忘却華の契約婚

天照大御神様

「ほら、さっさと歩け」

 東雲は、私を急かすように強い口調で促した。

 私はその言葉に従い、そそくさと小走りで歩を進める。

(こんな格好だと歩きにくいんですけど!!!!!)

 喉元まで出かかった不満を、どうにか呑み込んだ。

 首には縄を掛けられ、両手首には手錠。おまけに裸足ときた。ひんやりとした床を素足で歩くのは、なかなかに酷な仕打ちである。

 それにしても、随分とぞんざいな扱いだ。

 東雲の後ろに付き従う者たちは、私を見てくすくすと忍び笑いを漏らしている。おそらく、私のことを嘲笑っているのだろう。

 しかし、今さらそんなことを気にする余裕はなかった。

 何しろ、これから処刑されるかもしれないのだ。周囲の者に笑われることなど、それに比べれば些末な問題である。

 しばらく歩き続けていると、いつの間にか、私たちは巨大な扉の前に辿り着いていた。

「おい、止まれ」

 その声を聞いただけで、誰が発したものかは容易に察しがついた。わざわざ顔を確かめるまでもない。猫を被った東雲である。

(この人、裏表が激しすぎません?)

 思わず呆れてしまう。

 初めの頃は、東雲に対して少なからず恐怖を覚えていた。だが、こうも四六時中怒鳴られていては、次第に慣れてくるというものだ。

(私、怒られ慣れたのかな。笑)

 自分でも分かるほど、口元が緩んでいた。

 それが気に障ったのか、東雲は私を睨みつけ、再び声を張り上げた。

「間抜けな顔をするな! これからお前は、この国の英雄たちにお目通りするのだ。くれぐれも失礼のないようにしろ」

「……はい」

 私は殊勝に返事をした。

 すると、東雲が片手を上下に動かす。それを合図に、後方に控えていた従者二人が扉の両脇へと移動し、重々しい扉を左右に押し開いた。

 その先に広がっていた光景に、私は思わず息を呑んだ。

 そこには、何十人――いや、それ以上の人々が居並んでいた。

 純白の衣を纏う者。甲冑を身につけた者。そして、目にしたこともないほど豪奢な装束に身を包んだ者。

 いずれも一目で只者ではないと分かる、威厳に満ちた面々だった。

(あっ……!)

 ふと周囲を見渡すと、九条様の姿が目に留まった。

 しかも、なかなかに上座に近い場所に座っているではないか。

(九条様って、やっぱり相当なお偉いさんだったんですね……)

 妙なところで感心してしまう。

 そのとき、不躾な視線が肌を刺した。

 周囲の者たちが、一斉に私を見下ろしていたのだ。

 値踏みするような眼差し。侮蔑を隠そうともしない顔。そこに歓迎の意など微塵も感じられない。

 けれど、私の意識はすぐに別のものへと奪われた。

 広間の中央に鎮座する、一柱の女神。

 黄金の装飾品。長く流れる髪。そして、静謐な佇まい。

 ただそこにいるだけだというのに、空気そのものが震えているかのようだった。並の者ならば、対峙するだけで畏怖に呑まれてしまうだろう。

 誰かが、畏敬の念を滲ませた声で呟いた。

「……天照大神様」

 その名を耳にした瞬間、私は九条様の言葉を思い出した。

『天照大神様という御方の命令だ』

 そういえば、あのとき、そんなことを言っていた。

(天照大神様って、この方のことなんだ)

 この国を統べる、最高位の神。その名を知らぬ者などいないと、東雲が小声で教えてくれた。

(私は知りませんでしたけどね)

 心の中で、そっと付け加える。

 それにしても、今、私はこの国の頂点に君臨する神の御前にいるらしい。

 しかも、その周囲には天照大神に次ぐ位の神々が居並び、さらに大勢の人々が私を取り囲んでいる。

 どう考えても、場違いにもほどがあった。

 やがて、天照大神の眼差しが、ゆっくりと私へ向けられた。

 それだけで、身体が強張る。

「名を」

 短い一言だった。

 だが、その声には、逆らうことなど許さぬという峻烈な威圧が込められていた。

「……忘れました」

「年齢は」

「知りません」

「生まれは」

 問いが一つ、また一つと重ねられていく。

 それに伴い、天照大神の声には次第に苛立ちが滲み始めた。

 おそらく、私がふざけた返答を繰り返しているとでも思っているのだろう。

(まあ、全部本当のことなんですけどね)

 やがて、天照大神は口を閉ざした。

 広間に、重苦しい沈黙が落ちる。

 天照大神と私の視線が真正面からぶつかった。

 気まずい。実に気まずい。

 しかし、天照大神の眼差しは、私を逃がすまいとするかのように真っ直ぐこちらを射抜いている。

 おかげで、私も目を逸らすに逸らせなかった。

 どれほどの時間が過ぎただろうか。

 ようやく諦めたのか、天照大神が再び口を開いた。

「まあ、よい。何と答えようと、処刑することに変わりはないからの」

「私が人を殺したと皆様はおっしゃいますが、私にはまったく理解できません。せめて、その理由を説明していただけませんか?」

 私は努めて冷静に、自らの主張を述べた。

 しかし、その言葉は、どうやら相手の逆鱗に触れてしまったらしい。

 天照大神は、椅子の傍らに置いていた錫杖を手に取り、足を組んでいた姿勢を正した。

 そして、錫杖を床につくのをやめると、足元に置かれていた剣を拾い上げ、その切っ先を私へと向けた。

「死を目前にしても臆さぬ、その姿勢だけは認めてやろう。だが、己の罪を己で弁護するとは、甚だしいにもほどがある」

 冷酷な眼差しが、私を射竦める。

 まるで、青い炎が噴き上がるかのような剣幕だった。

 周囲の者たちは、その凄絶な気迫に圧倒され、息を呑んでいる。顔面を蒼白にする者もいれば、恐れおののき、身じろぎひとつできずにいる者もいた。

 それほどまでに、天照大神の放つ威圧は凄まじかった。

 ……とはいえ。

 私はといえば、その圧力に身の毛がよだつことはなかった。

 それよりも、ただただ失望していた。

(ああ、この人、話を聞いてくれない人ですね)

「記憶がないなどと……。ならば、思い出せ。お前が罪なき者を殺めた、その光景をな」

「思い出せたら苦労しません。そもそも、何を根拠に私が人を殺めたとおっしゃるのですか?」

 いつまでも一方的に責め立てられていては、こちらも納得がいかない。

 理由を教えてもらわなければ、反論のしようもないではないか。

 何の説明もないまま罪人と決めつけられたところで、私には自分が罪を犯したという実感すらないのだ。

「ほう。お前が森で倒れていたことは知っているな?」

「……はい」

「お前が倒れていた場所には、お前以外にも大勢の者が死んでいた。異能を用いた殺人だ。現在、捜査官が異能の持ち主を調べているが、お前以外に犯人はいない」

 つまり、私の周囲に大勢の死体が転がっており、それを根拠に私が殺したと判断されたらしい。

 確かに、自分が殺していないと断言することはできない。

 何しろ、記憶がないのだから。

 しかし、だからといって、自分が殺したと認める気にもなれなかった。

 せめて、記憶が戻ってから処刑してほしい。

 ……いや、できれば処刑そのものを取りやめていただきたいのだが。

「よかろう。では、これに見覚えはないか?」

 天照大神がそう告げると、四人の従者が何やら大きなものを担ぎ、こちらへと運んできた。

 何だろう。

 目を凝らしてみると、それは――。

 青い色をした、死体だった。

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