春の月明かり

夏休み、君とひまわりの花

終業式の日。

教室には、いつもより少しだけ浮き立った空気が流れていた。

「明日から夏休みだね!」

友達の声に、明凛は頷いた。

「うん。宿題、いっぱい出るかな……」

「それは絶対出るでしょ」

ふたりで笑い合っていると、隣の席から声がした。

「和泉さん」

振り向くと、神志那くんがこちらを見ていた。

「夏休みの予定、決まった?」

「まだ、あんまり。神志那くんは?」

「園芸部の水やりに来る日があるよ」

「あ、そっか」

明凛は、スケッチブックを抱え直した。

この前、ひまわりを見ながら交わした約束。

夏休みにも、花を見せてくれると言ってくれた。

「……あのね」

「うん?」

「また、ひまわりを見に行ってもいい?」

神志那くんは、すぐに頷いた。

「もちろん。今、花壇に植えてるひまわりがあるんだ」

「そうなの?」

「うん。そろそろ花が咲くころだと思う」

明凛の顔が、自然と明るくなった。

「見に行きたい!」

「じゃあ、園芸部に来る日に一緒に見よう」

「楽しみ!」

「俺も」


夏休みが始まって、数日が過ぎた。

朝から蝉の声が響き、空には大きな入道雲が浮かんでいた。

明凛は、神志那くんと約束した日を迎えると、スケッチブックと鉛筆を鞄に入れた。

それから、七夕にもらったネモフィラのハンカチをそっとしまう。

玄関を出ると、夏の日差しがまぶしかった。

学校に着くと、花壇のそばに神志那くんがいた。

「和泉さん!」

彼が手を振る。

「神志那くん!」

明凛も小さく手を振り返した。

「来てくれてありがとう」

「ううん。私も、ひまわり見たかったから」

「じゃあ、こっち」

神志那くんは、花壇の奥へと案内してくれた。


花壇の前まで来ると、明凛は足を止めた。

そこには、背の高いひまわりが何本も並んでいた。

青い空に向かって、黄色い花びらを大きく広げている。

夏の光を受けた花は、まるで太陽そのもののようだった。

「わあ……!」

明凛は、思わず声を上げた。

「きれい……」

「咲いたね」

神志那くんは、嬉しそうにひまわりを見上げた。

「神志那くん、このひまわり……育てたの?」

「うん」

「学校で種を植えたの?」

明凛が尋ねると、神志那くんは首を横に振った。

「種は、家で植えたんだ」

「家で?」

「うん。最初は小さな種だったよ」

彼は、ひまわりの根元に目を向けた。

「家で芽が出て、苗になるまで育ててたんだ。それから、植え替えられる時期を見て、学校の花壇に植えた」

「そうだったんだ……!」

明凛は、もう一度ひまわりを見つめた。

「いつ植え替えたの?」

「苗が育ってから、時期を見てね。花壇の様子も見ながら植えたんだ」

「ちゃんと考えて植え替えたんだね」

「うん。植え替えたばかりのころは、ちゃんと根づくか少し心配だった」

神志那くんは、ひまわりの葉を見つめた。

「でも、少しずつ大きくなって、つぼみができて……」

「それで、今、こんなにきれいに咲いたんだね」

「うん」

彼は、照れたように笑った。

「やっぱり、花が咲くと嬉しいよ」

明凛は、その横顔を見つめた。

小さな種から始まったひまわり。

家で芽を出して、苗になって。

植え替える時期を見計らって、学校の花壇へ。

そして今、青空の下で大きな花を咲かせている。

「……すごいね」

「そうかな?」

「うん。神志那くんが、ずっと大切に育ててきたんだなって思った」

神志那くんは、少しだけ目を細めた。

「ありがとう」

明凛は、スケッチブックを開いた。

「ねえ、神志那くん」

「ん?」

「このひまわり、描いてもいい?」

「もちろん」

「種から育てたことも、覚えておきたいな」

神志那くんは少し驚いたあと、優しく笑った。

「うん。俺も、覚えておきたい」


明凛は花壇の前に腰を下ろし、スケッチブックを膝の上に広げた。

鉛筆の先が、白い紙の上を走り始める。

最初に、ひまわりの大きな輪郭を描く。

それから、花びらを一枚ずつ重ねていった。

大きな花の中心。

何枚も重なる黄色い花びら。

太陽の光を受けた葉っぱ。

ひとつずつ、目に映るものを紙の上に残していく。

「……うーん」

明凛は少し首を傾げた。

「どうしたの?」

「ひまわりって、思ってたより難しいね」

「そう?」

「うん。花びらがいっぱいあるし、真ん中の模様も細かいし……」

神志那くんは、明凛のスケッチブックを覗き込んだ。

「でも、もうひまわりってわかるよ」

「ほんと?」

「うん。和泉さんが見てるひまわりって感じがする」

その言葉に、明凛の頬が少し熱くなった。

「……ありがとう」

彼は、ひまわりに目を戻した。

「俺も写真、撮ろうかな」

「うん!」

神志那くんは、スマートフォンを取り出した。

花の正面から一枚。

少し離れた場所から、花壇全体を一枚。

それから、ひまわりの葉や茎も写真に収めた。

「そういえば、種を植えたときも写真を撮ったの?」

明凛が尋ねると、神志那くんは頷いた。

「うん。芽が出たときも、苗になったときも撮ったよ」

「見てみたい!」

「いいよ」

神志那くんは、スマートフォンの画面を明凛に見せた。

そこには、小さな鉢に植えられたひまわりの芽が写っていた。

まだ細くて、葉っぱも小さい。

次の写真では、葉が増えて、茎も少しずつ伸びていた。

さらに次の写真では、しっかりとした苗になっている。

「わあ……こんなに小さかったんだ」

「うん」

「これが、今のひまわりになるんだね」

明凛は、画面と花壇のひまわりを見比べた。

「なんだか、不思議」

「毎日見てると、少しずつ大きくなっていくんだよ」

「神志那くんは、毎日お水をあげてたの?」

「うん。土の様子を見ながらね」

「大切に育ててたんだね」

「……そうだね」

神志那くんは、少し照れたように笑った。

明凛は、その笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。

花を育てる神志那くん。

花の変化を写真に残す神志那くん。

そして、その姿を絵に描きたいと思う自分。

ふたりの好きなことが、少しずつ重なっていく気がした。


「ねえ、神志那くん」

「ん?」

「私も、今日のことを絵に残したいな」

「うん」

「ひまわりだけじゃなくて……種から育てたことも、ちゃんと覚えておきたい」

神志那くんは、明凛のスケッチブックを見た。

「和泉さんの絵って、見てるとそのときの景色を思い出せるんだよね」

「……そう?」

「うん。だから、完成するの楽しみにしてる」

明凛は、嬉しくて少しだけ笑った。

「頑張って描くね」

「うん」


しばらくして、明凛は鉛筆を置いた。

まだ描きかけだけれど、ひまわりの形は少しずつできあがっていた。

「ちょっと休憩しようかな」

「そうだね。暑いし」

ふたりは花壇の近くの日陰に移動した。

明凛は水筒を取り出して、一口飲んだ。

「暑いね」

「うん。夏って感じ」

神志那くんも水を飲み、空を見上げた。

「ひまわり、青空が似合うね」

「うん。すごく似合う」

明凛は、さっき描いたスケッチを見つめた。

「春のネモフィラとは、全然違うね」

「そうだね」

「ネモフィラは、小さくて可愛い感じだけど……ひまわりは、元気をもらえる感じがする」

「わかる気がする」

神志那くんは、少し考えてから言った。

「花によって、見てるときの気持ちも変わるよね」

「うん」

明凛は、彼の横顔を見た。

花を見つめる神志那くんは、いつも穏やかだった。

その表情を見ていると、自分まで落ち着く気がする。

「神志那くん」

「ん?」

「また、こうやって一緒に花を見たいな」

言ってから、明凛は少し恥ずかしくなった。

けれど、神志那くんは優しく頷いた。

「うん。また見よう」

その返事が嬉しくて、明凛は笑った。


ひと休みしたあと、神志那くんが立ち上がった。

「もう少し、別の花も見ていく?」

「いいの?」

「うん。夏の花も、いろいろ咲いてるから」

ふたりは花壇をゆっくり歩いた。

小さな花を見つけて立ち止まったり、葉っぱの形を眺めたりした。

神志那くんは、花の名前や、つぼみができたころのことを教えてくれた。

明凛は、その話を聞きながら、スケッチブックに小さなメモを書き込んだ。

「神志那くんって、ほんとにお花が好きなんだね」

「うん。育ててると、毎日少しずつ変わっていくから」

「その変化を見てるのが好き?」

「そうだね」

彼は、花壇の花を見つめた。

「咲いたときも嬉しいけど、咲くまでの時間も好きなんだ」

明凛は、その言葉を心の中で繰り返した。

咲くまでの時間。

それは、今の自分にも少し似ている気がした。

神志那くんと話すようになってから、毎日が少しずつ変わっている。

隣の席で話すこと。

放課後に花を見ること。

絵を褒めてもらうこと。

七夕に、ネモフィラのハンカチをもらったこと。

ひとつひとつの出来事が、明凛の心に積み重なっていた。


帰る時間が近づいてきた。

校門へ向かう途中、明凛はスケッチブックを胸に抱えた。

「今日はありがとう」

「ううん。俺も楽しかった」

「ひまわり、また描くね」

「うん。完成したら見せて」

「……見てくれる?」

「もちろん」

神志那くんは、いつもの穏やかな笑顔を見せた。

明凛は、その笑顔を見て、少しだけ勇気を出した。

「じゃあ……また一緒に花を見に来てもいい?」

「うん。いつでも」

その言葉に、明凛の胸が温かくなった。

「約束ね」

「約束」

ふたりは笑い合った。


家に帰ると、明凛はすぐに机に向かった。

スケッチブックを開き、今日描いたひまわりを見つめる。

まだ完成には遠い。

けれど、今日の青空も、夏の風も、神志那くんの笑顔も、ちゃんと覚えていた。

明凛は鉛筆を持ち直し、ひまわりの花びらを少しずつ描き足していった。

黄色い花びらの向こうに、青い空を塗る。

その隣には、花を見上げる神志那くんの横顔を描いた。

そして、ページの端に、小さな鉢に植えられたひまわりの芽も描き加えた。

種から芽が出て、苗になって。

学校の花壇に植え替えられて、花が咲くまで。

神志那くんが大切に育ててきた時間も、絵の中に残したかった。

描き終えたページの端に、明凛はそっと文字を書いた。

『夏休み、神志那くんとひまわりを見た日』

その下に、もうひとつ言葉を添えた。

『小さな種から、大きな花へ』

明凛は、その文字を見つめて微笑んだ。

それから、七夕にもらったネモフィラのハンカチを取り出した。

淡い水色の花。

春に出会った、思い出の花。

そして、夏に一緒に見た、ひまわり。

季節が変わるたびに、神志那くんとの思い出が増えていく。

明凛は、ハンカチを大切に畳んだ。


窓の外では、蝉の声が響いていた。

夏の花は、今だけのもの。

けれど、ひまわりは、また来年の夏にも咲く。

その次の年も、またその先の年も。

毎年、季節が巡ってくるたびに、きれいな花を見られる。

そう思うと、明凛の心は嬉しさでいっぱいになった。

「……来年も、咲くといいな」

小さく呟いて、スケッチブックのひまわりを見つめる。

今年のひまわりは、今年だけの思い出。

でも、来年のひまわりには、また新しい思い出ができるかもしれない。

神志那くんと一緒に、花が咲くのを見られたら。

また、隣で絵を描けたら。

そして、来年も、その先も。

毎年、きれいな花を一緒に見られたら。

明凛は、そっと微笑んだ。

夏休みは、まだ始まったばかり。

これから、どんな景色を一緒に見られるのだろう。

スケッチブックの中のひまわりは、青い空に向かって、明るく咲いていた。

その花を見つめながら、明凛は心の中でそっと願った。

来年も、また一緒に見られますように。

そして、これからも。

毎年、きれいな花を見られますように。
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