ねぇ、愚かな旦那様? 本当の私を知らないようですね。
3
午後、柔らかな陽光が差し込むサロンで、私は義母と来季の社交のスケジュールや、帳簿の確認をしていた。
義母は見ていた帳簿から、顔を上げた。
「アナスタシア。……あの子、エドガーとは上手くいっているのかしら?」
エドガー様と同じ碧い瞳がこちらに注がれる。
「……え、えぇ」
私が少し言い淀むと、義母は苦笑した。
「ごめんなさい。答えづらかったわね」
「あ、いえ……」
私は慌てて手を振る。
「侯爵家の嫡男として厳しく育ててきたのだけど、あの子には荷が重かったのかもしれないわ。子供の頃、よく裏庭のナラの木の下で、一人で隠れて泣いていたの。……本当に不器用で、プライドが高くて。でも、繊細で心の優しい子なのよ」
義母は小さく息を吐き、まつ毛を伏せる。
「お義母様……」
「アナスタシアに、お願いがあるの。……あの子を見捨てないであげてほしいのよ」
義母は震える声で、私に懇願する。いつもの凛とした侯爵夫人ではなく、息子を心配する一人の母親の姿だった。
「はい……、分かっておりますわ、お義母様」
私は彼女を安心させるように笑みを浮かべ、頷いた。
サロンから自室へ戻る途中、廊下の窓から、ロータリーに佇むエドガー様の姿を目撃する。
彼は来客を見送っていたようだ。そのお客は小太りの男性で、深々と頭を下げると、帽子を被り馬車に乗り込んでいった。
私はこの来客の姿に見覚えがあった。
(あの男性、どこかで……。あ、夜会で! たしかバルツ男爵ですわ!)
ソフィー様が、バルツ男爵にはきな臭い噂があると教えてくれた。
何か悪事にエドガー様が巻き込まれてるのではと、不安がよぎる。
私は居ても立ってもいられず、急いで玄関へ向かった。
エントランスに着くと、外からエドガー様が入ってくるところだった。
エドガー様がこちらに気づくと、どことなく機嫌良さそうに口元を緩める。
「アナスタシアか。丁度良い所に来たな。これをくれてやる」
そう言って、手に持っていた物を私に押し付ける。
反射的にそれを受け取って見てみると、上質な青いベルベットのケースだった。
「開けてみろ」
エドガー様に促され、ケースの蓋を開けた。精巧な金細工に、キラキラと輝く大きな青い宝石の付いた髪飾りだった。
「どうだ、綺麗だろう? お前のその髪にも、……に、似合うだろうよ」
(これって、サファイア……? 急にどうしたのかしら。記念日でもないのに)
奇妙に思いながらも、彼の気持ちが嬉しくてお礼を言った。
「これを私に……? ありがとうございます……」
エドガー様は頬を掻きながら、視線を横に逸らす。
「あぁ……。バルツ男爵から買ったものだ。今、隣国ノバーンの鉱山で、大量に採掘しているらしい」
「ノバーン国で採掘?」
「あぁ。まだ未開拓の鉱山だ。で、是非、俺と共同事業を興さないかと打診されたんだ。俺の優秀さを、男爵がいたく気にいってくれてな、はっはっはっ」
エドガー様は鼻の下を擦りながら、自慢げに高笑いする。
(未開拓の鉱山の事業なんて、大丈夫ですの? しかも相手は、あのバルツ男爵でしょう?)
「まさか、男爵と事業を興すなんてことは……?」
「あぁ、前向きに検討している!」
彼は鼻息を荒くし、胸を張った。
「……あの、エドガー様。そのバルツ男爵は、本当に信用できる人物なのですか……?」
私が恐る恐る尋ねると、エドガー様は眉をひそめる。
「ん? どういう意味だ?」
「いえ……、最近、急に羽振りが良くなったと聞きましたし、身辺調査は必要なのではと思いまして……」
私の言葉が癇に障ったのか、エドガー様の表情が変わる。
「それは、俺の見る目を疑っているということか?」
明らかな苛立ちを見せ、私を睨みつけた。
「いえ、そうではなく、良い噂の聞かない人物ですので、慎重にされたほうが……」
ドンッ!!
私の言葉を遮るように、エドガー様は乱暴に拳で壁を叩き付けた。
「うるさいっ! 俺に指図するな!!」
その怒声に、私は驚きと恐怖で身を縮める。
「この事業が成功すれば、俺を馬鹿にしてた奴らをやっと見返せるんだ! 父上だって、認めてくれるはずだ! ……あいつ、ヴィクトルには負けない。……絶対に……渡さない……」
エドガー様は顔を歪めて唇を噛み、私の方を一瞥すると身を翻す。
「エドガー様っ」
その背中を呼び止めるが、エドガー様は振り返らずに行ってしまった。
私の声は彼には届かない。
(どうしたら……っ。……あら?)
ふと、エドガー様からいただいたサファイアの髪飾りに目が留まる。
手に取り、まじまじと宝石を眺めた。窓から注ぐ夕日を反射している。
「とても綺麗だけど……、何かおかしいような……? ……!?」
私は思い立ち、その足で義父の執務室に向かった。
義母は見ていた帳簿から、顔を上げた。
「アナスタシア。……あの子、エドガーとは上手くいっているのかしら?」
エドガー様と同じ碧い瞳がこちらに注がれる。
「……え、えぇ」
私が少し言い淀むと、義母は苦笑した。
「ごめんなさい。答えづらかったわね」
「あ、いえ……」
私は慌てて手を振る。
「侯爵家の嫡男として厳しく育ててきたのだけど、あの子には荷が重かったのかもしれないわ。子供の頃、よく裏庭のナラの木の下で、一人で隠れて泣いていたの。……本当に不器用で、プライドが高くて。でも、繊細で心の優しい子なのよ」
義母は小さく息を吐き、まつ毛を伏せる。
「お義母様……」
「アナスタシアに、お願いがあるの。……あの子を見捨てないであげてほしいのよ」
義母は震える声で、私に懇願する。いつもの凛とした侯爵夫人ではなく、息子を心配する一人の母親の姿だった。
「はい……、分かっておりますわ、お義母様」
私は彼女を安心させるように笑みを浮かべ、頷いた。
サロンから自室へ戻る途中、廊下の窓から、ロータリーに佇むエドガー様の姿を目撃する。
彼は来客を見送っていたようだ。そのお客は小太りの男性で、深々と頭を下げると、帽子を被り馬車に乗り込んでいった。
私はこの来客の姿に見覚えがあった。
(あの男性、どこかで……。あ、夜会で! たしかバルツ男爵ですわ!)
ソフィー様が、バルツ男爵にはきな臭い噂があると教えてくれた。
何か悪事にエドガー様が巻き込まれてるのではと、不安がよぎる。
私は居ても立ってもいられず、急いで玄関へ向かった。
エントランスに着くと、外からエドガー様が入ってくるところだった。
エドガー様がこちらに気づくと、どことなく機嫌良さそうに口元を緩める。
「アナスタシアか。丁度良い所に来たな。これをくれてやる」
そう言って、手に持っていた物を私に押し付ける。
反射的にそれを受け取って見てみると、上質な青いベルベットのケースだった。
「開けてみろ」
エドガー様に促され、ケースの蓋を開けた。精巧な金細工に、キラキラと輝く大きな青い宝石の付いた髪飾りだった。
「どうだ、綺麗だろう? お前のその髪にも、……に、似合うだろうよ」
(これって、サファイア……? 急にどうしたのかしら。記念日でもないのに)
奇妙に思いながらも、彼の気持ちが嬉しくてお礼を言った。
「これを私に……? ありがとうございます……」
エドガー様は頬を掻きながら、視線を横に逸らす。
「あぁ……。バルツ男爵から買ったものだ。今、隣国ノバーンの鉱山で、大量に採掘しているらしい」
「ノバーン国で採掘?」
「あぁ。まだ未開拓の鉱山だ。で、是非、俺と共同事業を興さないかと打診されたんだ。俺の優秀さを、男爵がいたく気にいってくれてな、はっはっはっ」
エドガー様は鼻の下を擦りながら、自慢げに高笑いする。
(未開拓の鉱山の事業なんて、大丈夫ですの? しかも相手は、あのバルツ男爵でしょう?)
「まさか、男爵と事業を興すなんてことは……?」
「あぁ、前向きに検討している!」
彼は鼻息を荒くし、胸を張った。
「……あの、エドガー様。そのバルツ男爵は、本当に信用できる人物なのですか……?」
私が恐る恐る尋ねると、エドガー様は眉をひそめる。
「ん? どういう意味だ?」
「いえ……、最近、急に羽振りが良くなったと聞きましたし、身辺調査は必要なのではと思いまして……」
私の言葉が癇に障ったのか、エドガー様の表情が変わる。
「それは、俺の見る目を疑っているということか?」
明らかな苛立ちを見せ、私を睨みつけた。
「いえ、そうではなく、良い噂の聞かない人物ですので、慎重にされたほうが……」
ドンッ!!
私の言葉を遮るように、エドガー様は乱暴に拳で壁を叩き付けた。
「うるさいっ! 俺に指図するな!!」
その怒声に、私は驚きと恐怖で身を縮める。
「この事業が成功すれば、俺を馬鹿にしてた奴らをやっと見返せるんだ! 父上だって、認めてくれるはずだ! ……あいつ、ヴィクトルには負けない。……絶対に……渡さない……」
エドガー様は顔を歪めて唇を噛み、私の方を一瞥すると身を翻す。
「エドガー様っ」
その背中を呼び止めるが、エドガー様は振り返らずに行ってしまった。
私の声は彼には届かない。
(どうしたら……っ。……あら?)
ふと、エドガー様からいただいたサファイアの髪飾りに目が留まる。
手に取り、まじまじと宝石を眺めた。窓から注ぐ夕日を反射している。
「とても綺麗だけど……、何かおかしいような……? ……!?」
私は思い立ち、その足で義父の執務室に向かった。