あの雨の日から、ふたりは
第4話 大型犬みつけた!



 美織はその日、いつもより少し早く仕事を終えた。

 会社を出る。

 空はまだ明るさを残していて、駅へ向かう人たちの影が
舗道に長くぞろぞろ伸びている。

 10分の帰り道。

 朝は湊を見かけた。

 昼は会わなかった。

 今日は一度も話していない。

 そう思ってから、自分で少し笑う。

 何を数えているんだろう。

 六月一日の偶然が濃すぎただけだ。

 朝に会って。

 昼にも会って。

 夜には一緒に食事までした。

 昨日だって朝は一緒に歩いたし、昼にも顔を見た。

 そんな日が続けば、会うほうが普通みたいに錯覚する。


「……今日は普通の日か」


 呟いて、歩く。

 悪い意味ではない。

 いつもの仕事帰りだ。

 ただ少しだけ、昨日までより地味に感じる。

 会社へ行く一日の中に、ここ二日ほど急に増えたちょっとした
エンターテインメントが、今日は休演だった。

 そんな感じだった。

 横断歩道を一つ過ぎたところで、後ろから何か人を呼ぶ声。
最初は、自分に向けられたものだとは思わない。

自分の前を歩いている人の数人がなんだ?と振り返る
どんどん近づく足音に、美織もなんだろうと思った。


「――大庭さん!」

 はっきりと名前を呼ばれて、美織は振り返った。

「え?」

 少し離れたところから、湊が走ってくる。

「えぇ……?」

 仕事帰りの格好のまま、肩にはバッグ。長い脚で人の間を抜け
片手でずれた眼鏡の位置を直しながら、まっすぐこちらへ
向かってくる。うわあ、めちゃくちゃ目立っている。

 そして、顔。

 美織を見つけたことが、そのまま全部出ている。

 目が明るい。

 口元が緩んでいる。

 いつもの穏やかな笑顔より、ずっとわかりやすい。

 美織の頭に、ぼんやり大きな犬が浮かんだ。

 飼ったこともないのに、飼い主を見つけて全力で走ってくる
色素の薄いキャラメル色した大型犬。

 ――何、この人。

 こんなに格好いいのに。

 こんなに背が高くて、服も似合って、街中でも目立つのに。

 なんでこんなに曇りがないんだろう。

 湊は美織の前まで来ると、ひとつ息を吐いた。

「……朝倉さん?」

「はー……よ、よかった」

「何がですか?」

 美織が今の状況にわけがわからなくて聞く。

 湊は、心底安堵した表情で本当にそのまま答えた。

「見つけた」

 一拍。

 美織は言葉を返せなかった。

 何、その言い方。

 でも、顔を見ればわかる。

 狙っていない。

 変に格好つけてもいない。

 ただ、見つけたから嬉しかった。

 だから走った。

 それだけ。

 しかも、その「それだけ」が妙にまっすぐで、
可笑しいくらい気持ちがいい。

 美織の中で、湊への好感度がまたひとつ上がった。

 顔がいい。

 喋りやすい。

 感じがいい。

 そこへ、変な濁りがない、が加わる。

「今日、1回も会いませんでしたね」

 息を整えながら、湊が言う。

 美織は少し笑いながら返した。

「……そうですね」

「朝もいなかったし」

「いましたよ」

「え?」

「朝。10メートルくらい前、歩いてました」

 湊が本気で驚いた顔をした。

「えっ。声かけてくださいよ」

「いや……なんとなく」

「なんとなく?」

「毎回、見つけるたびに声かけるのもどうなのかなって思って」

 湊は数秒、美織を見た。

 何を迷っていたのか、理解しようとしているようだった。

 やがて、少し首を傾ける。

「……僕は、声かけてほしいですけど」

 あまりにも普通に言うので、美織のほうが少し可笑しくなる。

「そうなんだ」

 つい、少しだけお姉さんじみた相槌になった。

「はい」

「じゃあ、次は声かけます」

「お願いします」

「お願いされることなんだ」

「だって今日、1回も話してないので」

 湊は本当に残念だったらしい。

 その顔を見ていると、美織はなんとなく「うんうん」と
聞いてやりたくなる。

 もちろん、子ども扱いしているわけではない。

 ただ、この人は思っていることが顔にも言葉にも素直に
出るんだな、と面白く思う。

 自分なら、一度も話せなかったくらいでここまでわかりやすく
はならない。

 でも、嫌ではない。

 むしろ気分がいい。

 二人は並んで駅へ向かった。


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