追放聖女の帰還
寝起きが悪い聖女と寝不足の王子
サーシャのおかげで滅亡の危機を逃れたライボスア国は、そんなことがなかったかのように平和な日々が続いている。
しかし王城の玉座の真下──魔界では、様々な出来事があった。
とうに息絶えたはずの初代聖女が復活するという小さな奇跡があったり、復活した聖女が、後に勇者と呼ばれることになるアズレイトに「可愛い子孫を泣かしたらぶっ殺す」と脅す場面もあった。
魔獣がうごめく漆黒の魔界で、アズレイトたちは初代聖女しか知らない真実を目の当たりにした。
魔界の最深部にいる魔王は、人間界を蹂躙する脅威ではなかったのだ。
魔王は人間に憧れ、人間と魔族の架け橋になりたいと願っていた。しかし魔族と人間は、絶対的な価値観が異なる。どれだけ共存を願っても、殺戮を善とする魔族とは相容れない。
とはいえ人間に惹かれる存在を殺すことは、聖女にはできなかった。葛藤の末、聖女は魔王を封印することを選んだ。
しかし人間を見下す上位魔族は、それを良しとしなかった。長い年月をかけて、魔王の封印を力づくで解こうとしたのだ。無理矢理封印を解かれた魔王は、自我を失ってしまっていた。
憎しみと悲しみに支配された魔王は、魔族と人間の区別すらできなかった。手あたり次第に攻撃する魔王の力はすさまじく、アズレイトは深手を負い、仲間達も傷ついた。幾度も絶望を味わった。
それでもアズレイトは死闘の果てに、魔王を打ち倒した。
魔王の体内に埋め込まれている不老不死の宝玉に触れた瞬間、アズレイトは瘴気の正体が魔王の後悔と懺悔の涙であることを知った。
『もう泣かないで。大丈夫、私が明るい場所に導いてあげる。さぁ、一緒に行きましょう』
自我を失い、涙も枯れ果てた魔王に残ったのは、人間が持つ<愛>への渇望だった。愛を手に入れられなかった憐れな魔王の魂は、初代聖女の慈愛によって天へと還っていった。
『それじゃあ、約束忘れないでね。坊や』
アズレイトに釘を刺した初代聖女の魂の欠片が消えたあと、深い眠りについている今代の聖女の手首から紋章が消え、竪琴が砂のように溶けていき、アズレイト達が人間界に帰還した。
ライボスア国は、本当の意味で安寧の日々を手に入れることができた。けれど今代の聖女は未だに目覚める気配すらなかった。
不老不死の宝玉を加工して作った秘薬を飲んでも。幾度の季節が過ぎ去っても──
*
「──サーシャ、起きなさい」
心地よい温もりの中、泣きたくなるほど懐かしい声がサーシャの耳朶に響く。その声を聞くことなど、もう二度となかったずなのに。
嬉しい。だからこそ、哀しい。そんな矛盾する感情が暴れて、サーシャの胸に締め付けられるような痛みが走る。
(おかあさん、聞いて。あのね、わたしね……)
幼い子供に戻ったように、サーシャがこれまでのことを伝えようとする。しかし声の主は、それを遮るように再び言葉を紡いだ。
「いつまで寝てるの?サーシャは相変わらずおねぼうさんね。もうお姉さんになったんだから、ちゃんと一人で起きれるようにならないと」
苦笑混じりのその声と同時に、サーシャの額に暖かい何かが触れた。少し遅れて、それが誰かの手だと気づく。
ただ記憶の中にある母親の手はもっと柔らかかったはずなのに、自分に触れるその手は随分と大きくてごつごつとしている。なんで?
この手の持ち主は一体誰なのかと、サーシャは記憶をたどる。そうすれば心の芯が、ポカポカと温かくなる。
「サーシャ」
再び母から名を呼ばれる。ちょっと苛立っているように感じたのは気のせいだろう。それより、この手の持ち主は──
そこまでサーシャが思考を巡らせた瞬間、不機嫌さを凝縮した低い声がサーシャの耳を刺した。
「い、い、加、減、起、き、な、さ、い」
一文字一文字区切りながら言う口調は、母の苛立ちがマックスになった時だ。
ザッと青ざめたサーシャは「ごめんなさい!」と叫びながらパチリと目を開けた。
「……あ、れ?」
視界に広がる景色は、まったく見覚えがない。サーシャは、ポカンと口を開けたまま固まってしまう。
(ここ、どこ?)
真っ白な部屋のベッドの上で、サーシャは一生懸命に記憶を手繰ってみる。時間にして数秒後、サーシャは絶句した。
そりゃあ、そうだ。だってサーシャの最後の記憶は、自分が死んだところで終わっているのだから。続きがあるなんて、予想外にも程がある。
受け入れがたい現実に、サーシャはもう一度目を瞑る。完璧な現実逃避だ。けれど、それを引き留める誰かがいた。
「やっと目を覚ましてくれたのに、すぐに寝るなんて。それはあんまりではありませんか?せめて、おはようくらいは言わせてください」
不機嫌と言うには甘く、睦言と言うには辛い。忘れることも、間違うこともできない声に、サーシャはぎょっとして目を開けた。ここに人がいるなんて、ぜんぜん気づかなかった。
慌てて仰向けになったまま視線を左右に動かせば、ベッドのすぐ脇の椅子に腰かける一人の青年がいた。
「おはようございます。サーシャさま」
にこりと笑う青年をサーシャは知っているはずだが、少々自信がない。
そう、少々。だからサーシャは挨拶を返すことも忘れて、おずおずと青年に問いかけた。
「あのぉ……もしかして、あなたはアズですか?」
半信半疑でサーシャが問いかけると、青年は美しい顔を歪めた。
「生涯を共にと誓った相手に対して、それはちょっと酷いんじゃないですか?」
質問を質問で返すアズレイトは口調は丁寧だが、全身から怒りのオーラを放っている。
そんな彼を直視できるほどサーシャはまだ元気がではないので、そっと目を逸らすことにした。
しかし王城の玉座の真下──魔界では、様々な出来事があった。
とうに息絶えたはずの初代聖女が復活するという小さな奇跡があったり、復活した聖女が、後に勇者と呼ばれることになるアズレイトに「可愛い子孫を泣かしたらぶっ殺す」と脅す場面もあった。
魔獣がうごめく漆黒の魔界で、アズレイトたちは初代聖女しか知らない真実を目の当たりにした。
魔界の最深部にいる魔王は、人間界を蹂躙する脅威ではなかったのだ。
魔王は人間に憧れ、人間と魔族の架け橋になりたいと願っていた。しかし魔族と人間は、絶対的な価値観が異なる。どれだけ共存を願っても、殺戮を善とする魔族とは相容れない。
とはいえ人間に惹かれる存在を殺すことは、聖女にはできなかった。葛藤の末、聖女は魔王を封印することを選んだ。
しかし人間を見下す上位魔族は、それを良しとしなかった。長い年月をかけて、魔王の封印を力づくで解こうとしたのだ。無理矢理封印を解かれた魔王は、自我を失ってしまっていた。
憎しみと悲しみに支配された魔王は、魔族と人間の区別すらできなかった。手あたり次第に攻撃する魔王の力はすさまじく、アズレイトは深手を負い、仲間達も傷ついた。幾度も絶望を味わった。
それでもアズレイトは死闘の果てに、魔王を打ち倒した。
魔王の体内に埋め込まれている不老不死の宝玉に触れた瞬間、アズレイトは瘴気の正体が魔王の後悔と懺悔の涙であることを知った。
『もう泣かないで。大丈夫、私が明るい場所に導いてあげる。さぁ、一緒に行きましょう』
自我を失い、涙も枯れ果てた魔王に残ったのは、人間が持つ<愛>への渇望だった。愛を手に入れられなかった憐れな魔王の魂は、初代聖女の慈愛によって天へと還っていった。
『それじゃあ、約束忘れないでね。坊や』
アズレイトに釘を刺した初代聖女の魂の欠片が消えたあと、深い眠りについている今代の聖女の手首から紋章が消え、竪琴が砂のように溶けていき、アズレイト達が人間界に帰還した。
ライボスア国は、本当の意味で安寧の日々を手に入れることができた。けれど今代の聖女は未だに目覚める気配すらなかった。
不老不死の宝玉を加工して作った秘薬を飲んでも。幾度の季節が過ぎ去っても──
*
「──サーシャ、起きなさい」
心地よい温もりの中、泣きたくなるほど懐かしい声がサーシャの耳朶に響く。その声を聞くことなど、もう二度となかったずなのに。
嬉しい。だからこそ、哀しい。そんな矛盾する感情が暴れて、サーシャの胸に締め付けられるような痛みが走る。
(おかあさん、聞いて。あのね、わたしね……)
幼い子供に戻ったように、サーシャがこれまでのことを伝えようとする。しかし声の主は、それを遮るように再び言葉を紡いだ。
「いつまで寝てるの?サーシャは相変わらずおねぼうさんね。もうお姉さんになったんだから、ちゃんと一人で起きれるようにならないと」
苦笑混じりのその声と同時に、サーシャの額に暖かい何かが触れた。少し遅れて、それが誰かの手だと気づく。
ただ記憶の中にある母親の手はもっと柔らかかったはずなのに、自分に触れるその手は随分と大きくてごつごつとしている。なんで?
この手の持ち主は一体誰なのかと、サーシャは記憶をたどる。そうすれば心の芯が、ポカポカと温かくなる。
「サーシャ」
再び母から名を呼ばれる。ちょっと苛立っているように感じたのは気のせいだろう。それより、この手の持ち主は──
そこまでサーシャが思考を巡らせた瞬間、不機嫌さを凝縮した低い声がサーシャの耳を刺した。
「い、い、加、減、起、き、な、さ、い」
一文字一文字区切りながら言う口調は、母の苛立ちがマックスになった時だ。
ザッと青ざめたサーシャは「ごめんなさい!」と叫びながらパチリと目を開けた。
「……あ、れ?」
視界に広がる景色は、まったく見覚えがない。サーシャは、ポカンと口を開けたまま固まってしまう。
(ここ、どこ?)
真っ白な部屋のベッドの上で、サーシャは一生懸命に記憶を手繰ってみる。時間にして数秒後、サーシャは絶句した。
そりゃあ、そうだ。だってサーシャの最後の記憶は、自分が死んだところで終わっているのだから。続きがあるなんて、予想外にも程がある。
受け入れがたい現実に、サーシャはもう一度目を瞑る。完璧な現実逃避だ。けれど、それを引き留める誰かがいた。
「やっと目を覚ましてくれたのに、すぐに寝るなんて。それはあんまりではありませんか?せめて、おはようくらいは言わせてください」
不機嫌と言うには甘く、睦言と言うには辛い。忘れることも、間違うこともできない声に、サーシャはぎょっとして目を開けた。ここに人がいるなんて、ぜんぜん気づかなかった。
慌てて仰向けになったまま視線を左右に動かせば、ベッドのすぐ脇の椅子に腰かける一人の青年がいた。
「おはようございます。サーシャさま」
にこりと笑う青年をサーシャは知っているはずだが、少々自信がない。
そう、少々。だからサーシャは挨拶を返すことも忘れて、おずおずと青年に問いかけた。
「あのぉ……もしかして、あなたはアズですか?」
半信半疑でサーシャが問いかけると、青年は美しい顔を歪めた。
「生涯を共にと誓った相手に対して、それはちょっと酷いんじゃないですか?」
質問を質問で返すアズレイトは口調は丁寧だが、全身から怒りのオーラを放っている。
そんな彼を直視できるほどサーシャはまだ元気がではないので、そっと目を逸らすことにした。