君のとなり〜拓実と〜

第39章 君と願う未来

 お正月の朝。

「瑠夏、こっち向いて」

「うん」

 母が、私の帯を整えてくれる。

 鏡に映っているのは、いつもの制服姿じゃない私。

 淡い色の着物に袖を通して、髪もいつもより少しだけ丁寧にまとめてもらった。

「どう? 苦しくない?」

「大丈夫」

「そう。じゃあ、これでいいわね」

 母が満足そうに笑う。

「今日は拓実くんと?」

「……うん」

 少し照れながら答えると、母も嬉しそうに笑った。

「楽しんできなさい」

「うん」

 母は、私が拓実を好きなことを知っている。

 そして、ずっと応援してくれている。

 だから余計なことは何も聞かない。

 ただ、私の背中をそっと押してくれる。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 玄関を出る。

 冷たい空気が頬に触れた。

 でも、今日は少しだけ心が軽かった。

 あの日から、少し時間が経った。

 あれほど苦しかった「関東」という言葉も、今は少しだけ違って聞こえる。

 もちろん、離れたくない。

 その気持ちは、今も変わらない。

 だけど――。

 拓実には、拓実の未来がある。

 私にも、私の未来がある。

 それでも私たちは、今までだって毎日会えていたわけじゃない。

 部活で会えない日もあった。

 拓実が勉強で忙しい日もあった。

 そんな日は、メールをした。

 電話もした。

 だから。

 離れることが怖くても。

 会えないことが寂しくても。

 それだけで、すべてが終わるわけじゃない。

 少しずつ。

 ほんの少しずつだけど。

 私は、そう思えるようになっていた。

 * * *

「瑠夏」

「拓実」

 待ち合わせ場所で拓実を見つけた。

 私に気づいた拓実が、足を止める。

「……」

 何も言わずに、私を見ている。

「拓実?」

「……ごめん。ちょっと見惚れた」

「え……」

 思いがけない言葉に、頬が熱くなる。

「着物、すごく似合ってる」

「……ありがとう」

「いつもと違うから、なんか新鮮」

 拓実が、少し照れたように笑う。

「すごく綺麗だよ」

「……そんなに言われると、恥ずかしい」

「だって、本当にそう思ったから」

 胸が、きゅっとなる。

 拓実が手を差し出した。

「行こうか」

「うん」

 その手を取る。

 並んで歩き始める。

 いつものように歩いているつもりだった。

 でも――。

 少しすると、拓実の歩く速度がゆっくりになっていることに気づいた。

「拓実、なんか歩くの遅くない?」

「そう?」

「うん」

 拓実が私を見る。

「瑠夏に合わせてる」

「……私?」

「着物だと、いつもみたいには歩けないだろ」

 さらっと言って、また歩き出す。

 私はその横顔を見つめた。

 歩幅まで、私に合わせてくれている。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 拓実が笑う。

 その自然な優しさが、胸に沁みた。

 * * *

 神社に着くと、たくさんの人で賑わっていた。

 二人でお参りをして、それから境内をゆっくり歩く。

「拓実、合格祈願のお守り買おうよ」

「うん」

 二人でお守りが並ぶ場所へ向かう。

「これがいいんじゃない?」

 私が一つのお守りを指差す。

「これ?」

「うん。拓実が持ってたら、きっと大丈夫」

 拓実が少し笑った。

「じゃあ、これにする」

「うん」

 拓実がお守りを手に取る。

 小さな袋を見つめながら、私は心の中で願った。

 どうか。

 拓実が、無事に合格しますように。

 そして――。

 この先も、ずっと一緒にいられますように。

 * * *

 初詣のあと。

「寒くない?」

「ちょっとだけ」

「じゃあ、暖かいところ行こう」

 拓実が連れて行ってくれたのは、近くのカフェだった。

 店内は暖かくて、外とは別世界みたいだった。

 二人で向かい合って座る。

 温かい飲み物がテーブルに置かれる。

「……落ち着くね」

「うん」

 しばらく、他愛のない話をしていた。

 でも。

 拓実がふっと表情を変えた。

「瑠夏」

「ん?」

「進路のこと、ちゃんと話したい」

 胸が少しだけ緊張する。

「うん」

 拓実がカップに視線を落とす。

「関東の大学のこと」

「前から決めてたんだよね?」

「ああ」

「そっか」

 私は、少し笑った。

「拓実らしいね」

「……怒ってない?」

「怒ってないよ」

「本当に?」

「うん」

 私は、少しだけ息を吐いた。

「私ね……最初に聞いたときは、すごく怖かった」

 拓実が黙って私を見る。

「関東って聞いて、急に遠く感じたの」

「……」

「卒業したら拓実が学校からいなくなることは分かってた。でも……会えなくなるっていうのは、ちゃんと考えてなかった」

「瑠夏……」

「だから、あの日は……どうしていいか分からなくなった」

 そこまで言って、私は少し笑った。

「でも、今は少し考えられるようになった」

「……うん」

「離れたくないよ」

 拓実の目を見る。

「今でも、離れたくない」

 拓実の表情が、少し揺れる。

「でも……拓実が頑張りたいって思ってることなら、私も応援したい」

「瑠夏……」

「だって、今までだって会えない日があったでしょ?」

「うん」

「そんな日はメールしたり、電話したりしてた」

「……そうだな」

「だから……会えなくなることが怖くても、それだけで離れてしまうわけじゃないのかなって」

 言葉にしてみると、自分の中でも少しずつ整理されていく。

「もちろん、寂しいと思う」

「俺も寂しいよ」

「……うん」

「関東に行ったって、俺だって瑠夏と離れたいわけじゃない」

 拓実が、まっすぐ私を見る。

「俺も、怖い」

「拓実も?」

「ああ」

 少し照れたように笑う。

「瑠夏が寂しがるのも分かってたし……俺だって、今みたいに会えなくなるのは嫌だから」

 胸の奥が、じんと熱くなる。

「……そっか」

「だから、ちゃんと話したかった」

 拓実がテーブルの上に手を置く。

 私はその手に、自分の手を重ねた。

「頑張ってね、拓実」

「うん」

「私、応援する」

「ありがとう」

 指が絡む。

 その温かさを感じながら、私は笑った。

 まだ不安はある。

 寂しさだって消えたわけじゃない。

 それでも。

 少しずつでいい。

 私たちなりに、未来を考えていけばいい。

「ねえ、拓実」

「ん?」

「お守り、ちゃんと持っててね」

「もちろん」

「合格したら……一番に教えて」

「ああ」

 拓実が笑う。

「約束」

「約束」

 窓の外には、冬の空。

 その向こうに、まだ見えない未来が待っている。

 怖くないと言えば、嘘になる。

 それでも私は――。

 拓実と一緒に、その未来を見ていきたいと思った。
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