冗談じゃなかったんだ?』
 どこか傷ついたようにも思える顔を向けられて、途方に暮れそうになる。なんだろう、とてつもなくクズだと言われているようで軽くショックでもあった。
 とはいえ、そういう自分でいいや、と思って好き勝手にふるまうのが楽しくて仕方なかったはずなのに。
 何にも縛られない自由。期間限定の自由奔放さ。うっとりするほど心地いい異国での日々。
『俺が何か言う筋合いじゃないけど、優依ちゃんがまさかそういうコだとは、思ってなかった』
 じっとこちらを見てくる誠二くんの目は、明らかに私を蔑(さげす)んでいた。一瞬怯んだものの、そういうコ、というフレーズにはちょっと苛立ちを覚えもした。
『……ごめんね、ご期待に沿えず』
 わざと明るく言って、にっこりとびきりの笑顔を向けてやった。
『でも、勝手に何か期待されるのって、しんどいものだよ。正直、困るんだ』
『憧のことは、好きなの?』
 なおも追い討ちをかけてくる誠二くんの真面目さと不器用さと不躾さが、その時は恨めしくて仕方がなかった。
『……そんなに簡単じゃないよ』
『彼氏は簡単に裏切るのに?』
 後ろからぐっさりナイフで刺された気分だった。思わず絶句していると、さすがに焦ったように『ごめん……言い過ぎた』と呟いて、誠二くんはそのまま校舎へと戻っていってしまったのだった。
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