君のとなり〜拓実と〜

第37章 遠すぎる未来

 十二月の朝。

 吐く息が、白くなる。

 いつものように、拓実と並んで学校へ向かっていた。

「寒いね」

「寒いな」

 そんな何気ない会話。

 昨日までと何も変わらない朝。

 私はそう思っていた。

「瑠夏」

「ん?」

 拓実が、少しだけ私を見る。

「ちょっと話しておきたいことがある」

「なに?」

 拓実は、ほんの少し間を置いた。

「俺、関東の大学を受ける」

「……関東?」

「ああ」

 その言葉を聞いても、私はすぐには何も感じなかった。

「前から考えてたんだ」

「そうなんだ……」

 拓実が頷く。

「受験もあるし、これから忙しくなると思う」

「うん」

 私は笑った。

「頑張ってね、拓実」

「ありがとう」

「私、応援してるから」

 拓実が、ほっとしたように笑った。

 その笑顔を見て、私も笑う。

 大丈夫。

 そう思っていた。

 拓実が卒業することは、ずっと分かっていた。

 三年生なんだから。

 春になれば、この学校からいなくなる。

 それは、最初から分かっていたこと。

 だから、寂しくなるんだろうなって。

 そう思っていただけだった。

 でも――。

 教室に入って、授業が始まって。

 黒板を見ながら、ふと朝の言葉を思い出す。

 関東。

 その二文字が、頭から離れない。

 ノートを取りながら、考える。

 関東って……どれくらい遠いんだろう。

 大学へ行ったら。

 拓実は、そこに住む。

 卒業したら、この学校では会えなくなる。

 それは分かっている。

 でも。

 学校じゃなくても、会えると思っていた。

 放課後に会って。

 一緒に帰って。

 休日にも会って。

 今までみたいに、普通に会えると思っていた。

 なのに。

 関東。

 その言葉を頭の中でもう一度繰り返す。

 ――会えなくなる。

 その現実が、突然目の前に現れた。

「……」

 ペンを持つ手が止まる。

 胸の奥が、きゅっと痛くなる。

 拓実は、自分の未来をちゃんと考えている。

 頑張ってきたことも知っている。

 だから、応援したい。

 拓実には、行ってほしい。

 夢を叶えてほしい。

 分かってる。

 分かっているのに――。

 心が、ついてこない。

 授業が終わっても。

 次の授業になっても。

 気づけば、また拓実のことを考えている。

 もし、本当に関東へ行ったら。

 私はどうなるんだろう。

 そんなことばかり考えてしまう。

 「行かないで」

 そう言ったら。

 拓実は困るよね。

 自分で決めた未来なのに。

 私のために、諦めるなんてことをしてほしくない。

 だから。

 ちゃんと応援しなきゃ。

 笑って、

「頑張って」

って言わなきゃ。

 それなのに。

 胸の奥にある気持ちは、消えてくれない。

 離れたくない。

 拓実と、離れたくない。

 その気持ちだけが、どんどん大きくなっていった。

 * * *

 放課後。

「瑠夏、また明日ね」

「うん。また明日」

 友達と別れる。

 笑って手を振る。

 その姿が見えなくなった瞬間。

 私は小走りになった。

 廊下を曲がる。

 階段を上る。

 それでも足は止まらない。

 小走りが、少しずつ速くなる。

 早く。

 早く、一人になりたい。

 今は誰にも顔を見られたくない。

 心が、もう耐えられなかった。

 気づけば、私は走っていた。

 階段を駆け上がる。

 息が苦しい。

 胸が大きく上下する。

 それでも止まれない。

 屋上の扉を開けた。

「……っ」

 冷たい風が頬を打つ。

 誰もいない。

 私はその場に立ったまま、何度も息をした。

 苦しい。

 胸が痛い。

 どうして、こんなに苦しいんだろう。

「……拓実……」

 名前を呼んだだけで、涙が溢れた。

「応援……したいのに……」

 声が震える。

「拓実には……頑張ってほしいのに……」

 涙が頬を伝う。

「……行かないでなんて……言えないよ……」

 拓実を困らせたくない。

 拓実の未来を邪魔したくない。

 だから、応援する。

 そう決めたいのに。

「……離れたくない……」

 その言葉が、こぼれた。

 そのとき。

 ぽつ。

 頬に、冷たい雨粒が落ちた。

 空を見上げる。

 灰色の雲から、雨が落ち始めていた。

 でも、私は動かなかった。

 雨は少しずつ強くなっていく。

 制服が濡れる。

 髪が濡れる。

 それでも、どうでもよかった。

「……どうしたらいいの……」

 声が震える。

 涙が止まらない。

「拓実……」

 もう一度、その名前を呼ぶ。

 そして――

 私はその場に膝から崩れた。

 冷たい雨に打たれながら。

 制服も、髪も濡らして。

 私は、声を押し殺して泣いた。

 拓実を応援したい。

 それなのに。

 どうしても、離れたくなかった。
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