君のとなり〜拓実と〜

第25章 知らなかった顔

 新体操部が休みの日。

瑠夏は、グラウンドのそばにあるベンチに座っていた。

今日は、陸上部の練習を見に来た。

拓実が走っている姿を見るのは、初めてだった。

スタートの合図が響く。

拓実が、勢いよく走り出した。

地面を蹴る音。

伸びていく身体。

あっという間にゴールへ駆け抜けていく。

「……速い」

思わず声が漏れた。

走り終えた拓実は、仲間たちと笑い合っている。

もう一度、スタートラインへ戻る。

そしてまた走る。

真剣な表情で走っているのに、終われば楽しそうに笑う。

「……楽しそう」

瑠夏も自然と笑っていた。

教室で見る拓実とは、少し違う。

走ることが好きなんだ。

そのことが伝わってくる。

そんな拓実を見ていると、なんだか嬉しくなった。

そのとき。

ふと、視線の先に別の姿が入った。

高跳びのマット。

その前に、翔がいる。

瑠夏の視線が、自然とそちらへ向いた。

翔は助走を取る。

まだ高いバーではない。

それでも、一歩ずつ助走を刻んでいく。

そして――

踏み切った。

身体が宙へ浮く。

背中を反らせる。

バーを越える。

そして、マットへ着地した。

「……!」

瑠夏の胸が高鳴った。

跳べた。

翔が、また跳べた。

その瞬間。

翔は立ち上がりながら、無意識に自分の胸を――

トントン。

二度、軽く叩いた。

瑠夏の目が、大きくなる。

その仕草を、知っている。

中学生の頃。

高跳びで上手く跳べたとき。

二人だけで使っていた合図。

――やった。

――できた。

言葉にしなくても伝わる、二人だけのサイン。

「……」

瑠夏は一瞬だけ迷って。

それから、自分の胸を――

トントン。

そして。

親指を立てた。

「グッド」

小さく笑う。

翔は、その仕草に気づいた。

一瞬だけ目を見開いて。

そして、嬉しそうに笑った。

二人の間に、言葉はない。

ただ、それだけ。

けれど。

二人だけには、それで十分だった。

その一連のやり取りを――

拓実は見ていた。

走り終えた拓実が、何気なく瑠夏へ視線を向けたとき。

そこにいたのは、自分の知らない瑠夏だった。

翔を見つめる目。

あの笑顔。

そして、二人だけにしか分からないような仕草。

「……」

拓実は、何も言わなかった。

ただ、胸の奥がきゅっと痛んだ。

こんな顔。

見たことがない。

自分には向けられたことのない、柔らかな笑顔。

その笑顔を向けている相手が、自分ではない男だという事実が――

拓実の胸を、静かに締めつけていた。
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