君のとなり〜拓実と〜

第28章 あの日、君のキスを

 夏の夜。

 今日は花火大会の日だった。

 待ち合わせ場所に着いた瑠夏は、少し緊張した面持ちで辺りを見回していた。

 淡い色の浴衣に、いつもとは違う髪型。

 人混みの向こうから拓実が歩いてくる。

 瑠夏を見つけた瞬間、拓実の足が止まった。

「……瑠夏」

「拓実」

 瑠夏が笑う。

「待った?」

「ううん。今来たところ」

 拓実は、しばらく瑠夏を見つめた。

「……何?」

「いや……可愛いなって」

「……もう」

 瑠夏の頬が赤くなる。

「拓実も似合ってるよ」

「ありがと」

 拓実は照れ隠しのように笑い、瑠夏の手元へそっと手を伸ばした。

 瑠夏はその手を見て、ためらいがちに指を開く。

 拓実はその仕草に気づき、自然に手を取った。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 二人は並んで歩き出した。

 通りには出店が並び、人で賑わっている。

 焼きそばの匂い。甘いりんご飴。射的にヨーヨー釣り。

 どこを見ても、夏祭りの景色だった。

「拓実、あれやりたい」

「射的?」

「うん」

「瑠夏、こういうの得意そう」

「失礼だなぁ」

「じゃあ勝負する?」

「負けないよ」

 二人で笑いながら、射的の台に並ぶ。

 結果は――。

「……拓実、ずるい」

「何が?」

「最後の一個、私が狙ってたのに」

「早い者勝ち」

「もう」

 頬を膨らませる瑠夏を見て、拓実が笑う。

「じゃあ、これあげる」

「え?」

 拓実は取った景品を瑠夏に差し出した。

「はい」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 瑠夏が嬉しそうに笑う。

 その笑顔を見て、拓実も笑った。

 しばらく歩くと、人の波が一気に押し寄せてきた。

 拓実は繋いだ手を少し強く握る。

「瑠夏、離れるなよ」

「大丈夫だよ」

「俺が離したくないの」

「……拓実」

 瑠夏の頬が赤くなる。

「何?」

「……ううん」

 二人はそのまま歩き続けた。

 花火の時間が近づき、人混みを離れた場所へ移動する。

 静かな場所に並んで座ると、やがて夜空に大きな花が咲いた。

 ドン――。

「綺麗……」

 瑠夏が空を見上げる。

「うん」

 拓実は花火ではなく、隣にいる瑠夏を見ていた。

 花火に照らされた横顔を見つめているうちに、胸の奥にしまっていた気持ちが、はっきりと形を持ちはじめる。

 今なら、伝えられるかもしれない。

 拓実は瑠夏の手を握り直した。

 瑠夏も、そっと握り返す。

「瑠夏」

「ん?」

 拓実の声が、わずかに震えた。

 瑠夏が首を傾ける。

 拓実は少しだけ身を寄せた。

 瑠夏の瞳が揺れる。

 それでも、手は離れなかった。

「……嫌じゃない?」

 瑠夏は目を瞬かせ、それから小さく首を横に振った。

「……嫌じゃないよ」

 拓実はゆっくり顔を近づける。

 瑠夏は緊張したように目を閉じた。

 唇が、そっと触れる。

 ほんの一瞬だった。

 それでも、胸の奥が大きく鳴った。

 拓実が離れると、瑠夏は目を開けられないまま、自分の胸元に手を当てた。

 顔が熱い。

 恥ずかしくて、どうしていいかわからない。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 拓実が自分を大切にしてくれていることが、その口づけから伝わってきた。

 これまで、心のどこかには翔がいた。

 拓実と一緒にいても、ふとした瞬間に思い出すことがあった。

 だから、拓実の気持ちを受け入れていいのか、ずっと迷っていた。

 でも――。

 今、拓実の唇に触れられて、嫌だとは思わなかった。

 むしろ、嬉しかった。

 翔を忘れたわけじゃない。

 それでも、目の前にいる拓実を傷つけたくない。

 自分を大切にしてくれる拓実を、私も大切にしたい。

 今は、その気持ちを信じてみたかった。

 拓実も、少し赤くなっていた。

 二人の視線は、なかなか重ならない。

「……瑠夏」

「……なに?」

 瑠夏がゆっくり顔を上げる。

 瞳には照れと戸惑いが浮かんでいた。

「……ごめん。急に」

「ううん」

 瑠夏は小さく首を横に振る。

「……嬉しかった」

 拓実の胸が熱くなる。

「本当に?」

「うん」

 瑠夏は俯きながら、拓実の手を握り直した。

「私も……拓実のこと、大切にしたい」

 その言葉に、拓実の中にあった不安が少しずつほどけていく。

 すべてが解決したわけではない。

 それでも今、瑠夏がここにいて、自分の手を握ってくれている。

 それだけで、拓実には十分だった。

「……拓実」

「ん?」

「もう一回……花火、見よう?」

「うん」

 瑠夏は少し照れながら、拓実の肩にそっと頭を預けた。

 拓実は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

 それから、そっと瑠夏の肩を抱いた。

 瑠夏も、その手を握り返した。

 夜空いっぱいに、また大きな花が咲いた。

 ドン――。

 赤、青、黄色。

 次々と咲いては、夜空に消えていく。

 その光を見つめながら、瑠夏は思った。

 今日が終わってほしくない。

 この時間が、ずっと続けばいい。

 隣には拓実がいる。

 自分の手を握ってくれている。

 そして自分は――。

 拓実の隣にいたいと思っている。

「来年も、一緒に見ようね」

 瑠夏が言うと、拓実が小さく笑った。

「うん。絶対」

 その声が、夏の夜に溶けていく。
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