君のとなり〜拓実と〜

第32章 交換されたハチマキ

 体育祭が終わった。

 閉会式が終わっても、グラウンドから生徒たちが帰る気配はなかった。

 毎年恒例のハチマキ交換を楽しみにしている生徒たちが、あちらこちらで友達と笑い合っている。

「誰と交換する?」

「もう決めてる!」

「えー、誰?」

 そんな声が飛び交う中、瑠夏も友達と一緒にいた。

「瑠夏は?」

「え?」

「誰と交換するの?」

 瑠夏が答えようとした、そのとき。

「瑠夏」

 後ろから声がした。

 振り返る。

「翔くん?」

 翔が立っていた。

「少し、いい?」

「うん」

 二人は、人の流れから少し外れた場所へ歩いた。

 グラウンドの賑やかな声は、まだ聞こえている。

 翔は立ち止まると、瑠夏を見る。

 しばらく、何も言わなかった。

「……どうしたの?」

 瑠夏が尋ねる。

 翔は一度だけ息を吐いた。

「俺……瑠夏が好きだ」

「……え?」

 瑠夏の目が大きくなる。

 胸が、どくんと鳴った。

「中学の頃からずっと」

 その言葉に、瑠夏の中で中学生の頃の記憶が一気によみがえった。

 まだ背丈もほとんど変わらなかった頃。

 放課後、一緒に笑ったこと。

 翔が高跳びの練習をしている姿。

 何度も見た、あの跳躍。

 そして――自分が翔を好きだった、あの頃。

「……翔くん」

 瑠夏はゆっくり口を開いた。

「ありがとう」

 翔をまっすぐ見つめる。

「私も……中学生のころ、翔くんのこと好きだったよ」

 翔の表情が揺れた。

「……そっか」

「うん」

 瑠夏は小さく頷いた。

「だから、翔くんがこうやって言ってくれたこと……嬉しい」

 けれど、その先を言おうとすると胸が痛んだ。

「でも……」

 瑠夏は、あの頃を思い出した。

 好きだった。

 大切だった。

 だけど――あの日、自分の初恋に自分でさよならをした。

「私の初恋は……中学生のころに、さよならしたの」

 一筋の涙が、瑠夏の頬を伝った。

 あの頃の自分を思い出して。

 あのときの気持ちを思い出して。

 もう戻れない時間を、ほんの一瞬だけ胸に抱いた。

「……瑠夏」

 翔が静かに呼ぶ。

 瑠夏は指先で涙を拭った。

「……ごめん」

「……」

 翔は何も言わず、瑠夏を見つめていた。

 そして、少しだけ笑う。

「そっか」

 その声は、思っていたより穏やかだった。

「じゃあ……これで終わりだな」

「翔くん……」

「俺、ちゃんと聞けてよかった」

 翔は空を見上げる。

「瑠夏が俺を好きだったことも知れたし」

 少し寂しそうに笑った。

「それだけでも、俺には大事なことだから」

 瑠夏の目に、また涙が浮かぶ。

「ありがとう、翔くん」

「泣くなよ」

 翔が少し困ったように笑う。

「俺、振られたんだからさ。瑠夏に泣かれたら、余計つらいだろ」

「……うん」

「じゃあ、戻ろうぜ」

「うん」

 二人はグラウンドへ戻った。

 瑠夏が歩いていると――。

「瑠夏」

 聞き慣れた声。

 拓実だった。

「拓実」

 拓実は瑠夏の顔を見る。

 そして、目元に残った涙に気づいた。

「……泣いたの?」

「え?」

 瑠夏は一瞬、言葉に詰まる。

「ううん」

 小さく首を振る。

「泣いてない」

 ほんの小さな嘘。

 拓実は瑠夏を見つめた。

 けれど、それ以上は聞かなかった。

「……そっか」

 ただ、優しく笑った。

「じゃあ、ハチマキ交換しよう」

「……うん」

 拓実が、自分の頭からハチマキを外す。

 そして瑠夏の前に立った。

「ちょっと、こっち向いて」

「うん」

 拓実が瑠夏の頭にハチマキを回す。

 結ぶために身体が近づき――瑠夏の頭が、拓実の胸元にすっぽり収まるような形になった。

「キャーーー!」

 近くから女子たちの声が上がる。

「ちょっと待って! 近すぎない!?」

「抱きしめてるみたい!」

「やばい、拓実先輩……!」

 瑠夏の顔が一気に熱くなる。

 でも、拓実は気にする様子もなく、瑠夏の髪をそっと避ける。

 乱れないようにハチマキの位置を整えて。

 そして――

 きゅっ。

 優しく結んだ。

「……できた」

 拓実が少し離れる。

 瑠夏が顔を上げる。

「どう?」

 拓実は瑠夏を見つめた。

「……可愛い」

「もう……」

 瑠夏は照れて俯いた。

 拓実はそんな瑠夏を見て、嬉しそうに笑う。

「俺のハチマキ、似合ってる」

「……うん」

「よかった」

 瑠夏は、自分の首にかけていたハチマキを外した。

「じゃあ、拓実の番」

「俺?」

「うん」

 瑠夏は拓実の手を取った。

 そして、自分のハチマキを拓実の手首にくるりと巻く。

 ほどけないように結んで――最後に、リボンの形に整えた。

「はい」

 拓実が自分の手首を見る。

「リボン?」

「うん」

「……可愛い」

「拓実に似合うと思って」

 拓実が瑠夏を見る。

 その目が、少しだけ細くなる。

「……瑠夏」

「なに?」

「そういうこと言われると、困る」

「え?」

「もっと好きになるから」

「……っ」

 瑠夏の頬が真っ赤になる。

 その瞬間。

「キャーーーー!」

「やっぱり付き合ってるじゃん!」

「誰よ、別れたって言ったの!」

「私じゃない!」

「でも、別れたって噂だったよね!?」

「こんなの見たら、別れてるわけないじゃん!」

 周囲の生徒たちが一斉に騒ぎ始めた。

「拓実先輩、王子様すぎる!」

「瑠夏ちゃん、めちゃくちゃ可愛い!」

「いいなぁ……!」

「羨ましい!」

「私もあんなふうにハチマキ交換したい!」

 女子たちの声が、グラウンドいっぱいに響く。

 瑠夏は恥ずかしそうに拓実の隣に立っていた。

 頭には、拓実のハチマキ。

 そして拓実の手首には、自分のハチマキ。

 まるで――

 みんなに見せるように。

 俺たちは、別れていない。

 そう言っているみたいだった。

 少し離れたところで、その光景を翔が見ていた。

 瑠夏が笑っている。

 拓実も笑っている。

 二人の間にある空気は、誰が見ても分かるほど幸せそうだった。

 翔は、ほんの少しだけ寂しそうに笑う。

「……そっか」

 そして、静かに二人から目を逸らした。

 瑠夏は、そんな翔には気づかない。

 ただ、隣にいる拓実を見上げていた。

「……すごいね」

「何が?」

「みんな、見てる」

 拓実が笑う。

「いいじゃん」

「え?」

「別れたって噂、消えたんじゃない?」

「……そうだね」

 瑠夏も笑った。

 すると拓実が、自然に手を差し出す。

「帰ろう」

 瑠夏は、その手を見る。

 そして、そっと自分の手を重ねた。

 拓実が優しく握り返す。

 二人は、たくさんの視線と歓声の中を歩き出した。

 瑠夏の頭には、拓実のハチマキ。

 拓実の手首には、瑠夏のハチマキ。

 そして――二人を繋ぐ手。

 秋の空の下。

 体育祭最後の恒例イベントは、二人にとって忘れられない一日になった。
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