ねぇ、愚かな旦那様? 本当の私を知らないようですね。

4

 馬車から降り、侯爵邸の玄関ホールに歩いて行くと、腕組みをして柱に寄りかかっているエドガー様と鉢合わせる。

「アナスタシア、黙ってどこに行っていた?」
 エドガー様は鋭い視線をこちらに向けた。

「……騎士団の駐屯所ですわ。ヴィクトル様にお伝えしたい用件がございましたので」

「……なっ!? 俺に無断でそのような場所に!」

「無断ではありませんわ。お義父様から許可は得ております」

「く……っ」

 私がはっきりと伝えると、エドガー様は押し黙った。

 エドガー様は苛立った様子で、ぶつぶつと呟きながら髪を掻きむしっている。
「……な、なぜ父上が……っ、もしや、あいつに……家督をっ」

「それでは失礼いたします」
 私がエドガー様の前を横切ろうとすると、手首を掴まれた。

「待て、アナスタシア! 勝手な行動は許さないぞ! お前は俺の妻なんだぞ!!」

 私は掴まれた手首を振り払う。

「でしたらエドガー様も、勝手な行動は慎んでくださいませ! 私やお義父様に内緒で、バルツ男爵と会っているのでございましょう!?」

 私に言い返されると思っていなかったのか、エドガー様は驚いたように目を見開いた。

「そ、それはお前には関係ないことだ! 男の仕事に口を出すな。お前は黙って俺に従っていればいいんだ!!」

 そう私に罵声を浴びせると、荒々しく足音を立てながら去っていく。
 私はその後ろ姿を黙って見送った。
 


 ――それから数日後、事態は起こった。

 廊下を歩いていると、お義父様の執務室で言い争う声が聞こえる。

「グラハム侯爵家に泥を塗りおって、この無能が! お前は勘当だ! ここから出ていけ!」

 お義父様の怒声が廊下まで漏れ聞こえてきた。
 バンッと乱暴にドアが開き、エドガー様が飛び出して来る。

「……きゃっ!?」
 肩がぶつかったが、彼はそのまま走り去っていく。

「エドガー様!?」

 私が呆然と立ちすくんでいると、執務室から頭を抱えながらお義父様が出てきた。

「まったく、仕方のない奴だ。バルツ男爵の胡乱な事業に手を出し、自分の財産のほとんどをつぎ込んでしまったんだ。しかも、男爵は行方知れずに」

「え!? そんな……っ」
(やはり、バルツ男爵の噂は本当だったんだわ)

 お義父様は周囲を窺うと声を潜め、そっと私に告げる。

「事は順調だ。……あとは頼む」

 私が弾かれたように顔を上げると、お義父様はふっと小さく微笑んだ。
  
 お義父様は私に、彼のこれからを託してくれたのだ。
 彼を救えるのは、妻の私だけ。

 私は頷き、エドガー様の後を追いかけた。


 私はエドガー様を探しに屋敷内を回ったが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。

 その時、ふとお義母様の言葉を思い出す。

『子供の頃、よく裏庭のナラの木の下で、一人で隠れて泣いていたの』

(もしかしたら……)

 私は裏庭に向かって歩き出した。


 木々が生い茂る裏庭の奥に歩みを進めると、周りより一際大きい木が目に留まった。その大木の幹の後ろに、影のようなものが微かに見える。

「……エドガー様……?」

 私が静かに呼びかけると、その影は一瞬揺れ、隠れてしまう。

 どう声をかけたらいいのか考えを巡らせていると、ボソッと低い声が聞こえてきた。

「……お前も……俺を馬鹿だと、呆れているんだろっ」

「そんなことありません……。私は……っ」

 私の言葉を遮るように、エドガー様は話を続ける。

「嘘だっ! お、俺は……全財産を男爵に持ち逃げされた挙句、父上からは……勘当を言い渡されて……俺は全てを失って……しまっ……く……っ」

 エドガー様の声が段々と震え、言葉を詰まらせる。

「……お、俺は……っ、自分が……情けない……、嫌いだ。何をやっても、あいつ、ヴィクトルには敵わない。だから、見返したかった……。俺だって、出来るんだって、俺だって……っ、くそ……っ、うっ……」

 エドガー様のすすり泣くような声が聞こえてくる。
 幼い頃からここで一人、幾度となく涙を流したんだろう。
 何をやっても報われないエドガー様。自業自得とはいえ、彼の心情を思うと胸が締め付けられる。

「……アナスタシア、行っていいぞ。俺と……離縁して……、ヴィクトルの元でも、どこへでも、行け……」

 次の瞬間、ざぁっとエドガー様の声を消すかのように風が吹く。

(……え?)
 
 私は耳を疑った。
 プライドの塊だった彼が、全てを失ったというのに、この私の行く末を案じているというのか。

 その声は、いつものエドガー様とはまるで違う弱々しい声だった。

「……わかりました、エドガー様のおっしゃるとおりにいたします。……ヴィクトル様の元へ行きますわ」
 
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