ラッセルの丘で
 ひとまず、ラッセルヒルにある不動産屋数件をまわった。急な話であまり贅沢は言っていられないから、と優依の希望はいたってシンプルだった。
 ステュディオタイプ(ワンルーム)で、シャワーがあればOK、家具付き、週当たりの家賃がinclusive(光熱費、水道代込)で100ポンド以内、なるべく徒歩で通学圏内、つまりこのラッセルヒルで、ということだ。
 一軒目では「いい部屋があるよ」となぜかクローゼットの扉部分がすべて鏡になっている妙な部屋へ連れていかれて、思わず笑ってしまった。バスタブが付いていることに優依はかなり心惹かれていたようだが、週あたり20ポンドも予算オーバーしていて、あっさり諦めていた。オレとしては、ちょっと残念だった。あんな大きな鏡があれば、部屋でいろいろするときちょっと興奮するな、なんてよからぬことを考えたからだ。
「いい部屋なのに、残念だったな」とうっかり口にして、当然、優依に睨まれた。えっちなこと考えてるでしょ、ばか、と。
 二軒目ではやけに古い、というかはっきりボロい部屋に連れていかれて、ちょっと面食らった。その上、家賃は週90ポンドもするからぼったくりだな、と呆れていたら、優依がさらりと「売れない作家でも住んでそうなところですね、ほら、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』に出てくる」なんて笑えない冗談を言うものだから、不動産屋がちょっと気まずそうにしていた。
 すでに昼をまわっていたから、ラ・ポルケッタでランチにした。ラッセルヒルにある、安くてすごくおいしいイタリアンレストランで、学校のクラスメイトともよく来る。本格的で、かつボリュームも満点で、ここに来れば必ずおいしいものが食べられる。
 マッシュルームのクリームパスタとマルゲリータピザをシェアしながら午後に備えて腹ごしらえをした。
「なかなか難しいね」
「まあ、まだ二軒しか見てないし、こんなもんだろ?」
 日本での部屋探しだって、よほど運がよくないとすんなり決まりはしない。そもそも日本では実家暮らしだったという優依は、初の一人暮らしが海外、というラッキーなのかアンラッキーなのかよくわからない状況だ。
「午後も付き合うし、なんなら明日以降も。どうせ夏休みだからな」
「ありがとう。すごく助かるけど、私としては、さっさと決めて勉強したいんだよね。学校始まる前に、試験対策、少しは自分でやっときたいの」
 12月にあるケンブリッジ英検に向けて、ということだ。
 オレや誠二のいるUpper-intermediateではFCE(準1級)を受験する生徒向けの対策授業が始まる。優依のいるAdvancedは、CAE(1級)かCPE(特級)どちらを受けるかで、クラスを二つに分けるらしい。
「結局どっちを受けるんだ?」
「CAEにする。さすがに、Proficiencyは私には無理……」
「いや、いけるだろ? 先生にも勧められてなかったっけ?」
「ん-、私、あまり試験度胸はないほうなんだよね」
 へー、そんな繊細だったとは知らなかったな、と内心思ったものの、口には出さないでおいた。
「さてと。デザート食べたら、別な不動産屋さん、行ってみていい?」
「もちろん」
 ここのティラミスはものすごく大きいから、二人で半分こしてエスプレッソを飲んで店を出ようとすると、すでに顔見知りになっている若いイタリア人スタッフ・ニコがいつものように優依にちょっかいをかけてきた。
 今日もかわいいね、とか、ショウとばかりデートしてないで、僕ともデートしてよ、とか、そういう半ば本気も混じった挨拶代わりの冗談だ。
「Now, I'm trying to find a flat. Do you have any recommendation? I would go on a date with you if you have」
(今ね、フラットを探してるんだけど、もしいいところを紹介してくれたら、デートしてもいいよ)
 優依も慣れたもので、あっさりそんなふうに冗談で返している。というか、イタリア人とデートなんかしたら、あっという間にとんでもないことをされるぞ、と自分のことは棚に上げて優依を横目で睨んでおいた。
「Oh, a flat? Are you gonna live by yourself?」
(え、フラット? 一人暮らしするの?)
「Yeah, I'll have to leave where I stay now, and it can't be helped」
(ホームステイ先、追い出されちゃうの。それで、しかたなくね)
「Come on, you should have said so first! Why don't you come to my place and share it with me?」
(なんだ、早く言えばいいのに。僕とルームシェアすればいいじゃないか)
 こいつ、本気で食いついてきたな、とさすがに呆れてオレは割って入った。
「Stop it. That's enough. Don't get a stupid idea」
(おい、いい加減にしろよ。馬鹿なこと考えてんじゃねーぞ)
「Just joking. Calm down……you're too serious, Sho」
(冗談だって。そんな怒るなよ、ショウは真面目だな)
 肩を竦めたニコに、優依はにっこり笑ってこう言った。
「He's not serious at all, actually」
(実は、全然真面目じゃないくせにね)
「……余計なこと言ってんじゃねーぞ、優依」
 思わず日本語になってしまうと、ニコはやけに楽しそうに笑ってオレの肩をバシバシ叩いてきた。
「アイシテル?」
「は?」
「アイシテル、ユイ?」
 オレはため息を吐いた。
「……誰だよ、変な日本語教えたの」
「さあね。私じゃないよ?」
「ここに出入りしてる誰かだな」
「アイシテル、ユイ?」
「しつこいな」
 いつの間にかがっちり肩を掴まれ、言うまで離さない、という構えだ。しかも優依の表情が微妙になりかけているから、とっさにオレはニコをふりはらって、優依の手を引っ張った。こっちにぐいっと引き寄せて肩を抱き、唇にちゅっとキスして見せた。
「愛してるよ。これでいいか?」
 とたんに、ニコ以下、近くにいたスタッフ連中が口笛なんか吹きながら大騒ぎし始めた。他のテーブルにいる客までこっちをちらちら見ている。学校の知り合いがいなかったのだけが、不幸中の幸いか。
 見れば、優依は完全に固まっている。しかもみるみるうちにその顔が赤くなっていく。
 どう考えても収拾がつかないから、そのまま優依の手を引いてオレは店を出た。背後で大騒ぎしたままの賑やかなイタリア人連中を放ったままで。
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