春の月明かり

伝えたい、秋の気持ち

  9月の終わり。

 夏の暑さが少しずつやわらぎ、学校の花壇にも秋の風が吹くようになった。

 私は、いつものようにスケッチブックを開いていた。

 そこには、夏のひまわりや、神志那くんと一緒に見た花たちの絵が並んでいる。

 ページをめくるたびに、あの日のことを思い出した。

 はーちゃんと花壇へ行った日。
 神志那くんが優しく笑ってくれた日。
 そして、また一緒に花を見ようと約束した日。

 どの思い出も、私にとって大切な宝物だった。

「明凛、何見よんの?」

 隣の席から声がした。

 顔を上げると、神志那くんが私のスケッチブックを見ていた。

「あ、夏に描いた絵だよ」

「ひまわり?」

「うん。神志那くんと一緒に見たときの」

 言ってから、少し恥ずかしくなった。

 神志那くんは絵を見て、ふわっと笑った。

「懐かしいな」

「そうやね」

「また花、見に行こうな」

 その言葉が嬉しくて、私は小さくうなずいた。

「……うん」

 たったそれだけの会話なのに、胸の奥が温かくなる。

 私は、神志那くんと話す時間が好きだった。


 昼休み。

 友達と話していると、ふと神志那くんの姿が目に入った。

 友達に囲まれて、楽しそうに笑っている。

 その笑顔を見るだけで、私まで嬉しくなる。

 でも、同時に胸が少しだけ苦しくなった。

 神志那くんが誰かと楽しそうに話していると、なんだか落ち着かない。

 どうしてだろう。

 そんな自分の気持ちに気づいて、私は慌てて目をそらした。

「明凛?」

「えっ、なに?」

「神志那くん見よったやろ?」

「み、見てないよ!」

「ほんとかなあ?」

 友達はにやにやしている。

「もう……!」

 私は顔を隠すように、両手で頬を押さえた。

 好き。

 その気持ちは、もう自分でもわかっていた。

 だけど、神志那くんはどう思っているんだろう。

 私と同じ気持ちだったらいいのに。

 そんなことを考えてしまう。


 放課後。

 美術部の活動を終えた私は、スケッチブックを抱えて花壇へ向かった。

 秋の花が、風に揺れている。

 夏のひまわりが咲いていた場所には、季節の変化が少しずつ現れていた。

 花壇のそばに、神志那くんがいた。

「あ、明凛」

「神志那くん。お花のお世話?」

「うん。ちょっと様子を見よった」

 私は隣に立って、花壇を眺めた。

「夏のひまわり、種ができたね」

「そうやな。来年また植えられるように、ちゃんと残しとこうと思って」

「来年も咲くの、楽しみやね」

「うん」

 神志那くんは、花を見ながら優しく笑った。

 その横顔を見ていると、胸がいっぱいになった。

 もっと話したい。
 もっと一緒にいたい。

 でも、何を言えばいいのかわからない。

 私はスケッチブックを開き、花壇を描き始めた。

「また描きよん?」

「うん。秋の花壇も残しておきたくて」

「明凛の絵、楽しみやな」

 神志那くんの言葉に、私は思わず顔を上げた。

「……ほんと?」

「うん。明凛が描く花、好きやけん」

 心臓が大きく跳ねた。

 花が好き。

 それは、絵のことだとわかっている。

 それでも、嬉しかった。

「ありがとう……」

 私は照れながら、鉛筆を動かした。


 しばらくして、神志那くんが私の絵を覗き込んだ。

「ここ、いいな」

「どこ?」

「花の向き。風が吹いちょる感じがする」

「ほんと? 風を描くのって難しいんよね」

「でも、伝わるよ」

 私は嬉しくて、自然と笑顔になった。

 神志那くんも笑ってくれる。

 その瞬間、私は思った。

 この時間が、ずっと続けばいいのに。


 帰り道。

 校門を出て、二人で歩いた。

 夕方の空は、少しずつオレンジ色に染まっている。

「明凛」

「なに?」

「最近、よく花壇に来るな」

「あ……うん」

 私は少し迷った。

 本当の理由を言ってしまいたかった。

 花を見るのも好き。
 絵を描くのも好き。

 でも、それだけじゃない。

 神志那くんと一緒にいたいから。

 その言葉が喉まで出かかった。

 けれど、恥ずかしくて言えなかった。

「……花を描くの、好きやけん」

 私はそう答えた。

「そっか」

 神志那くんはうなずいた。

「また一緒に見ような」

 私は顔を上げた。

「うん!」

 今度は、迷わず返事ができた。


 家に帰ってから、私はスケッチブックを開いた。

 今日描いた花壇の絵。

 その隅に、小さく文字を書き添える。

『神志那くんと、秋の花を見た日』

 書き終えて、私はそっと鉛筆を置いた。

 そして、胸に手を当てる。

 神志那くんと一緒にいると、嬉しい。

 笑顔を見ると、もっと見ていたくなる。

 また会いたいと思う。

 この気持ちを、いつか伝えたい。

 でも、もし伝えて、今の関係が変わってしまったら。

 そう考えると、少し怖かった。

 私はスケッチブックを閉じ、窓の外を見た。

 秋の夜空に、月が静かに浮かんでいる。

 今はまだ、心の中にしまっておこう。

 いつか、ちゃんと伝えられる日が来るまで。

 秋の月明かりの下で、私は神志那くんへの想いを、そっと抱きしめた。
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