「先生」と呼ぶのは禁止です
 里田先生のことが好きでした――だって?
 好きというのは、恋愛感情のことか?
 自分が恋い焦がれて仕方がないように、彼女も?
 そうだったらどんなにいいと、何度妄想したことか。教師と生徒という立場の違いを気にせずに好きだと伝えられたらと、何度むなしい願いを重ねたことか。

「あの……里田先生?」

 円花が昇治を呼ぶ。一世一代の告白をしたあとに、告白の返事ではなくノートを返却すると言われ、円花としては混乱していることだろう。
 だが昇治も混乱していた。嬉しいはずなのに、彼女がまだ着ている制服を妙なバリアに感じて、迂闊に近付けない。
 けれど、一つだけ確実なことがある。いまこのチャンスを逃したら、彼女を手に入れる機会は二度とやって来ないということだ。

「早川、お前」

 出入口のドアを背にした円花に一歩近付き、昇治は円花を見下ろした。

「わかってんのか。俺は教師だぞ」
「えっ……あ、えっと……はい、わかっています」

 返却すべきノートなどない。彼がここへ来たのは、誰にも見られずに二人で話をするため――自分の告白を、真剣に受け止めてくれるためだ。そう悟った円花は、背中にぐっと力を入れて昇治を見上げた。

「里田先生は先生ですけど、でも好きでした。先生としてじゃなくて……一人の男の人として、好きだったんです」

 決して言うまいと長らく自制していた昇治と違い、おそらく円花は、この日に告白しようと覚悟を決めていたのだろう。震えてはいたが、その声の芯には力強さがあった。

「好きでしたとか好きだったとか……それは過去形なのか」
「え? だって……まさか里田先生と両思いになれるわけないですし……私はもう、卒業してここの生徒じゃなくなるし……だから、好きだけどこの気持ちは……今日で終わりにしなきゃって――」
「終わらせなくていい」

 昇治は円花の声にかぶせるように、きっぱりと告げた。

「俺も早川のことが好きだ。生徒としてじゃなくて」
「え、うっ、嘘っ……!」
「決して言うつもりはなかった。でも、お前もそうだって言うなら、もう遠慮しない」
「っ……」

 その瞬間、昇治は円花の顎を掴んで固定すると、自分の唇を円花のそれに重ねた。ふれ合わせるだけにしておこうと思ったが、我慢を続けてきた自分の中の何かが暴発してしまい、あっという間に舌も挿入した。
 くちゅ、というかすかな水音を漏らしながら、昇治は角度を変えつつ円花の舌を自分の舌で追いかけ、からませ合う。すると頭の中がくらくらするような快感に包まれ、ここが職場の校舎であるということを忘れそうになった。

「スマホ、出せ」
「え?」
「連絡先を交換する。そうしないと、この先会えないだろうが」

 昇治は口付けを終えて円花から離れると、ズボンの後ろポケットに入れたままにしていたスマホを取り出した。そして二人が共通で使っているメッセージアプリの連絡先を交換し、再びスマホをしまう。

「里田先生……あの? え、これって……」
「早川は今日で生徒じゃなくなるわけだし、今日からお付き合いよろしく、ってことだ」
「えっ、うそ……うそ、ですよ……ね……ええっ!?」
「嘘じゃない。今日から俺とお前は、教師と生徒じゃなくて、カレシとカノジョ。いいな?」
「はい……はいっ」

 その時のとても嬉しそうな円花を撮影しておけばよかった――のちに昇治はそう深く後悔した。それくらいに、まだあどけなさの残る円花のはじけるような笑顔はとてもかわいらしかったのだ――。


   ◆◇◆◇◆


「かわいいけど値段が高いなあ。それに、もう少し小さいほうがいいかも」

 白塗りの壁に、大きなショーウィンドウ。生活雑貨を多く取り扱っているその店に入ると、外から見る以上に奥行きがあって、実に様々な品があった。円花の探している照明器具もあれば、なんとも形容しがたい不思議な置物も置いてあった。大皿サイズの陶器の上に所狭しと載った大小様々なカエルたちのオブジェなど、いったい誰がどんなふうに部屋の中に置くのだろうかと、円花は不思議に思った。

「そもそも、置くスペースはあるのか」
「えっと……片付ければたぶん」
「不安だな。サイズはちゃんと測ったほうがいいぞ」
「ふふっ」

 昇治のコメントに、円花はくすりとほほ笑んだ。
 彼はあまり自覚していないのだろうが、意外と几帳面な性格だ。
 円花はどちらかというと真面目で模範的な生徒だったが、「なんとかなる気がする」と思って、細部をおろそかにする一面もある。その結果の失敗も少なくはないのだが、昇治にはそうした面がない。男性にしては細やかな点に目が行き届くところが、彼の授業や何気ない言動でも見て取れて、そこを好きになったように思う。

「なんだよ」

 だが、昇治はそういう部分を前面に押し出さない。どちらかというと少し尖っていて、とっつきにくい印象を与えやすい。事実、彼の授業はわかりやすいが、「里田先生はちょっと怖い」という感想を述べる友人もいた。教師陣の中では若いほうなので、気安く話しかける生徒たちも多かったが、いつも笑顔であたたかく生徒を受け入れる教師か、と問われたら、円花は首を横に振ってしまうだろう。
 それでも、言葉で表現しきれない彼の何かにとてつもなく惹かれて、卒業式の日に告白しようと決めた。この恋心は諦める気でいたので、まさかこうして恋人という関係になってデートができるなど、夢にも思わなかった。

(里田先生は私のどこを好きになってくれたのかな……)

 そのあと、円花がいいなと思ったサイズの照明器具はあったがデザインが気に入らず、逆にデザインを気に入ったものは、求めているものよりもかなりサイズが小さかった。値段が手頃なものもあったが機能性は充実しておらず、どれも一長一短で決め手に欠けるため、結局何も買わずに店を出た。

「また今度、別の店で探してみるか」
「そうで……あ、えっと、そうだね」
「サイズは測っておけよ? せっかく買ったのに置けないのは、結構落ち込むぞ」

 昇治の口ぶりは、その失敗を実際に経験していることをうかがわせた。彼にもそんな初歩的なミスをするところがあるのかと思うと、なんだかかわいらしいと円花は思った。

「円花、ちょっと靴を見ていいか」
「うん」

 雑貨店をいくつか過ぎ、アップルパイの店も過ぎると、メンズシューズ専門店が見えた。歩きやすい歩道の商店街には、本当に様々な店がある。レトロなものが多いとの触れ込みだったが、そうした店だけでなく、最新のブランド品を扱っている店もあるようだ。

(靴……)

 革靴からスニーカー、スポーツ用の靴まで、あらゆる種類のメンズシューズが店内には置かれている。おまけにサイズも豊富で、足が小さい男性もターゲットにしているようだ。
 それらの靴を見ていると、約二週間前、昇治の住むマンションの部屋を初めて訪れた時のことを円花は思い出した。


   ◆◇◆◇◆
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