追放聖女の帰還
アズレイトは、こと切れたサーシャの身体を横向きに抱き直す。
「サーシャさま」
返事などあるわけないのに、アズレイトはそっと愛おしい人の名を呼ぶ。何度も、何度も。
数え切れないほどサーシャの名を呼び続けたアズレイトは、堪えきれないといった感じでその身体を掻き抱いた。
夜空には相変わらず大輪の花が咲いては、散っていく。人一人の死などなかったかのように。
「あなたは、酷い人だ。言い逃げするなんて……ったく、最後の最後であんなこと言いますか?人が必死に隠してたのをあのタイミングで暴露しますか?どうしてくれるんですか。わたくしはただのアズレイトになってしまいましたよ?サーシャさま……聞いておられますか?サーシャさま……!サーシャさま……っ……!!」
アズレイトは震える声で、サーシャを詰る。けれども、腕の中にいる彼女はむずがることも、言い返してもくれない。
ただただ幸せな夢を見ているように、目を閉じたまま微笑むだけだった。
*
女王が統治するライボスア国において、王子という存在は厄介でしかない存在だった。
万が一、妻を他国から娶れば異国の女性が統治者となるし、異国に婿として迎え入れられてもアズレイトが異国の王となる可能性がある。
だからといって国内の女性を妻にして娘が生まれた場合、内乱を招くこともある。実際、過去にそういう争いがあった。
だからライボスア国の王子は、外交の駒として使えない。一生、独身を貫き、女王の陰として生きていくことしかできない。
馬鹿らしい人生。
意味の無い人生。
存在価値など皆無。
邪魔なだけの存在。
アズレイトは齢10にして、自分の人生に見切りを付けていた。
そしてその頃から、自分自身のことを「種馬」と呼ぶようにした。人間以外の存在なのだと自虐の意味もあったが、他人から受ける傷を少しでも浅くするための盾でもあった。
けれども、どうしたって心は傷つけられる。官僚の何気ない言葉に。メイド達の気遣う仕草に。
父親は自ら種馬となることを選んだ。でも、アズレイトは選んだ訳ではない。
だからといって、どうすることもできない。自分が国王になる野心など持ち合わせていないし、仮に全てを捨ててどこか遠くに逃げたとて、王族であるこの血は、望まぬ争いを招く火種になる。そのため迂闊な行動は取れなかった。
息が詰まる。
心が壊死していく。
明日なんてこなければいい。
誰か、誰でもいい、自分のことが必要だと言って欲しい。
孤独で潰されそうになっていたアズレイトは、夜な夜な悪夢に襲われていた。何年も、ずっとずっと。
そんなある日、アズレイトは自分の母親であり女王でもあるエカテリーナに呼ばれ、強く命じられた。
「西の森に追放した聖女を何としてもここに連れて来い」と。
アズレイトは魔王を封じた結界が弱まっていることも、瘴気が溢れ出していることもその時に知らされた。
国の危機ですら、どうにもならない状態になるまで教えて貰えない自分の存在に笑いたくなった。
王子とは名ばかりで、ここまで軽んじられていたことに打ちのめされた。酷く心が傷付いた。
でも、アズレイトは僅かな供を連れて、西の森に向かった。半ばヤケクソになって。
そこで出会った聖女は、アズレイトの予想を遥かに超える風変わりな少女だった。
西の森で草むらの陰から初めてサーシャを見た瞬間、アズレイトは目を疑った。
国を救う唯一無二の高潔な存在が、じゃがいもを片腕に抱えながら、えっちらおっちら歩いていたから。
(いやいやいやいや、この由々しき事態に聖女は何をそんな呑気に生活しているんだ?!)
愕然としたアズレイドは、気づけばサーシャの腕を乱暴に掴んでいた。
強引にこちらを振り向かせれば、まるでガラス玉のような水色の瞳があまりに綺麗で、目を奪われてしまった。
予想外の出来事だったがそれは序章に過ぎず、それからアズレイトは何度も予想外の出来事に遭遇する。
例えば、自分の命を取引に持ち出せば、あっさり要求を呑んだりとか。
例えば、種馬トークを披露する度に赤面されたりとか。
例えば、淑女として扱えば「子供扱いするな」と憤慨したりとか。
サーシャと出会ってから、アズレイトはペースを乱されてばかりだった。心までかき乱される。
でも嫌じゃなかった。それどころか、とても嬉しくて、楽しくて──アズレイトはサーシャの傍から片時も離れたくなかった。
自分だけを見て欲しい欲求は、次第に誰にも取られたくないという独占欲に変わった。それは、誰かに必要とされたいという気持ちを凌駕するものだった。
サーシャにとってアズレイトは、必要な存在ではないかもしれない。けれどアズレイトにとって、サーシャは命より大切な存在になっていた。
だからアズレイトは、母親に向かって初めてワガママを口にした。「サーシャを妻にしたい」と。
母親でありこの国の女王は、息子の願いに最初は難色を示した。だが根負けして、長い間守り続けてきた掟を破り、アズレイトの望みを叶えることにした。
ただあの時エカテリーナは、こう言った。「例えそれが叶ったとしても、近い将来きっと後悔する」と。
今にして思えばエカテリーナは、サーシャが余命いくばくもないことを知っていたのだろう。
でもアズレイトは、これっぽちも後悔なんてしていない。なぜなら──
「王子、馬車の用意が整いました。花火のお礼にと村長が駿馬を譲ってくださいました。既に馬車に繋いでおりますので、いつでも出立できます」
サーシャを抱いたまま微動だにしないアズレイトの傍には、騎士たちが集まっていた。彼らは膝をつき、アズレイトの命令を待っている。
「……そうか。では、行くとするか」
少しの間の後、アズレイトは騎士に顔を向け強く頷いた。そして、サーシャを抱いたまま立ち上がる。
その顔には悲壮感は無い。何かを覚悟した凛々しい表情だった。
サーシャは実はまだ死んではいない。仮死状態にある。宮廷魔導士と宮廷薬剤師が手を組んで作った秘薬を、アズレイトがこっそり飲ませたから。
ただ、この秘薬を飲んで息を吹き返す確率は極めて低い。もちろんアズレイトは、知っている。知った上でサーシャに薬を飲ませたのだ。
何もしなければ、サーシャはどのみち死んでしまうのだから。
「サーシャさま、お許しください。ちょっとだけ寄り道させていただきます。けれど約束は必ず守ります。西の森に帰りましょう……もちろん、わたくしもご一緒に」
アズレイトは、しっかりとした足取りで馬車に向かいながらサーシャに囁いた。
国を救った聖女は、孤独な王子の心までは救うことができなかった。
けれど孤独な王子は、聖女の命を救うべく王都に向かう。如何なる病も怪我もたちまち癒すと言う不老不死の宝玉を手に入れる為に。
それは──玉座の真下で眠る魔王の体内にある。
「サーシャさま」
返事などあるわけないのに、アズレイトはそっと愛おしい人の名を呼ぶ。何度も、何度も。
数え切れないほどサーシャの名を呼び続けたアズレイトは、堪えきれないといった感じでその身体を掻き抱いた。
夜空には相変わらず大輪の花が咲いては、散っていく。人一人の死などなかったかのように。
「あなたは、酷い人だ。言い逃げするなんて……ったく、最後の最後であんなこと言いますか?人が必死に隠してたのをあのタイミングで暴露しますか?どうしてくれるんですか。わたくしはただのアズレイトになってしまいましたよ?サーシャさま……聞いておられますか?サーシャさま……!サーシャさま……っ……!!」
アズレイトは震える声で、サーシャを詰る。けれども、腕の中にいる彼女はむずがることも、言い返してもくれない。
ただただ幸せな夢を見ているように、目を閉じたまま微笑むだけだった。
*
女王が統治するライボスア国において、王子という存在は厄介でしかない存在だった。
万が一、妻を他国から娶れば異国の女性が統治者となるし、異国に婿として迎え入れられてもアズレイトが異国の王となる可能性がある。
だからといって国内の女性を妻にして娘が生まれた場合、内乱を招くこともある。実際、過去にそういう争いがあった。
だからライボスア国の王子は、外交の駒として使えない。一生、独身を貫き、女王の陰として生きていくことしかできない。
馬鹿らしい人生。
意味の無い人生。
存在価値など皆無。
邪魔なだけの存在。
アズレイトは齢10にして、自分の人生に見切りを付けていた。
そしてその頃から、自分自身のことを「種馬」と呼ぶようにした。人間以外の存在なのだと自虐の意味もあったが、他人から受ける傷を少しでも浅くするための盾でもあった。
けれども、どうしたって心は傷つけられる。官僚の何気ない言葉に。メイド達の気遣う仕草に。
父親は自ら種馬となることを選んだ。でも、アズレイトは選んだ訳ではない。
だからといって、どうすることもできない。自分が国王になる野心など持ち合わせていないし、仮に全てを捨ててどこか遠くに逃げたとて、王族であるこの血は、望まぬ争いを招く火種になる。そのため迂闊な行動は取れなかった。
息が詰まる。
心が壊死していく。
明日なんてこなければいい。
誰か、誰でもいい、自分のことが必要だと言って欲しい。
孤独で潰されそうになっていたアズレイトは、夜な夜な悪夢に襲われていた。何年も、ずっとずっと。
そんなある日、アズレイトは自分の母親であり女王でもあるエカテリーナに呼ばれ、強く命じられた。
「西の森に追放した聖女を何としてもここに連れて来い」と。
アズレイトは魔王を封じた結界が弱まっていることも、瘴気が溢れ出していることもその時に知らされた。
国の危機ですら、どうにもならない状態になるまで教えて貰えない自分の存在に笑いたくなった。
王子とは名ばかりで、ここまで軽んじられていたことに打ちのめされた。酷く心が傷付いた。
でも、アズレイトは僅かな供を連れて、西の森に向かった。半ばヤケクソになって。
そこで出会った聖女は、アズレイトの予想を遥かに超える風変わりな少女だった。
西の森で草むらの陰から初めてサーシャを見た瞬間、アズレイトは目を疑った。
国を救う唯一無二の高潔な存在が、じゃがいもを片腕に抱えながら、えっちらおっちら歩いていたから。
(いやいやいやいや、この由々しき事態に聖女は何をそんな呑気に生活しているんだ?!)
愕然としたアズレイドは、気づけばサーシャの腕を乱暴に掴んでいた。
強引にこちらを振り向かせれば、まるでガラス玉のような水色の瞳があまりに綺麗で、目を奪われてしまった。
予想外の出来事だったがそれは序章に過ぎず、それからアズレイトは何度も予想外の出来事に遭遇する。
例えば、自分の命を取引に持ち出せば、あっさり要求を呑んだりとか。
例えば、種馬トークを披露する度に赤面されたりとか。
例えば、淑女として扱えば「子供扱いするな」と憤慨したりとか。
サーシャと出会ってから、アズレイトはペースを乱されてばかりだった。心までかき乱される。
でも嫌じゃなかった。それどころか、とても嬉しくて、楽しくて──アズレイトはサーシャの傍から片時も離れたくなかった。
自分だけを見て欲しい欲求は、次第に誰にも取られたくないという独占欲に変わった。それは、誰かに必要とされたいという気持ちを凌駕するものだった。
サーシャにとってアズレイトは、必要な存在ではないかもしれない。けれどアズレイトにとって、サーシャは命より大切な存在になっていた。
だからアズレイトは、母親に向かって初めてワガママを口にした。「サーシャを妻にしたい」と。
母親でありこの国の女王は、息子の願いに最初は難色を示した。だが根負けして、長い間守り続けてきた掟を破り、アズレイトの望みを叶えることにした。
ただあの時エカテリーナは、こう言った。「例えそれが叶ったとしても、近い将来きっと後悔する」と。
今にして思えばエカテリーナは、サーシャが余命いくばくもないことを知っていたのだろう。
でもアズレイトは、これっぽちも後悔なんてしていない。なぜなら──
「王子、馬車の用意が整いました。花火のお礼にと村長が駿馬を譲ってくださいました。既に馬車に繋いでおりますので、いつでも出立できます」
サーシャを抱いたまま微動だにしないアズレイトの傍には、騎士たちが集まっていた。彼らは膝をつき、アズレイトの命令を待っている。
「……そうか。では、行くとするか」
少しの間の後、アズレイトは騎士に顔を向け強く頷いた。そして、サーシャを抱いたまま立ち上がる。
その顔には悲壮感は無い。何かを覚悟した凛々しい表情だった。
サーシャは実はまだ死んではいない。仮死状態にある。宮廷魔導士と宮廷薬剤師が手を組んで作った秘薬を、アズレイトがこっそり飲ませたから。
ただ、この秘薬を飲んで息を吹き返す確率は極めて低い。もちろんアズレイトは、知っている。知った上でサーシャに薬を飲ませたのだ。
何もしなければ、サーシャはどのみち死んでしまうのだから。
「サーシャさま、お許しください。ちょっとだけ寄り道させていただきます。けれど約束は必ず守ります。西の森に帰りましょう……もちろん、わたくしもご一緒に」
アズレイトは、しっかりとした足取りで馬車に向かいながらサーシャに囁いた。
国を救った聖女は、孤独な王子の心までは救うことができなかった。
けれど孤独な王子は、聖女の命を救うべく王都に向かう。如何なる病も怪我もたちまち癒すと言う不老不死の宝玉を手に入れる為に。
それは──玉座の真下で眠る魔王の体内にある。