氷の副社長は、熱に浮かされた私を帰さない
 その夜、部屋で仮眠から目を覚ました私は、焦げた匂いで飛び起きた。

「火事!?火事ですか!!?」

 廊下を小走りに抜けてキッチンへ飛び込むと、換気扇が全力で回っていて、その下で柳井副社長が鍋を睨みつけていた。

「……何をされてるんですか」
「粥を作っている」

 言いながらキッチンスケールに小皿を載せ、米を少しずつ足していく。
 デジタル表示が「89.7」から「90.0」になったところで手が止まる。

 0.1グラム単位で米を計量している人を、私は初めて見た。
 カウンターに立てかけたタブレットには、料理動画が流れている。
 エプロンの女性が「お好みの固さで大丈夫ですよ〜」と笑っているけれど、『好みの固さ』なんて、この人にとって一番難しい指示なんではなかろうか。


「副社長」
「なんだ」
「なんで、急に」

 彼は答えなかった。しばらく鍋をかき混ぜてから、ぼそりと言った。

「宅配は、もういい」

 それ以上、理由は言わない。たぶん私は、このときの理由をずっと思い違えたままでいるのだろうと思った。

 出てきたお粥は、ひどかった。
 米に芯が残っていて、しかも塩気がまったくない。
 そのくせ、途中で足したらしい醤油が一か所にだけ固まっていて、三口目で急に味が濃くなった。

 テーブルの向かいでは腕を組んだ柳井副社長が、こちらをじっと見ている。黙っているだけなのに圧がすごい。

「……おいしいです」
「嘘が下手だな」
「本当です」
「味見はした。まずい」
「じゃあなんで出したんですか」
「作り直す時間より、お前が薬を飲む時間のほうが重要だからだ」

 ぐうの音も出ない。
 この人は、まずい粥にまで合理性を持たせてくる。
 私はスプーンを置いて、少し考えてから言った。

「おいしいのは、嘘かもしれません」
「だろうな」
「でも、あったかいのは、本当です」

 向かいの手が止まったのは、まばたきひとつぶんほどだった。すぐに視線を逸らし、なんでもないことのように言う。

「……冷める前に食べろ」

 耳が、赤かった気がしたけれど、照明のせいかもしれない。
 たぶんそう。きっとそう。
 そう誤魔化しながら、残りを口に運ぶ。
 芯も、濃い醤油も、丸ごと全部。
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