氷の副社長は、熱に浮かされた私を帰さない
 その夜、食後にリビングで仕事の話をした。
 資料を広げ、私が意見を言えば反論が返り、それにまた言い返す。
 気づけば、副社長と一社員というより、企画を挟んで対等に言い合っていた。

「――そこは譲れません。コストを下げるために規格を緩めたら、この企画の意味がなくなります」
「感情論だ」
「ブランドの話をしています。うちが規格外を拾うという事実そのものが、価値になります」
「数字は」
「三年で回収できる試算を出してあります。読んでください」

 しばらく何も言わず、資料を一枚めくる。

「……読んだ」
「いつ」
「先月だ」
「読んでるじゃないですか!」
「確認しただけだ。お前が同じことを言えるかどうか」

 試されていた。しかも、ちゃんと合格していた。
 カップに口をつけてから、淡々と言った。

「あの企画を選んだのは、役員会じゃない」
「え?」
「俺だ」

 顔を上げると視線がぶつかり、逸らされなかった。

「二年前、お前が最後のページを読み上げたとき、声が震えていた」
「……覚えてるんですか」
「覚えている」

 それ以上の言葉はなく、視線は手元の資料へ戻る。私はカップを両手で包んだまま動けなくなった。

 ――ああ。

 もう、わかってしまった。
 尊敬じゃない。憧れでもない。

 私は、この人が好きだ。

 同じ会社で、同じ企画を作って、同じ皿でご飯を食べて、髪を乾かしてもらって、猫の名前で笑わせてもらったこの一週間で。

 どうしようもなく、好きになってしまった。
 そして、それは、いちばん言ってはいけない相手だった。

「立花」

 名前を呼ばれて、顔を上げた。

「明後日の朝、送る」
「……はい」
「解熱後二日を過ぎる。規定上問題ない」
「はい」
「連休明けから、また忙しくなる」

 カップの中の水面が揺れる。

 私は、ちゃんとうまく笑って答えられたと思う。
 たぶん、プレゼンなら九十点くらいの笑顔。
 残りの十点がどこに行ったのか、彼が気づいたかどうかは、わからない。
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