追放聖女の帰還
「……嘘でしょ?」
ついさっき寝起きの自分を質問攻めにして、弱気な発言をして、気持ちを確かめ合ったというのに。
このタイミングで寝るとは、一体どういうことなのだろうか。サーシャはアズレイトの全てがわからなくなってしまった。
呆れとか怒りとかそんな感情を飛び越えて、サーシャはアズレイトにのしかかられた状態で途方に暮れてしまう。
「こやつめ、やっと寝たか」
扉の前にいたエカテリーナは腕を組みながら、つかつかとベッドに歩み寄る。そして慣れた手つきで、シーツを剥ぎ取ると、アズレイトとサーシャをふわりと包み込んだ。
「サーシャ、腹は減ってはおらぬか?」
「……いいえ。全然」
「そうか。なら、もう少しこのまま寝ておれ。次に目覚めた時には、消化が良く栄養のあるものを運ばせよう」
「え?あの……このままって……」
異性と同じベッドで寝るなど、サーシャにとってはかなりハードルが高く、易々と頷けるわけがない。
しかしエカテリーナは、サーシャの動揺に気づいているはずなのに華麗に無視をする。
「アズは、ずっと眠ることができなかったのじゃ。強い睡眠薬を盛っても、気合で目を閉じることはせぬ。背後から殴って気絶させようにも、無駄に鍛えておるせいで一撃も喰らわせることができず、皆途方にくれておったのじゃ」
「……うわぁー」
「とはいえ、ずっと寝ずにいることなど不可能だからな。さすがに限界が来て気を失うことはあれど、目覚めれば食事もろくに取らずにふらつきながらここへ来る。いっそベッドをもう一つ用意しようかと、ついさっきまで医師と話をしておったのじゃ。手間が省けて良かった、良かった」
安堵の笑みを浮かべながらアズレイトの髪を撫でるエカテリーナの仕草は、サーシャの母親によく似ていた。
サーシャはその光景を、ぼんやりと眺める。そうすればエカテリーナの手は、今度はサーシャの目元へと移動した。
「ベッドが狭いのは詫びよう。だがそなたが傍にいなければ、アズはすぐ目を覚ます。この歳で息子を失うのはちとキツイので、悪いがアズに付き合ってくれ」
断りにくい提案をするエカテリーナに、サーシャは狡いと詰りたい。
でも目を覆う手は温かく、サーシャだってアズレイトを失いたくないので、ここは大人になってあげることにした。
「陛下のご命令とあれば、お引き受けします」
「そうか、そうか。サーシャは話が早くて助かる。官僚どもも、これくらい聞き分けの良い奴らであればどんなに楽なことか……まったく」
急に愚痴り出したエカテリーナに、サーシャは賢くも無言を貫いた。
「さ、無駄話はこれくらいにして、おぬしも寝ろ。ああ、安心しろサーシャ。同じベッドで眠ることになっても、さすがにアズとておぬしを抱くことはせぬだろう……多分。うん、おそらく。そうあって欲しいがとわらわは祈っておる」
安心できるどころか、むしろ不安になったサーシャに、エカテリーナは「じゃあな」と言い捨てて部屋を出て行ってしまった。
それからすぐ──清潔に整えられた王宮の処置室では、穏やかな二つの寝息が重なった。
*
廊下に出たエカテリーナは、振り返らずに政務室へ向かう。しかし、角を曲がった途端に足をピタリと止めた。
「こんなところ泣かずとも、孫娘の前で泣けばよいのに」
苦笑するエカテリーナから声をかけられたローブ姿の老人は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を隠すためにフードを深くかぶった。
「そんなこと……できませぬ。わたくしは、孫娘に合わせる顔がございません」
「もう何度も顔を合わせておるというのに、何を言っておる」
呆れ顔になるエカテリーナに、老人は恨みがましい目を向ける。
「あれは緊急事態でしたので……それに顔を合わせたのはサーシャ殿の祖父ではなく、宮廷魔導士長のロガーでございます」
「ああ、そうじゃったな」
屁理屈を言う老人ことロガーは、サーシャの祖母エリアの夫だ。
西の森に追放された聖女は、ずっと村人に扮した王宮騎士や魔術師によって守られてきた。
ロガーもまた若かり頃、木こりに扮して西の森の守護にあたっていた。そこでエリアと出会い、恋に落ち、二人は結ばれた。
しかし二人は、夫婦にはなれなかった。ロガーはエリアから一方的な別れを告げられたのだ。
エリアは、ロガーが王宮魔術師だと気づいていたのだろう。己の人生が薄命だと悟っていたエリアは、ロガーが築き上げてきた地位と名誉を捨ててほしくなかったのだ。
互いを想えば想うほどすれ違ってしまった二人は、結局、その後会うことはできなかった。
そうして長い年月が過ぎ、孫娘と再会できたロガーは涙を堪えることができなかった。喜びと、悲しさで。
しかし再び目を開けたサーシャは、世界を救う聖女ではなく、ただの孫娘となった。
新たな人生を歩み始めた孫娘に、ロガーは真実を伝えるつもりはない。けれど──
「ひ孫には、いい爺ちゃんになりたいから、長生きせんといかんですな」
くぐもった声で誓いを立てるロガーに、エカテリーナは声をあげて笑う。
「そうじゃな。そう遠くない未来、ひ孫を抱ける日が来るだろう。なにせ今二人は、同じベッドを使ているしな。明日にはひ孫懐妊の報せがくるかもしれぬ」
軽い冗談のつもりだったが、ロガーはギョッと目を見開いた。
「いかん!それは困りますぞ、陛下!!」
「どうしてじゃ?おぬしだって式も挙げる前にエリア殿を孕ませたというのに」
手厳しいエカテリーナの指摘に、ロガーは「そうではなく!」と反論する。
「そんな早くては、わたくしの心の準備ができないではありませんか!」
「ああ、そっちか」
「それ以外、何があるのです!?」
ロガーから詰め寄られたエカテリーナは、額に手を当て肩を震わせる。
「さすがサーシャの祖父じゃ。一本取られたわ」
女王から最高の褒め言葉をもらえたというのに、ロガーはそれどころじゃない。まだ見ぬひ孫との対面をどうすればいいのか頭を悩ませている。
「はじめまして、ひい爺ちゃんでちゅ……いや、もっと親しみがあるほうがいいか。じぃじ?おじじ?うーん、なかなか難しい……」
「あんまり悩みすぎるな、ロガー。会ってみれば自然と言葉が出るはずじゃ。それよりも、ひ孫との時間を作るためにやらなければならないことが山積みではないのか?」
宮廷魔導士長のロガーは国中の魔導士を束ねる存在であり、国の官僚でもある。
若手育成やら、政務やら、新規魔法の開発やら──高齢の彼には仕事が抱えきれない程あるのだ。
「そうですな。こうしちゃいられません!わたくしはこれで失礼させていただきます」
シャンと背筋を伸ばしてエカテリーナに礼を執ったロガーは、スタタタッと早足で自分の政務室へと駆け込んだ。
一人残されたエカテリーナは呆気にとられてしばらくポカンとしていたが、すぐに腹を抱えて笑い出す。
窓の外は、秋の日差しがキラキラと輝いている。赤く染まる木々の葉を見て、エカテリーナは目を細めた。
「……そうか。もう秋になっていたのじゃな」
久しぶりに季節の移ろいを感じたエカテリーナは、ようやっと自分の心の時計が動き出したことを実感した。
ついさっき寝起きの自分を質問攻めにして、弱気な発言をして、気持ちを確かめ合ったというのに。
このタイミングで寝るとは、一体どういうことなのだろうか。サーシャはアズレイトの全てがわからなくなってしまった。
呆れとか怒りとかそんな感情を飛び越えて、サーシャはアズレイトにのしかかられた状態で途方に暮れてしまう。
「こやつめ、やっと寝たか」
扉の前にいたエカテリーナは腕を組みながら、つかつかとベッドに歩み寄る。そして慣れた手つきで、シーツを剥ぎ取ると、アズレイトとサーシャをふわりと包み込んだ。
「サーシャ、腹は減ってはおらぬか?」
「……いいえ。全然」
「そうか。なら、もう少しこのまま寝ておれ。次に目覚めた時には、消化が良く栄養のあるものを運ばせよう」
「え?あの……このままって……」
異性と同じベッドで寝るなど、サーシャにとってはかなりハードルが高く、易々と頷けるわけがない。
しかしエカテリーナは、サーシャの動揺に気づいているはずなのに華麗に無視をする。
「アズは、ずっと眠ることができなかったのじゃ。強い睡眠薬を盛っても、気合で目を閉じることはせぬ。背後から殴って気絶させようにも、無駄に鍛えておるせいで一撃も喰らわせることができず、皆途方にくれておったのじゃ」
「……うわぁー」
「とはいえ、ずっと寝ずにいることなど不可能だからな。さすがに限界が来て気を失うことはあれど、目覚めれば食事もろくに取らずにふらつきながらここへ来る。いっそベッドをもう一つ用意しようかと、ついさっきまで医師と話をしておったのじゃ。手間が省けて良かった、良かった」
安堵の笑みを浮かべながらアズレイトの髪を撫でるエカテリーナの仕草は、サーシャの母親によく似ていた。
サーシャはその光景を、ぼんやりと眺める。そうすればエカテリーナの手は、今度はサーシャの目元へと移動した。
「ベッドが狭いのは詫びよう。だがそなたが傍にいなければ、アズはすぐ目を覚ます。この歳で息子を失うのはちとキツイので、悪いがアズに付き合ってくれ」
断りにくい提案をするエカテリーナに、サーシャは狡いと詰りたい。
でも目を覆う手は温かく、サーシャだってアズレイトを失いたくないので、ここは大人になってあげることにした。
「陛下のご命令とあれば、お引き受けします」
「そうか、そうか。サーシャは話が早くて助かる。官僚どもも、これくらい聞き分けの良い奴らであればどんなに楽なことか……まったく」
急に愚痴り出したエカテリーナに、サーシャは賢くも無言を貫いた。
「さ、無駄話はこれくらいにして、おぬしも寝ろ。ああ、安心しろサーシャ。同じベッドで眠ることになっても、さすがにアズとておぬしを抱くことはせぬだろう……多分。うん、おそらく。そうあって欲しいがとわらわは祈っておる」
安心できるどころか、むしろ不安になったサーシャに、エカテリーナは「じゃあな」と言い捨てて部屋を出て行ってしまった。
それからすぐ──清潔に整えられた王宮の処置室では、穏やかな二つの寝息が重なった。
*
廊下に出たエカテリーナは、振り返らずに政務室へ向かう。しかし、角を曲がった途端に足をピタリと止めた。
「こんなところ泣かずとも、孫娘の前で泣けばよいのに」
苦笑するエカテリーナから声をかけられたローブ姿の老人は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を隠すためにフードを深くかぶった。
「そんなこと……できませぬ。わたくしは、孫娘に合わせる顔がございません」
「もう何度も顔を合わせておるというのに、何を言っておる」
呆れ顔になるエカテリーナに、老人は恨みがましい目を向ける。
「あれは緊急事態でしたので……それに顔を合わせたのはサーシャ殿の祖父ではなく、宮廷魔導士長のロガーでございます」
「ああ、そうじゃったな」
屁理屈を言う老人ことロガーは、サーシャの祖母エリアの夫だ。
西の森に追放された聖女は、ずっと村人に扮した王宮騎士や魔術師によって守られてきた。
ロガーもまた若かり頃、木こりに扮して西の森の守護にあたっていた。そこでエリアと出会い、恋に落ち、二人は結ばれた。
しかし二人は、夫婦にはなれなかった。ロガーはエリアから一方的な別れを告げられたのだ。
エリアは、ロガーが王宮魔術師だと気づいていたのだろう。己の人生が薄命だと悟っていたエリアは、ロガーが築き上げてきた地位と名誉を捨ててほしくなかったのだ。
互いを想えば想うほどすれ違ってしまった二人は、結局、その後会うことはできなかった。
そうして長い年月が過ぎ、孫娘と再会できたロガーは涙を堪えることができなかった。喜びと、悲しさで。
しかし再び目を開けたサーシャは、世界を救う聖女ではなく、ただの孫娘となった。
新たな人生を歩み始めた孫娘に、ロガーは真実を伝えるつもりはない。けれど──
「ひ孫には、いい爺ちゃんになりたいから、長生きせんといかんですな」
くぐもった声で誓いを立てるロガーに、エカテリーナは声をあげて笑う。
「そうじゃな。そう遠くない未来、ひ孫を抱ける日が来るだろう。なにせ今二人は、同じベッドを使ているしな。明日にはひ孫懐妊の報せがくるかもしれぬ」
軽い冗談のつもりだったが、ロガーはギョッと目を見開いた。
「いかん!それは困りますぞ、陛下!!」
「どうしてじゃ?おぬしだって式も挙げる前にエリア殿を孕ませたというのに」
手厳しいエカテリーナの指摘に、ロガーは「そうではなく!」と反論する。
「そんな早くては、わたくしの心の準備ができないではありませんか!」
「ああ、そっちか」
「それ以外、何があるのです!?」
ロガーから詰め寄られたエカテリーナは、額に手を当て肩を震わせる。
「さすがサーシャの祖父じゃ。一本取られたわ」
女王から最高の褒め言葉をもらえたというのに、ロガーはそれどころじゃない。まだ見ぬひ孫との対面をどうすればいいのか頭を悩ませている。
「はじめまして、ひい爺ちゃんでちゅ……いや、もっと親しみがあるほうがいいか。じぃじ?おじじ?うーん、なかなか難しい……」
「あんまり悩みすぎるな、ロガー。会ってみれば自然と言葉が出るはずじゃ。それよりも、ひ孫との時間を作るためにやらなければならないことが山積みではないのか?」
宮廷魔導士長のロガーは国中の魔導士を束ねる存在であり、国の官僚でもある。
若手育成やら、政務やら、新規魔法の開発やら──高齢の彼には仕事が抱えきれない程あるのだ。
「そうですな。こうしちゃいられません!わたくしはこれで失礼させていただきます」
シャンと背筋を伸ばしてエカテリーナに礼を執ったロガーは、スタタタッと早足で自分の政務室へと駆け込んだ。
一人残されたエカテリーナは呆気にとられてしばらくポカンとしていたが、すぐに腹を抱えて笑い出す。
窓の外は、秋の日差しがキラキラと輝いている。赤く染まる木々の葉を見て、エカテリーナは目を細めた。
「……そうか。もう秋になっていたのじゃな」
久しぶりに季節の移ろいを感じたエカテリーナは、ようやっと自分の心の時計が動き出したことを実感した。