君のとなり〜拓実と〜

第36章 怪我

 その数日後。

 私は、いつものように新体操の練習をしていた。

 今日は、新しい技に挑戦している。

 ボールを転がして、その動きに合わせて身体を回転させる。

 何度か繰り返すうちに、少しずつ形になってきた。

「もう一回……」

 そう思って、ボールを転がした。

 右足を踏み出した、その瞬間――

 ぐらっ。

「――きゃっ!」

 右足が、転がしたボールに乗ってしまった。

 身体のバランスが崩れる。

 次の瞬間――

 ごんっ。

 後頭部に、鈍い衝撃が走った。

「……っ」

 一瞬、息が止まった。

「瑠夏!」

「大丈夫!?」

 部員たちが駆け寄ってくる。

 私は床に横になったまま、ゆっくり目を開けた。

「……うん」

 意識はある。

 でも、頭の中が少しぼんやりしていた。

「どこ打ったの?」

「……頭」

 後頭部に手をやる。

 指先に触れたものを見て、私は目を瞬かせた。

「……血?」

「えっ、血が出てる!」

 髪を確認すると、頭につけていたピンが転倒した衝撃で当たったらしく、その部分から血が滲んでいた。

「ピンが当たったんだ」

「先生呼んで!」

 すぐに顧問の先生が駆けつける。

「瑠夏、意識ははっきりしてる?」

「はい」

「気持ち悪くない?」

「少しぼんやりします」

 先生の表情が変わった。

「念のため病院で診てもらおう。保護者にも連絡するから」

「はい」

 先生が傷口をタオルで押さえてくれる。

「右足首は?」

「……ちょっと痛いです」

 確認すると、右足首も少し腫れていた。

 私はそのまま、先生と一緒に病院へ向かうことになった。

 * * *

 病院で診察を受ける。

 後頭部の傷は、ピンが当たったことによる切創だった。

 傷の処置をしてもらい、頭を打っていることもあって、頭部の検査を受ける。

 結果を待っている間も、頭の奥が少し重い。

 やがて先生が戻ってきた。

「大きな異常はありません。軽い脳震盪ですね」

「……脳震盪」

 自分の口から、その言葉を繰り返す。

「今日は安静にしてください。しばらくは激しい運動も控えましょう」

「はい」

 右足首も診てもらう。

「こちらは軽い捻挫ですね。大きな問題はありません」

「よかった……」

 思わず息を吐いた。

 そのとき――。

「瑠夏!」

 聞き慣れた声がした。

 顔を上げる。

「……拓実?」

 廊下の向こうから、拓実が駆けてくる。

 少し息を切らしていた。

「大丈夫?」

「うん。もう診てもらったよ」

「頭、打ったって聞いた」

 拓実の声が、いつもより低い。

「切創と脳震盪。それと足首を少し捻ったみたい」

「……脳震盪?」

 拓実の顔が強張る。

「でも、軽いものだって。頭の検査も大きな異常はないって言われたよ」

「本当に?」

「うん」

 それを聞いて、拓実がようやく息を吐いた。

「……よかった」

 その声に、張り詰めていたものが滲んでいた。

「どうして病院にいるって知ったの?」

「友達から電話があった。顧問の先生から家に連絡が入ったって」

「それで、来てくれたの?」

「当たり前だろ」

 拓実が私を見る。

「瑠夏が怪我したって聞いて、じっとしてられなかった」

 胸が、きゅっとなる。

「……ありがとう」

「今日は絶対、無理しないで」

「うん」

 そのとき、診察室から母が出てきた。

「瑠夏」

「お母さん」

 母の視線が、私の隣にいる拓実へ向く。

「こちらは……?」

「私の彼氏。拓実」

 拓実が少し緊張したように姿勢を正す。

「初めまして。瑠夏さんとお付き合いさせてもらっています、拓実です」

「そうなのね」

 母が拓実を見て、柔らかく笑った。

「今日は来てくれたの?」

「はい。瑠夏が怪我したって聞いて……」

「そう。ありがとう」

「はい」

 拓実がまっすぐに答える。

 短い時間だったけれど。

 拓実と母が顔を合わせたことが、なんだか嬉しかった。

 * * *

 翌日。

 右足首を少しかばいながら、廊下を歩いていた。

 すると、向こうから翔が歩いてきた。

「瑠夏」

「翔」

 翔の視線が、私の足元に落ちる。

「……怪我したの?」

「うん。昨日、練習中に転んじゃって」

「頭も?」

「ちょっと切っちゃった。でも、もう大丈夫」

 翔が少し黙る。

「そうか……」

 そして、いつものようにぶっきらぼうな声で言った。

「無理するなよ」

「うん」

「新しい技とか、焦ってやるなよ」

「……わかってる」

「ほんとか?」

「ほんと」

 翔が、少しだけ安心したように笑う。

「ならいい」

 それ以上は何も言わなかった。

 昔なら、もっと近くまで来て、何かと世話を焼いてくれたかもしれない。

 でも今は――。

 翔は、私との距離をちゃんとわかっている。

 それが少しだけ寂しくて。

 でも同時に、翔らしい優しさだと思った。

「じゃあ、またね」

「ああ。気をつけて」

 翔と別れて、私はゆっくり歩き出す。

 昨日は拓実が病院まで駆けつけてくれた。

 今日は翔が、心配してくれた。

 私の周りには、私を大切に思ってくれる人がいる。

 そのことが、なんだか温かかった。
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