春の月明かり

君とみつけた、夏の花

夏休みのある日。

明凛は、机の上に広げたスケッチブックを見つめていた。

そこには、学校の花壇に咲いていたひまわりが描かれている。

大きな黄色い花びら。
太陽に向かって伸びる茎。
風に揺れる葉っぱ。

そして、その隣には、花の説明をしている麗の横顔が描かれていた。

「……神志那くん」

明凛は、鉛筆を持ったまま小さくつぶやいた。

あの日、はーちゃんがお花を見に行きたいと言って、学校の花壇へ連れていった。

麗は、はーちゃんの目線に合わせてしゃがみ、花の名前や色、育ち方をひとつひとつ説明していた。

何度質問されても、嫌な顔ひとつしなかった。

はーちゃんが嬉しそうに笑うと、麗も優しく笑っていた。

その姿を見て、明凛は気づいたのだった。

自分が、麗のことを好きだということに。

「好き、なんだよね……」

口に出してみると、胸がどきどきした。

今までは、麗と一緒に花を見る時間が好きだった。

隣の席で話すことも、絵を褒めてもらうことも、帰り道に一緒に歩くことも。

全部、嬉しかった。

でも、今は少し違う。

麗の顔を見るだけで、胸が落ち着かなくなる。

優しく笑いかけられると、どうしていいかわからなくなる。

「……どうしよう」

明凛は、スケッチブックをそっと閉じた。

好きだと気づいたら、今までみたいに自然に話せなくなりそうだった。

それでも、麗に会いたい。

その気持ちは、どうしても消えなかった。

***

「明凛ちゃーん!」

部屋の外から、はーちゃんの声が聞こえた。

「どうしたの?」

明凛が顔を出すと、はーちゃんは嬉しそうに駆け寄ってきた。

「はーちゃん、お花を見に行きたい!」

「またお花?」

「うん! この前のひまわり、また見たいの!」

はーちゃんは、明凛の手をぎゅっと握った。

「おっきくて、黄色くて、きれいだったもん!」

「そっかあ……」

明凛は、困ったように笑った。

はーちゃんがお花を見たい気持ちはよくわかる。

でも、また学校の花壇へ行ったら、麗に会えるかもしれない。

そう思った途端、胸がどきっとした。

「ねえ、明凛ちゃん。行こうよ!」

はーちゃんは、明凛の手を引っ張った。

「はーちゃん、そんなに引っ張らないで」

「だって、お花が見たいんだもん!」

「うーん……」

明凛は少し考えてから、はーちゃんの顔を見た。

「じゃあ、また学校の花壇に行ってみようか」

「やったあ!」

はーちゃんは、ぴょんと跳ねた。

明凛は、はーちゃんの手を握り返した。

麗に会えるかもしれない。

そう考えている自分に気づいて、また頬が熱くなった。

***

学校の花壇に着くと、夏の太陽の下でひまわりが大きく咲いていた。

「わあ! ひまわり!」

はーちゃんは、花壇の前で嬉しそうに声を上げた。

「きれい!」

「うん。きれいだね」

明凛も、ひまわりを見上げた。

黄色い花びらが、夏の空に向かって広がっている。

そのとき。

「明凛?」

聞き覚えのある声がした。

振り向くと、麗が花壇の向こうから歩いてきた。

「神志那くん……!」

思わず声が少し大きくなってしまった。

麗は、いつものように穏やかに笑った。

「また来てくれたんだね」

「う、うん。はーちゃんが、ひまわりを見たいって」

明凛が答えると、はーちゃんは麗のほうへ駆け寄った。

「麗くん! ひまわり、また見に来たよ!」

「そっか。気に入ってくれたんだね」

麗は、はーちゃんの目線に合わせてしゃがんだ。

「今日は、前より花が開いているところもあるよ」

「ほんと?」

「うん。ほら、こっちを見てごらん」

麗は、ひまわりを傷つけないように気をつけながら、そっと指をさした。

「この花、前に見たときより花びらが広がっているんだ」

はーちゃんは、じっと花を見つめた。

「ほんとだ!」

「ひまわりは、毎日少しずつ変わっていくんだよ」

麗は、優しく説明した。

「花が咲くまでにも時間がかかるし、咲いてからも少しずつ姿が変わるんだ」

「お花って、すごいね!」

「うん。だから、何度も見に来ると、前と違うところに気づけるんだよ」

はーちゃんは、何度もうなずいた。

「また見に来たい!」

「うん。また来ようね」

麗は、はーちゃんの頭をそっとなでた。

明凛は、その姿を見つめていた。

やっぱり、優しい。

花のことを話すときの麗は、本当に楽しそうだった。

はーちゃんがわかるように、ゆっくりと説明してあげる。

小さな疑問にも、ちゃんと答えてあげる。

はーちゃんが嬉しそうにすると、麗も嬉しそうに笑う。

その笑顔を見ていると、明凛の胸が温かくなった。

「明凛?」

麗がこちらを振り向いた。

「どうしたの?」

「えっ?」

明凛は、慌てて首を横に振った。

「な、なんでもないよ」

「そう?」

「うん」

麗は少し不思議そうにしながらも、優しく笑った。

「明凛も、ひまわりを見ていく?」

「……うん」

明凛は、ゆっくりと麗の隣に立った。

二人の目の前で、ひまわりが夏の風に揺れている。

「この前、明凛が描いてくれた絵、覚えてる?」

麗が尋ねた。

「うん。覚えてるよ」

「ひまわりも、明凛が描くとどんなふうになるのかなって思って」

「……私の絵?」

「うん。明凛の絵、好きだから」

その言葉に、明凛の心臓が大きく跳ねた。

好き。

麗が、自分の絵を好きだと言ってくれた。

それだけなのに、胸がいっぱいになってしまう。

「……ありがとう」

明凛は、顔を少し赤くしながら答えた。

「また、描いてもいい?」

「もちろん」

麗は、嬉しそうに笑った。

「楽しみにしてる」

明凛は、スケッチブックを取り出した。

ひまわりを描こう。

夏の空を描こう。

そして、隣にいる麗のことも。

そう思いながら、鉛筆を動かし始めた。

***

しばらくすると、はーちゃんが明凛のスケッチブックをのぞき込んだ。

「わあ! 明凛ちゃん、ひまわり描いてる!」

「うん」

「はーちゃんも描いて!」

「いいよ。どこに描こうか?」

「ここ!」

はーちゃんは、ひまわりの隣を指さした。

明凛は笑いながら、小さな花を描き足した。

「できたよ」

「わあ! かわいい!」

はーちゃんは、嬉しそうに手を叩いた。

麗も、スケッチブックをのぞき込んだ。

「いいね。はーちゃんも、ひまわりも、すごくかわいく描けてる」

「ほんと?」

「うん」

麗は、明凛に目を向けた。

「明凛の絵って、見ていると、そのときのことを思い出せるんだよね」

「そのときのこと?」

「うん。花の色とか、風の感じとか、一緒にいた人のこととか」

麗は、少し照れたように笑った。

「だから、明凛の絵を見るのが好きなんだ」

明凛は、鉛筆を持つ手を止めた。

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

麗は、明凛の絵をただ褒めてくれるだけじゃない。

そこに残した思い出まで、大切にしてくれている。

「……神志那くん」

「ん?」

「私もね」

明凛は、少しだけ勇気を出して言った。

「神志那くんと一緒にお花を見る時間、好きだよ」

言ってから、顔が熱くなった。

好き。

その言葉を口にしただけで、胸がどきどきする。

麗は少し驚いたあと、穏やかに笑った。

「俺も、明凛と一緒に花を見るの、好きだよ」

明凛は、思わず麗を見つめた。

「……ほんと?」

「うん」

麗は、ひまわりに目を向けた。

「また、いろんな花を一緒に見ようね」

「……うん!」

明凛は、嬉しくて笑った。

まだ、自分の気持ちを全部伝えることはできない。

でも、こうして麗と一緒にいられることが、何よりも嬉しかった。

***

帰り道。

はーちゃんは、今日見たひまわりの話を楽しそうにしていた。

「ひまわり、また見たいね!」

「そうだね」

明凛は、はーちゃんの手を握りながら答えた。

少し前を歩く麗が、振り返った。

「明凛、また絵を見せてね」

「うん。できたら見せるね」

「楽しみにしてる」

麗は笑って、また前を向いた。

明凛は、その背中を見つめた。

好きになったことに気づいてから、麗の何気ない言葉ひとつひとつが、前よりも大切に感じられる。

優しい声。

穏やかな笑顔。

花を大切にする手。

その全部が、好きだった。

明凛は、スケッチブックを胸に抱きしめた。

今日のひまわりも、麗の笑顔も、忘れたくない。

いつか、この気持ちを伝えられる日が来るのだろうか。

まだわからない。

それでも、明凛は思った。

これからも、麗と一緒に花を見たい。

来年も、その次の年も。

夏の空の下で、二人の歩く道に、ひまわりの黄色い花が揺れていた。

明凛の胸の中にも、麗への想いが、ゆっくりと花開いていた。
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