光のはじまり ― 王子が困るまで ―

第21話 疲れないんですか

昼休憩の食堂で、中川は昼定食を前にしながら、複雑な表情をしていた。

向かいに座る相澤は、黙々と焼き魚を食べている。

「10Aの飲み会に誘われたんだけど」

「そうか」

「絶対、王子狙いだし、藤崎先生が10Aの飲み会に来てくれるとは思えないんだけど」

中川は深刻そうに言ったが、食欲は落ちていないらしい。

唐揚げを口に入れてから、また大きくため息をついた。

「俺の顔を立ててくださいって言ったら、手を差し伸べてくれるかな?」

相澤は焼き魚の骨を丁寧に避けながら、淡々と返した。

「上手くかわされるかもな」

「だよなぁ。しかも、それも綺麗に処理されてしまいそう……」

中川は箸を置き、真剣な顔で言った。

「俺、来ないに明日の昼定食をかける」

「俺も来ないに一票」

二人は一瞬、顔を見合わせた。

中川が叫ぶ。

「絶望的に賭けにすらなってない!」

相澤は少しだけ口元を緩めた。

それでも、中川は誘わないわけにはいかなかった。

◇

医局で画像を確認していると、中川と相澤が戻ってきた。

「藤崎先生」

「何?」

理久は画面から目を離さずに返事をした。

「10Aの病棟飲み会に誘われてまして」

「10A?」

理久は椅子にもたれ、中川を見た。

「それで? いつなの?」

なぜか、二人が顔を見合わせる。


……何だ、その反応。


「ん? なに?」

「いや……断られるかと……」

「中川」

相澤がすぐに制した。

代わりに、いつもの落ち着いた声で日時を伝える。


ーー明日の夜。


理久はスマホを取り出し、予定を確認した。

翌日は手術と外来、病棟確認が入っている。けれど、その後なら行けないわけではない。

10Aには、外科の術後患者を見てもらっている。

病棟スタッフと顔を合わせておくことは、今後の連携にもつながる。

参加する理由は十分にあった。


理久は画面を閉じた。

「人数が増えても大丈夫なら、参加するよ」

中川は一拍遅れて反応した。

「え、いいんですか?」

「誘ったのは中川でしょ」

「そうなんですけど」

「じゃあ、確認してきて」

「はい!」

中川はすぐに医局を出ていった。

相澤も仕事に戻る。


理久は再びカルテ画面へ視線を向けた。

10A。

綾瀬美月の病棟。

……彼女も来るのかな。

ふと、そんなことが頭をよぎった。

◇

翌日。

仕事を終えると、理久は中川と相澤に連れられて、10Aの飲み会へ向かった。

個室に入った瞬間、看護師たちの視線が集まる。

「藤崎先生、本当に来てくださったんですね」

「お疲れ様です」

理久は穏やかに挨拶し、促された席についた。

気づけば、周囲を看護師たちに囲まれていた。

予想どおりだった。

「藤崎先生、どこに行っても人気ですね」

中川が小声で言った。

絶対に面白がっている。

「ありがたいことだよね」

理久が笑顔で返すと、中川は何か言いかけ、相澤を見て口を閉じた。


宴席が始まった。

理久は、いつものように振る舞った。

話しかけられれば、感じよく答える。

誰か一人を特別扱いせず、踏み込んだ質問は角が立たないように流す。

笑顔を向ければ、相手も笑う。

それで会話は円滑に進み、余計な期待を持たせずに済む。

もう、慣れたものだった。


途中、少し離れた席から視線を感じた。

綾瀬美月だった。


……あ。


食堂では目を逸らし、エレベーターでは見ていないと言い張った彼女が、今日は何度かこちらを見ている。

理久は、あえて目を合わせなかった。


気づかれたら、また逸らされるのだろうか。

それとも、見ていないと三回言うのだろうか。


少し笑いそうになった。

けれど、どうも様子が違う。

周囲の看護師たちが理久の顔を見ているのに対し、綾瀬美月は、理久がほかの人と話している時にもこちらを見ている。


……何を見てるんだろう。


しばらくして、彼女が席を立った。

トイレの方へ向かう。

理久は、その姿を目で追っていた。

「先生、次は何飲みます? お酒、減ってませんけど」

隣の看護師が声をかけてきた。

理久は微笑み、スマホを手に取った。

「仕事の電話をしてきますね」

そう言って立ち上がった。

電話など、かかってきていない。

◇

個室を出ると、店内の賑やかな声が少し遠くなった。

理久はスマホを片手に、廊下を歩いた。


……何してるんだろう。


彼女が席を立ったから、自分も席を立った。

仕事の電話という理由までつけて。

別に、用があるわけでもないのに。

自分でも少しおかしかった。


角を曲がったところで、綾瀬美月が現れた。

彼女は、まず理久の手にあるスマホを見た。

それから、こちらを見上げる。

「……お疲れさまです」

仕事用の声だった。

「ここ、病院じゃないよ」

「知ってます」

「じゃあ、その声、やめたら?」

「無理です」

「徹底してるな」

彼女は少し目を細めた。

「……追いかけてきました?」


ーー鋭い。


実際、そのとおりだった。

理久は少しだけ笑った。

「トイレ」

「そっちは女子トイレです」

「じゃあ違うね」

「違うんですね」

「うん。たぶん」

「たぶん?」


……いちいち拾うな。


理久はスマホを軽く見せた。

「電話」

「本当に?」

「疑うなぁ」

「日頃の行いでは」


……日頃の行いは、かなり良い方なんだけどな。


理久は、くすっと笑った。

彼女がその横を通り過ぎようとする。

理久は、宴席でこちらを見ていたことを指摘した。

当然のように否定された。

二度目も同じ調子。

三回目も言うつもりなのかと聞けば、今度は向こうから必要かと返してくる。


……覚えてるんだ。


理久は笑ってしまった。
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