君のとなり〜拓実と〜
第52章 私のとなり
お盆が明けた頃。
私は病院にいた。
インターハイが終わってからも、右足に少しだけ違和感が残っていた。
大会前から感じていたものだった。
でも、もう新体操は引退した。
だから、そのうち治るだろうと思っていた。
診察を待っていると、スマホが震えた。
画面を見る。
拓実からだった。
『元気?』
たった一言なのに、拓実の顔が浮かぶ。
すぐに返事をしようとした。
でも、そのとき診察室から名前を呼ばれた。
私は既読だけをつけて、スマホをバッグにしまった。
診察を受ける。
右足の状態を確認してもらい、念のためMRIを撮ることになった。
待合室に戻り、スマホを見る。
拓実からのメールが残っている。
私は慌てて返信した。
『すぐに返事できなくてごめんね』
『今、病院にいて、これから検査なの』
『また後で連絡するね』
送信。
すぐに返信が来た。
『え? 病院?』
『なんで?』
『大丈夫?』
私は画面を見つめた。
やっぱり心配させちゃった。
でも、私自身もまだ何も分からない。
私はスマホをバッグにしまった。
その頃、拓実はスマホを握ったまま、落ち着かない時間を過ごしていた。
病院。
検査。
その言葉だけが頭から離れない。
病気なのか。
どこか悪いのか。
何の検査なんだ。
何度スマホを見ても、瑠夏からの連絡はない。
以前、「大事な話がある」と言われたときもそうだった。
あれ以来、瑠夏からのメールには、どうも身構えてしまう。
今回だって、瑠夏は何気なく送っただけなのかもしれない。
それでも、拓実には気が気じゃなかった。
私は右足のMRIを撮った。
検査を終えて、再び診察室へ入る。
先生から結果を聞く。
「中足骨に疲労骨折が見られます」
新体操の練習による繰り返しの負荷が原因だと思われること。
歩けているため、今は保存的な治療で大丈夫なこと。
一か月から二か月くらいで良くなる見込みだということ。
説明を聞き終える。
「分かりました」
思っていたより大変なことではなかった。
もう部活は引退している。
しばらく安静にしていればいい。
私はそう思った。
病院を出て、拓実にメールを送る。
『検査終わったよ』
すぐに返信が来た。
『どうだった?』
『足の甲の骨が、疲労骨折してたみたい』
『……骨折?』
『うん』
『でも、歩けるし、手術もしなくていいって』
『一か月から二か月くらいで良くなるみたい』
少し間を置いて、私は続けた。
『大会の前から、ちょっと違和感があったんだ』
『だから、テーピングしてた』
『……大会のとき、右足にしてたよな』
『気づいてた?』
『気づくよ。瑠夏のことだもん』
その言葉に、胸が少し温かくなる。
『でも、大会が終わるまでは言わないって決めてた』
『最後だったから』
『そっか』
少しして、拓実からまたメールが届く。
『でも、本当に大丈夫?』
私は画面を見ながら、少し考えた。
『大丈夫じゃないかも……』
『え?』
『夏休みの宿題……大ピンチ』
『……そっち?』
『うん』
『まだ結構残ってる』
『インターハイ終わったらやろうと思ってたんだもん』
『じゃあ、安静にしてる間に頑張らないとな』
『そうなの』
『でも、無理するなよ』
『分かってる』
私はスマホを見ながら笑った。
きっと拓実は、まだ心配している。
でも、大丈夫。
そんなに心配しなくてもいいのに。
そう思った。
少しして、また拓実からメールが届いた。
『練習のときにしてた膝は?』
『あぁ、あれ?』
『うーん……忘れた!』
『忘れたって……』
『だって、もう大丈夫だもん』
私は笑った。
拓実はきっと、呆れながら笑っている。
でも――。
拓実の頭には、インターハイが終わったあとのことが浮かんでいた。
一緒に夕食を食べた。
夜の街を歩いた。
公園にも行った。
ホテルまで送った。
あのとき、瑠夏の右足に疲労骨折があるなんて知らなかった。
知らなかったとはいえ、結構歩かせた。
もう少し気をつければよかった。
拓実は、ほんの少しだけ後悔した。
*
二学期が始まった。
放課後。
教室に残っていた友達も、次々と帰っていく。
「じゃあね、瑠夏」
「うん。また明日」
手を振って、笑う。
みんながいなくなった教室で、私は鞄を持った。
いつもなら、この時間から部活だった。
着替えて。
体育館へ行って。
音楽をかけて。
みんなと練習する。
それが、ずっと当たり前だった。
でも。
今日は、どこにも行かない。
私はしばらく、教室の中に立っていた。
窓の外から、運動部の声が聞こえる。
ボールを追う音。
走る足音。
掛け声。
私はその音を聞きながら、鞄を肩にかけた。
帰ろう。
そう思った。
けれど、足は廊下へ出ても、家には向かわなかった。
階段を上る。
気づけば、屋上の扉の前に立っていた。
扉を開ける。
夏の終わりの風が、頬を撫でた。
私は、いつものベンチに腰を下ろした。
隣を見る。
誰もいない。
少しだけ、笑ってしまった。
ここで拓実とお弁当を食べた。
くだらない話をして。
笑って。
夜には、後夜祭の花火を一緒に見た。
あのときの横顔を思い出す。
唇に触れた感触まで、まだ覚えている。
雨の日には、ここで一人で泣いた。
それでも、次の日になれば新体操があった。
練習があった。
大会があった。
そして、拓実と帰る時間があった。
私は、もう一度隣を見る。
やっぱり、誰もいない。
新体操も、もうない。
拓実も、いない。
そう思った瞬間。
胸の奥に、ぽっかりと空いたものを感じた。
思っていたより、大きい。
私は膝の上で手を組んだ。
「……私、何にもなくなっちゃった」
ぽつりとこぼれた声が、風に消える。
少しだけ俯く。
そして、隣の空いた場所を見つめた。
今、会いたい。
顔が見たい。
声が聞きたい。
ただ、それだけだった。
「……拓実に会いたいな」
私は病院にいた。
インターハイが終わってからも、右足に少しだけ違和感が残っていた。
大会前から感じていたものだった。
でも、もう新体操は引退した。
だから、そのうち治るだろうと思っていた。
診察を待っていると、スマホが震えた。
画面を見る。
拓実からだった。
『元気?』
たった一言なのに、拓実の顔が浮かぶ。
すぐに返事をしようとした。
でも、そのとき診察室から名前を呼ばれた。
私は既読だけをつけて、スマホをバッグにしまった。
診察を受ける。
右足の状態を確認してもらい、念のためMRIを撮ることになった。
待合室に戻り、スマホを見る。
拓実からのメールが残っている。
私は慌てて返信した。
『すぐに返事できなくてごめんね』
『今、病院にいて、これから検査なの』
『また後で連絡するね』
送信。
すぐに返信が来た。
『え? 病院?』
『なんで?』
『大丈夫?』
私は画面を見つめた。
やっぱり心配させちゃった。
でも、私自身もまだ何も分からない。
私はスマホをバッグにしまった。
その頃、拓実はスマホを握ったまま、落ち着かない時間を過ごしていた。
病院。
検査。
その言葉だけが頭から離れない。
病気なのか。
どこか悪いのか。
何の検査なんだ。
何度スマホを見ても、瑠夏からの連絡はない。
以前、「大事な話がある」と言われたときもそうだった。
あれ以来、瑠夏からのメールには、どうも身構えてしまう。
今回だって、瑠夏は何気なく送っただけなのかもしれない。
それでも、拓実には気が気じゃなかった。
私は右足のMRIを撮った。
検査を終えて、再び診察室へ入る。
先生から結果を聞く。
「中足骨に疲労骨折が見られます」
新体操の練習による繰り返しの負荷が原因だと思われること。
歩けているため、今は保存的な治療で大丈夫なこと。
一か月から二か月くらいで良くなる見込みだということ。
説明を聞き終える。
「分かりました」
思っていたより大変なことではなかった。
もう部活は引退している。
しばらく安静にしていればいい。
私はそう思った。
病院を出て、拓実にメールを送る。
『検査終わったよ』
すぐに返信が来た。
『どうだった?』
『足の甲の骨が、疲労骨折してたみたい』
『……骨折?』
『うん』
『でも、歩けるし、手術もしなくていいって』
『一か月から二か月くらいで良くなるみたい』
少し間を置いて、私は続けた。
『大会の前から、ちょっと違和感があったんだ』
『だから、テーピングしてた』
『……大会のとき、右足にしてたよな』
『気づいてた?』
『気づくよ。瑠夏のことだもん』
その言葉に、胸が少し温かくなる。
『でも、大会が終わるまでは言わないって決めてた』
『最後だったから』
『そっか』
少しして、拓実からまたメールが届く。
『でも、本当に大丈夫?』
私は画面を見ながら、少し考えた。
『大丈夫じゃないかも……』
『え?』
『夏休みの宿題……大ピンチ』
『……そっち?』
『うん』
『まだ結構残ってる』
『インターハイ終わったらやろうと思ってたんだもん』
『じゃあ、安静にしてる間に頑張らないとな』
『そうなの』
『でも、無理するなよ』
『分かってる』
私はスマホを見ながら笑った。
きっと拓実は、まだ心配している。
でも、大丈夫。
そんなに心配しなくてもいいのに。
そう思った。
少しして、また拓実からメールが届いた。
『練習のときにしてた膝は?』
『あぁ、あれ?』
『うーん……忘れた!』
『忘れたって……』
『だって、もう大丈夫だもん』
私は笑った。
拓実はきっと、呆れながら笑っている。
でも――。
拓実の頭には、インターハイが終わったあとのことが浮かんでいた。
一緒に夕食を食べた。
夜の街を歩いた。
公園にも行った。
ホテルまで送った。
あのとき、瑠夏の右足に疲労骨折があるなんて知らなかった。
知らなかったとはいえ、結構歩かせた。
もう少し気をつければよかった。
拓実は、ほんの少しだけ後悔した。
*
二学期が始まった。
放課後。
教室に残っていた友達も、次々と帰っていく。
「じゃあね、瑠夏」
「うん。また明日」
手を振って、笑う。
みんながいなくなった教室で、私は鞄を持った。
いつもなら、この時間から部活だった。
着替えて。
体育館へ行って。
音楽をかけて。
みんなと練習する。
それが、ずっと当たり前だった。
でも。
今日は、どこにも行かない。
私はしばらく、教室の中に立っていた。
窓の外から、運動部の声が聞こえる。
ボールを追う音。
走る足音。
掛け声。
私はその音を聞きながら、鞄を肩にかけた。
帰ろう。
そう思った。
けれど、足は廊下へ出ても、家には向かわなかった。
階段を上る。
気づけば、屋上の扉の前に立っていた。
扉を開ける。
夏の終わりの風が、頬を撫でた。
私は、いつものベンチに腰を下ろした。
隣を見る。
誰もいない。
少しだけ、笑ってしまった。
ここで拓実とお弁当を食べた。
くだらない話をして。
笑って。
夜には、後夜祭の花火を一緒に見た。
あのときの横顔を思い出す。
唇に触れた感触まで、まだ覚えている。
雨の日には、ここで一人で泣いた。
それでも、次の日になれば新体操があった。
練習があった。
大会があった。
そして、拓実と帰る時間があった。
私は、もう一度隣を見る。
やっぱり、誰もいない。
新体操も、もうない。
拓実も、いない。
そう思った瞬間。
胸の奥に、ぽっかりと空いたものを感じた。
思っていたより、大きい。
私は膝の上で手を組んだ。
「……私、何にもなくなっちゃった」
ぽつりとこぼれた声が、風に消える。
少しだけ俯く。
そして、隣の空いた場所を見つめた。
今、会いたい。
顔が見たい。
声が聞きたい。
ただ、それだけだった。
「……拓実に会いたいな」