その傷口に、愛を注ぐ
第3章:暴かれる秘密と復讐の果実
都内の高級ホテル。
大ホールには、華やかな熱気が満ちていた。
シャンパンのグラスが触れ合う音。
笑い声。
祝福の言葉。
そのすべてが、栞には遠い世界の音に聞こえた。
「このたびは本当におめでとうございます、神谷さん」
「いやあ、さすがですね。今回のプロジェクト、社内でも相当期待されていますよ」
「ありがとうございます」
雅也は上機嫌だった。
仕立てのいいスーツ。
自信に満ちた笑顔。
胸には、新規巨大プロジェクトの総責任者を示す社員章。
今日。
神谷雅也は人生で一番輝いている。
その隣で。
栞もまた、微笑んでいた。
「奥様も、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
完璧な笑顔。
七年間で身につけたものだった。
夫の隣では控えめに。
けれど品よく。
決して夫より目立たず。
誰から見ても、神谷雅也に相応しい妻として。
「栞」
雅也が小声で囁いた。
「今日は頼むぞ」
「……何を?」
「分かるだろ。偉い人も大勢来てるんだから」
ああ。
最後まで、この人は。
「ええ」
栞は微笑んだ。
「任せて」
雅也は満足そうに頷いた。
何も気づいていない。
今日が。
自分の人生で最も幸福な日であると同時に。
すべてを失う日になることを。
栞はそっと視線を動かした。
フロアの隅。
莉子がいた。
華やかなドレス。
雅也と目が合った瞬間、ほんの少しだけ微笑む。
そして栞を見る。
勝ち誇ったような目だった。
以前なら。
胸が痛んだかもしれない。
惨めになったかもしれない。
でも。
もう何も感じなかった。
(今日で終わる)
栞は胸元へ手を添えた。
小さなリモコン。
指先が、スイッチの感触を確かめる。
そのとき。
不意に、あの声が蘇った。
『あなたが決めるんです』
律。
『あなたが合図を出せばいい』
これは律の復讐じゃない。
私が決める。
七年間を終わらせるのは。
私。
「――では皆様、お待たせいたしました」
司会者の声が響いた。
「神谷新責任者より、今回のプロジェクトについてプレゼンテーションを行っていただきます」
拍手が沸き起こる。
雅也が壇上へ向かう。
堂々と。
誇らしげに。
栞はその背中を見つめた。
七年前。
結婚式の日にも。
この背中を見ていた。
あの日は。
この人についていこうと思った。
今日。
同じ背中を見ながら。
栞は静かにリモコンを握った。
そして。
押した。

