その青は沈む
 それから次の休みを貰ったときには、夏の日差しが照り返す頃だった。スタジオに行って、妹に軽く挨拶をしてから、すぐに個室へ向かった。そしたら、彼は雑誌を見ていたようで、それを機材の近くに置いて、僕を見てから、ソファーに座れと合図した。

『出たよ、俺様』と思いながら、ソファーに座った。けど、テーブルの上に置かれた赤い縁取りの紙を見て、すぐに言った。

「なにこれ」

「お願いします。おにいさん」
 彼は棒読みで言ったけど、声は優しかったし、万年筆を差し出されたから、それを手にして、間違いないように、空欄を見ていた。

『急にどうした? なんか拾って食ったか?』と疑って見たら、彼は椅子に座って、雑誌を見ながら、ときどきニヤついていた。その雑誌をよく見たら、たまごクラブだった。

「お前、まさか……」思わず席を立っていた。

「順番があるのは分かる。悪いと思ってる。殴るなら受ける」
 彼の目は真っ直ぐに僕を見ていた。けど、僕はソファーに座り直した。

『真面目な顔して、たまごクラブ持って、説得力ねぇだろ』と思いながら、万年筆を持って、続きを書きつつ聞いた。

「柚月の体調は?」

「問題ない。無理しないように言ってある」彼はそう言って、雑誌を膝に乗せて、煙草を吸った。

「禁煙しろよ……」思ったより口に出していた。けど、彼は聞こえない振りをして、また雑誌に目を向けた。

 そんな彼をちらちらと見ながら、万年筆を手にして、空欄を埋めていく。軽く握っているだけなのに、とても書き心地がよかった。ペン先は新しくなってたけど、持ち手の部分は色褪せていた。それは、お札一枚では買えない代物だと思った。

 僕はペンにこだわりはないけど、彼はペンもそうだし、ジッポも車も大事にしているようだ。よく思い出してみたら、昔の部屋も必要な物しかなかった。けど、あの部屋にあった赤いマウンテンバイクが、二人の家の駐車場の後ろのほうに停められていた。

 空欄を慎重に書いたあとで、彼に聞いてみた。

「式は? 挙げるの?」

「予定には入れてるけど、体調次第だ」彼はそう言って、重そうな息を吐き出した。

 多分、彼も予想できなかった。いや、誰にもそんなことはできない。

 いつだって物事が起きたときには、余裕なんてなくなるものだ。

『また、煙草吸おうとしてる……』と思ったけど、初めてのことだし、落ち着かないのも分かる。でも僕が言えるのは、ただ一つだった。

「僕にできることがあったら、すぐに言って」

「当たり前だ。こき使うぞ」彼はそう言って、今度はポケットから、小さな棒付きの飴を出した。フィルムを丁寧に剥がしてから、口に放り込んで、椅子に深く沈んだ。
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