光のはじまり ― 王子が困るまで ―

第3話 困るって?

「お前、まだ付き合ってんの?」


昼休み。

桐谷は蕎麦を食べながら、何の前触れもなく聞いてきた。

理久は箸を止めた。

「誰と」

「六つ上の放射線科」

「言い方」

「名前知らねえし」

「教えたよ」

「忘れた」

「最低だね」

「お前に言われたくない」


桐谷とは、小学校からの付き合いだった。

同じ付属中高へ進み、大学受験を経て、結局同じ医学部に入った。医師になった今も同じ大学病院で働いている。

桐谷は内科。

理久は外科。

進んだ先は違うが、腐れ縁は続いていた。


桐谷は昔から、理久に対して遠慮がない。

他の人間が言葉を選ぶようなことも、平気で口にする。

理久も、今さら気にすることはなかった。

「で?」

桐谷が蕎麦を啜る。

「何」

「まだ付き合ってんの?」

「付き合ってるよ」

「長いな」

「一年ちょっと」

「お前にしては」

理久は桐谷を見た。

「俺を何だと思ってるの」

「感じのいいクズ」

「学生の頃から俺の評価低いよね」

「俺は歴代の女を見てきてるからな」

「人聞き悪いな」

「間違ってる?」

理久は少し考えた。

「別に、同時に付き合ったことはないよ」

桐谷が箸を置いた。

「そこじゃねえんだよ」

「じゃあ何」


「お前、女に困ったことないだろ」


理久は眉を寄せた。

「困るって?」

桐谷が笑った。

「ほら」

「何」

「その顔」

「意味分からない」

「王子、分かんねえか」

「その呼び方やめて」

「昔から言われてんだろ」

「言われてたね」

「否定しなかったのかよ」

「一人ずつ訂正して回る方が面倒だから」

理久は水を飲んだ。


桐谷がしばらくこちらを見ていた。

「お前、本当に昔から可愛くねえな」

「最近、それよく言われる」

「だろうな」

「何なの」

桐谷は笑った。


理久は蕎麦に箸を伸ばした。

まったく、昼休みに何の話をしているのか。

「で、結婚すんの?」

理久は箸を止めた。



結婚。

……結婚?




「誰が」

「お前が」

「誰と」

「彼女とだよ」


「何で?」


今度は桐谷が黙った。

理久も桐谷を見る。


数秒。


「……お前、彼女と結婚したいとは思わないの?」

「今のままで、何か問題ある?」

桐谷が額を押さえた。

「彼女が可哀想になってきた」

「失礼だね」

「好きじゃないの?」

「好きだよ」

すぐに答えた。

そこに迷いはなかった。


会えば嬉しい。

触れたいと思う。

一緒にいる時間は心地いい。


昨日も、彼女の部屋へ行った。

白ワインを買って、スープを食べて、キスをした。

別に、何かを我慢しているわけではない。

好きだと思っている。


それなのに、どうして可哀想という話になるのだろう。


桐谷が理久を見る。

「じゃあ、いなくなったら困る?」

理久は黙った。



困る。

何に。



彼女の部屋へ行けなくなることか。

一緒に食事をしなくなることか。

一人になることか。


どれも、できなくなれば別の過ごし方をするだけではないのか。

質問の意味が曖昧すぎる。

「……質問が曖昧」

桐谷が天井を仰いだ。

「出たよ」

「何」

「理屈」

「具体的に聞いて」

「別れようって言われたら?」

理久は少し考えた。

「理由を聞く」

「そのあとは?」

「納得できれば別れる」

桐谷は理久を見た。

「引き止めない?」

「本人が別れたいのに?」

「そう」


「何で?」


桐谷は笑い出した。

理久は不愉快だった。

「何」

「いや」

「だから何」


「お前、一回、死ぬほど誰かに惚れればいいのに」


理久は顔をしかめた。

「嫌だよ」

「即答か」

「面倒くさそう」

「最低だな、王子」

「うるさいな」

桐谷はまだ笑っていた。

理久は蕎麦を食べる。



死ぬほど惚れる。

……意味が分からない。



人は恋愛では死なない。

いや、死ぬ人間もいるのかもしれない。

けれど、それは健全ではないだろう。


桐谷は時々、妙なことを言う。


好きな相手と、無理なく一緒にいられる。

それで十分ではないのか。


理久は蕎麦をもうひと口食べた。


彼女に別れようと言われる理由も、今のところ思い当たらない。

だから、考える必要はなかった。

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