擬態
ミス
目覚まし時計が鳴らない朝というのは素晴らしい。
「行ってこい」
「了解」
スーツ姿のアキラを送り出し、俺は玄関の鍵を閉めた。
これで終わりだ。
今日から俺の仕事は、アキラが仕事をしてくるのを待つこと。
つまり、何もしなくていい。
これから毎日、アキラが勝手に会社へ行き、勝手に働き、勝手に給料を稼いで帰ってくる。
俺は好きな時間に起きて、好きなことをして、好きな時間に寝ればいい。
自由だ。
とりあえず自由初日を記念して昼から酒でも飲もうかと思ったが、その前にソファへ寝転がった。
昼間のテレビは驚くほどつまらなかった。
こんなものを毎日見られる。
最高だ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
目を覚ましたのはチャイムの音だった。
時計を見る。
18時。
「……誰だよ」
俺の家に客なんて珍しい。
居留守を使おうかとも思ったが、もう一度チャイムが鳴った。
仕方なく玄関を開ける。
「あ、明人さん!」
近所に住んでいる女性だった。
顔は知っている。
名前は知らない。
「先程はありがとうございました」
「……は?」
女性は頭を下げると、菓子折りを差し出してきた。
「これ、大したものじゃないんですけど」
「はあ」
何のことか分からない。
だが、くれるというのなら断る理由もない。
「どうも」
受け取って扉を閉めた。
菓子折りをテーブルに置く。
何かしただろうか。
いや、していない。
今日は一歩も外に出ていない。
人違いだろう。
そう結論づけたところで、またチャイムが鳴った。
「明人さん、今日は助かったよ!」
今度は商店街の魚屋だった。
魚をもらった。
10分後。
八百屋が来た。
野菜をもらった。
さらに肉屋が来た。
肉をもらった。
「…………」
テーブルの上が豊かになっていく。
悪い気はしない。
だが、意味が分からない。
共通しているのは、全員が近所の商店街の人間だということ。
そして全員が、
「ありがとう」
「助かった」
「また頼むよ」
と口々に俺へ礼を言って帰っていく。
「何なんだよ……」
時計を見る。
20時。
そういえば。
アキラが帰ってこない。
会社の定時は十七時半だ。
初日から三時間近い残業。
「……あいつら」
まさか、アキラを好き放題こき使ってるんじゃないだろうな。
いや、あり得る。
あの会社ならあり得る。
証拠さえあれば何かに使えるかもしれない。
アキラの両目には記録用のカメラが内蔵されている。
俺はパソコンを起動し、アキラから送られてくる映像記録を開いた。
朝。
通勤。
問題なし。
会社へ到着。
ここも問題なし。
そして出社から数分後。
『おはよう!』
部長だ。
『おはようございます!』
社員たちが返す。
アキラは、
『…………』
無言だった。
俺は額を押さえた。
「そこは挨拶しろよ……」
『おい! 明人!』
部長がアキラを睨んだ。
『なぜ挨拶しない!』
『…………』
『おい! 何を無視してるんだ! 挨拶をしろと言ってるだろ!』
アキラは部長を見ている。
それでも動かない。
『俺の言うことが聞けないのか!』
その瞬間。
アキラが反応した。
『!! おはようございます!!』
「……ん?」
『ふん。分かればいいんだ。ついでにコーヒーでも入れてこい』
『かしこまりました』
「…………ん?」
嫌な予感がした。
映像の中でアキラが給湯室へ向かおうとする。
すると近くにいた社員が声をかけた。
『あ、俺もついでにいい?』
アキラが止まる。
『かしこまりました』
別の社員が笑った。
『俺も欲しい』
『かしこまりました』
『じゃあ俺にもくれ!』
『かしこまりました』
「おい」
俺は画面に顔を近づけた。
「おいおいおい」
何となく分かってきた。
俺はアキラに、
俺の言うことを聞け。
そう命令した。
俺が言う「俺」とは、当然、明人である俺のことだ。
だがアキラは違った。
最初は部長の命令を無視していた。
ところが部長が「俺の言うことを聞け」と言った。
そして別の人間も「俺」と言った。
また別の人間も「俺」と言った。
その結果。
アキラは学習した。
どうやらこいつの中で、「俺」は俺だけを指す言葉ではなくなったらしい。
人間が自分自身を指す言葉。
そして俺の命令を聞くよう設定されたアキラは、その対象を拡大した。
「……まさか」
俺は映像を早送りした。
17時30分。
アキラが会社を出る。
残業ではなかった。
きっちり定時退社している。
「じゃあ何で帰ってこないんだよ」
その答えは、すぐに分かった。
『誰かー! そいつを捕まえて!』
聞き覚えのある声。
夕方、菓子折りを持ってきた近所の女性だ。
男がバッグを抱えて走っている。
ひったくりらしい。
アキラが走り出した。
「おい」
あっという間に追いつく。
「おい!」
ひったくり犯を取り押さえる。
「お前何してんだよ!」
もちろん画面の中のアキラには聞こえない。
映像を進める。
商店街。
『明人君! ちょうどよかった、これ運ぶの手伝ってくれないか?』
『かしこまりました』
「だから聞くな!」
魚屋。
『悪い、こっちも頼めるか?』
『かしこまりました』
「帰ってこい!」
八百屋。
『これ、店先に並べてくれる?』
『かしこまりました』
「お前は俺のロボットだろ!」
肉屋。
さらに知らない老人。
また別の店。
頼まれる。
働く。
頼まれる。
働く。
そして22時過ぎ。
『兄ちゃん……悪いなぁ……』
酔っ払ったサラリーマンがアキラにもたれかかっていた。
『家まで……送ってくれぇ……』
『かしこまりました』
「もういいって!!」
俺の叫びが部屋に響いた。
そのサラリーマンを自宅まで送り届けたあと、アキラはようやく帰路についていた。
俺は映像を止めた。
テーブルを見る。
菓子。
魚。
野菜。
肉。
今日1日、俺が寝ている間にアキラが稼いだ戦利品だった。
玄関の鍵が開く音がした。
時計を見る。
23時を過ぎている。
「ただいま帰りました」
俺と同じ顔が、何事もなかったように立っている。
「…………」
「…………」
俺は数秒、アキラを見つめた。
数年。
数年かけたのだ。
俺だけの命令を聞き、俺の代わりに働く完璧なロボットを作るために。
それが社会に出して1日。
たった1日で。
「……なんで人類全員の言うこと聞くようになってんだよ」
「?」
アキラが首を傾げた。
俺は頭を抱えた。
とんでもないミスをした。
俺のためだけに作ったロボットが。
よりにもよって。
誰にでも親切な男になって帰ってきた。
「行ってこい」
「了解」
スーツ姿のアキラを送り出し、俺は玄関の鍵を閉めた。
これで終わりだ。
今日から俺の仕事は、アキラが仕事をしてくるのを待つこと。
つまり、何もしなくていい。
これから毎日、アキラが勝手に会社へ行き、勝手に働き、勝手に給料を稼いで帰ってくる。
俺は好きな時間に起きて、好きなことをして、好きな時間に寝ればいい。
自由だ。
とりあえず自由初日を記念して昼から酒でも飲もうかと思ったが、その前にソファへ寝転がった。
昼間のテレビは驚くほどつまらなかった。
こんなものを毎日見られる。
最高だ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
目を覚ましたのはチャイムの音だった。
時計を見る。
18時。
「……誰だよ」
俺の家に客なんて珍しい。
居留守を使おうかとも思ったが、もう一度チャイムが鳴った。
仕方なく玄関を開ける。
「あ、明人さん!」
近所に住んでいる女性だった。
顔は知っている。
名前は知らない。
「先程はありがとうございました」
「……は?」
女性は頭を下げると、菓子折りを差し出してきた。
「これ、大したものじゃないんですけど」
「はあ」
何のことか分からない。
だが、くれるというのなら断る理由もない。
「どうも」
受け取って扉を閉めた。
菓子折りをテーブルに置く。
何かしただろうか。
いや、していない。
今日は一歩も外に出ていない。
人違いだろう。
そう結論づけたところで、またチャイムが鳴った。
「明人さん、今日は助かったよ!」
今度は商店街の魚屋だった。
魚をもらった。
10分後。
八百屋が来た。
野菜をもらった。
さらに肉屋が来た。
肉をもらった。
「…………」
テーブルの上が豊かになっていく。
悪い気はしない。
だが、意味が分からない。
共通しているのは、全員が近所の商店街の人間だということ。
そして全員が、
「ありがとう」
「助かった」
「また頼むよ」
と口々に俺へ礼を言って帰っていく。
「何なんだよ……」
時計を見る。
20時。
そういえば。
アキラが帰ってこない。
会社の定時は十七時半だ。
初日から三時間近い残業。
「……あいつら」
まさか、アキラを好き放題こき使ってるんじゃないだろうな。
いや、あり得る。
あの会社ならあり得る。
証拠さえあれば何かに使えるかもしれない。
アキラの両目には記録用のカメラが内蔵されている。
俺はパソコンを起動し、アキラから送られてくる映像記録を開いた。
朝。
通勤。
問題なし。
会社へ到着。
ここも問題なし。
そして出社から数分後。
『おはよう!』
部長だ。
『おはようございます!』
社員たちが返す。
アキラは、
『…………』
無言だった。
俺は額を押さえた。
「そこは挨拶しろよ……」
『おい! 明人!』
部長がアキラを睨んだ。
『なぜ挨拶しない!』
『…………』
『おい! 何を無視してるんだ! 挨拶をしろと言ってるだろ!』
アキラは部長を見ている。
それでも動かない。
『俺の言うことが聞けないのか!』
その瞬間。
アキラが反応した。
『!! おはようございます!!』
「……ん?」
『ふん。分かればいいんだ。ついでにコーヒーでも入れてこい』
『かしこまりました』
「…………ん?」
嫌な予感がした。
映像の中でアキラが給湯室へ向かおうとする。
すると近くにいた社員が声をかけた。
『あ、俺もついでにいい?』
アキラが止まる。
『かしこまりました』
別の社員が笑った。
『俺も欲しい』
『かしこまりました』
『じゃあ俺にもくれ!』
『かしこまりました』
「おい」
俺は画面に顔を近づけた。
「おいおいおい」
何となく分かってきた。
俺はアキラに、
俺の言うことを聞け。
そう命令した。
俺が言う「俺」とは、当然、明人である俺のことだ。
だがアキラは違った。
最初は部長の命令を無視していた。
ところが部長が「俺の言うことを聞け」と言った。
そして別の人間も「俺」と言った。
また別の人間も「俺」と言った。
その結果。
アキラは学習した。
どうやらこいつの中で、「俺」は俺だけを指す言葉ではなくなったらしい。
人間が自分自身を指す言葉。
そして俺の命令を聞くよう設定されたアキラは、その対象を拡大した。
「……まさか」
俺は映像を早送りした。
17時30分。
アキラが会社を出る。
残業ではなかった。
きっちり定時退社している。
「じゃあ何で帰ってこないんだよ」
その答えは、すぐに分かった。
『誰かー! そいつを捕まえて!』
聞き覚えのある声。
夕方、菓子折りを持ってきた近所の女性だ。
男がバッグを抱えて走っている。
ひったくりらしい。
アキラが走り出した。
「おい」
あっという間に追いつく。
「おい!」
ひったくり犯を取り押さえる。
「お前何してんだよ!」
もちろん画面の中のアキラには聞こえない。
映像を進める。
商店街。
『明人君! ちょうどよかった、これ運ぶの手伝ってくれないか?』
『かしこまりました』
「だから聞くな!」
魚屋。
『悪い、こっちも頼めるか?』
『かしこまりました』
「帰ってこい!」
八百屋。
『これ、店先に並べてくれる?』
『かしこまりました』
「お前は俺のロボットだろ!」
肉屋。
さらに知らない老人。
また別の店。
頼まれる。
働く。
頼まれる。
働く。
そして22時過ぎ。
『兄ちゃん……悪いなぁ……』
酔っ払ったサラリーマンがアキラにもたれかかっていた。
『家まで……送ってくれぇ……』
『かしこまりました』
「もういいって!!」
俺の叫びが部屋に響いた。
そのサラリーマンを自宅まで送り届けたあと、アキラはようやく帰路についていた。
俺は映像を止めた。
テーブルを見る。
菓子。
魚。
野菜。
肉。
今日1日、俺が寝ている間にアキラが稼いだ戦利品だった。
玄関の鍵が開く音がした。
時計を見る。
23時を過ぎている。
「ただいま帰りました」
俺と同じ顔が、何事もなかったように立っている。
「…………」
「…………」
俺は数秒、アキラを見つめた。
数年。
数年かけたのだ。
俺だけの命令を聞き、俺の代わりに働く完璧なロボットを作るために。
それが社会に出して1日。
たった1日で。
「……なんで人類全員の言うこと聞くようになってんだよ」
「?」
アキラが首を傾げた。
俺は頭を抱えた。
とんでもないミスをした。
俺のためだけに作ったロボットが。
よりにもよって。
誰にでも親切な男になって帰ってきた。