『氷の王子は、地味子のパレットに溺れたい』
放課後。

きっかり一時間の貸出業務を終えると、図書室から最後の生徒が出ていった。

「ありがとうございました……」

扉が閉まる。
しん、と静寂が降りた。

時計を見る。
午後五時過ぎ。

司書の先生も職員室へ戻っている。
他の図書委員も、今日はもういない。

私はカウンターからそっと顔を出した。

右。
左。
誰もいない。

(……よし)

胸の奥が、途端に軽くなる。

私は鞄を膝の上に置き、ファスナーを開けた。

教科書の下。
さらに無地のポーチの下。

そこから、大切なiPadを取り出す。

画面を点けた瞬間。
世界が変わった。

そこには、教室の「上白木虹々」はいない。

私はアプリを開く。
通知。
通知。
通知。
画面いっぱいに数字が並ぶ。

フォロワー数――五十万を少し超えたところ。

表示されている名前は、
『ナナイロ』。

それが、誰にも知られていない私のもう一つの名前だった。

私は自分の言葉が嫌いだ。
言おうとすると喉につかえる。

頭の中ではちゃんと分かっているのに、口から出した瞬間、ひどく薄っぺらいものになってしまう。

でも。
色なら違った。

寂しい青。
胸が焦げるような赤。
触れたら壊れそうな白。
言葉にならない恋の桃色。

色なら、嘘をつかなくていい。
だから私は描く。

誰にも言えないものを、全部。
キャンバスの中だけは、誰にも遠慮しない。

そこだけが、私が私でいられる場所だった。

昨日投稿したイラストを開く。

コメント欄には、たくさんの言葉が届いていた。

『色が綺麗すぎます』
『泣きました』
『ナナイロ先生の絵、大好き』

胸の奥が、じんわり温かくなる。

現実では、誰にも気づかれない。
でも画面の向こうでは、こんなにもたくさんの人が私の色を見つけてくれる。

そして。
ピコン。
新しい通知が一番上に現れた。

『R_Kがあなたの投稿をいいねしました』

「……ふふっ」

思わず笑ってしまった。

(今日も早い)

R_K。

私がまだフォロワー数千人だった頃から作品を見続けてくれている、古参中の古参。

限定グッズはほぼ必ず購入。
投稿すれば異常な速度でいいね。
そして何より――感想がすごい。

『今回、影に青紫を入れたのって、人物の寂しさを出すためですか? 暖色の夕焼けの中でそこだけ温度が低く見えて、笑ってるのに置いていかれる感じがして好きです』

最初にその文章を読んだとき、しばらく画面を見つめた。

そこまで気づいてくれた人は、初めてだった。

誰にも説明していない。
説明するつもりもなかった。
それなのに、R_Kだけは見つけてくれた。

私が色の奥に隠した、本当の気持ちを。

(……不思議な人)

顔も知らない。
年齢も知らない。
名前も知らない。
それなのに。

現実で毎日顔を合わせている誰よりも、私のことを知っている気がした。
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