光のはじまり ― 王子が困るまで ―
第24話 何もない朝
朝方、理久は浅い眠りから目を覚ました。
昨夜の雨はすっかり止み、窓の向こうには薄い朝の光が差している。
いつものリビング。いつものチェア。
けれど、今朝はいつもと違った。
ソファの端で、綾瀬美月が眠っている。
昨夜かけたブランケットを肩まで引き寄せ、大きすぎるカーディガンに包まっていた。起きている時の警戒心が嘘のように、すっかり力が抜けている。
……よく寝てるな。
あれだけ警戒していたくせに。
「寝ません」と即答した声を思い出して、少し笑った。
女性と同じ部屋で朝を迎えること自体は、初めてではない。付き合っていた相手なら、何度もあった。
けれど、何もない朝は、いつぶりだろう。
何もしていない。本当に、何もしていない。
そこは胸を張れる。
……いや、胸を張るところなのか。
理久は小さく息を吐くと、彼女を起こさないように立ち上がった。
昨夜のカップを片づけ、新しい水とタオルを用意する。スマホの横には、必要なら使えるように充電器を置いておいた。
それからキッチンに立った。
朝食を作るのは、特別なことではない。一人暮らしには慣れているし、料理もそれなりにできる。ただ、自分一人ならコーヒーだけで済ませる日も多かった。
今日は二人分。
トーストを焼き、スクランブルエッグを作る。サラダとヨーグルトを用意して、スープを温めた。
並べてみると、少し多かったかもしれない。
……まあ、いいか。
昨日は雨の中を歩いたし、飲み会のあとだった。何か食べてから帰った方がいいだろう。
そう思いながらコーヒーを淹れていると、リビングで布の動く音がした。
振り向けば、綾瀬美月がソファの上で目を開けていた。
しばらく天井を見つめていたかと思うと、突然、勢いよく起き上がる。肩からブランケットが落ちた。
……思い出したな。
彼女は周囲を見回し、自分の服を確認し始めた。昨夜の警戒心が、一気に戻ってきたらしい。
理久は笑いそうになるのをこらえ、カップを手にしたまま声をかけた。
「起きた?」
綾瀬美月が振り向く。
「大丈夫? 顔、完全に事故後だけど」
案の定、謝罪が返ってきた。
寝るつもりはなかった。迷惑をかけてしまった。
彼女はブランケットを畳みながら、申し訳なさそうにしている。
「迷惑ならブランケットかけない」
そう答えると、彼女の手が止まった。
……あれ。
また何か、変なことを言っただろうか。
理久はテーブルを指した。
「朝ごはん、食べてから帰れば」
当然のように遠慮されたが、すでに二人分作ってしまったのだから、今さら断られても困る。
そう伝えると、彼女はテーブルを見て、何とも言えない顔をした。
本当に、全部顔に出る。
理久は小さく笑った。
◇
結局、綾瀬美月は朝食を食べることになった。
少し斜めの席に座り、最初こそ遠慮していたものの、やがてトーストに手を伸ばし、スープを飲み始めた。
理久もコーヒーを口に運ぶ。
自分の部屋で、誰かと朝食を食べる。それ自体は、別に珍しいことではない。
けれど、目の前にいるのは綾瀬美月だった。
昨夜まで、まともに話しかけるだけで警戒されていた相手が、今は自分の作った朝食を食べている。
しかも、時々こちらを睨んでくる。
……何で睨むんだろうね。
理久は笑いをこらえ、コーヒーを飲んだ。
食事が進むにつれ、彼女の表情も少しずつ落ち着いてきた。それでも、ふとした拍子に申し訳なさそうな顔をする。
雨宿りをしたこと。寝てしまったこと。朝食まで出されたこと。
どうやら、全部が気になるらしい。
「綾瀬さんって、助けられるの苦手だよね」
何気なく口にすると、彼女の手が止まった。
駅ビルで倒れた男性のところへ、迷わず駆け寄った姿を覚えている。病棟でも、誰かのためならためらわずに動く。
けれど、自分が何かをしてもらう側になると、途端に落ち着かなくなるらしい。
そのことを少し真面目に話すと、彼女は返事に困ったような顔をした。
「……そういう言い方、ずるいです」
理久は笑った。
「うん。知ってる」
すぐに否定するよう求められたが、否定する気にはならなかった。結局、また少し怒られてしまう。
理久はコーヒーを飲みながら、向かいに目をやった。
朝食の間、彼女は何度か小さく笑いそうになっていた。けれど、そのたびに口元を引き締める。
笑えばいいのに。
そう言ったら、きっとまた怒るのだろう。
理久は何も言わず、自分の朝食を食べた。
昨夜の雨はすっかり止み、窓の向こうには薄い朝の光が差している。
いつものリビング。いつものチェア。
けれど、今朝はいつもと違った。
ソファの端で、綾瀬美月が眠っている。
昨夜かけたブランケットを肩まで引き寄せ、大きすぎるカーディガンに包まっていた。起きている時の警戒心が嘘のように、すっかり力が抜けている。
……よく寝てるな。
あれだけ警戒していたくせに。
「寝ません」と即答した声を思い出して、少し笑った。
女性と同じ部屋で朝を迎えること自体は、初めてではない。付き合っていた相手なら、何度もあった。
けれど、何もない朝は、いつぶりだろう。
何もしていない。本当に、何もしていない。
そこは胸を張れる。
……いや、胸を張るところなのか。
理久は小さく息を吐くと、彼女を起こさないように立ち上がった。
昨夜のカップを片づけ、新しい水とタオルを用意する。スマホの横には、必要なら使えるように充電器を置いておいた。
それからキッチンに立った。
朝食を作るのは、特別なことではない。一人暮らしには慣れているし、料理もそれなりにできる。ただ、自分一人ならコーヒーだけで済ませる日も多かった。
今日は二人分。
トーストを焼き、スクランブルエッグを作る。サラダとヨーグルトを用意して、スープを温めた。
並べてみると、少し多かったかもしれない。
……まあ、いいか。
昨日は雨の中を歩いたし、飲み会のあとだった。何か食べてから帰った方がいいだろう。
そう思いながらコーヒーを淹れていると、リビングで布の動く音がした。
振り向けば、綾瀬美月がソファの上で目を開けていた。
しばらく天井を見つめていたかと思うと、突然、勢いよく起き上がる。肩からブランケットが落ちた。
……思い出したな。
彼女は周囲を見回し、自分の服を確認し始めた。昨夜の警戒心が、一気に戻ってきたらしい。
理久は笑いそうになるのをこらえ、カップを手にしたまま声をかけた。
「起きた?」
綾瀬美月が振り向く。
「大丈夫? 顔、完全に事故後だけど」
案の定、謝罪が返ってきた。
寝るつもりはなかった。迷惑をかけてしまった。
彼女はブランケットを畳みながら、申し訳なさそうにしている。
「迷惑ならブランケットかけない」
そう答えると、彼女の手が止まった。
……あれ。
また何か、変なことを言っただろうか。
理久はテーブルを指した。
「朝ごはん、食べてから帰れば」
当然のように遠慮されたが、すでに二人分作ってしまったのだから、今さら断られても困る。
そう伝えると、彼女はテーブルを見て、何とも言えない顔をした。
本当に、全部顔に出る。
理久は小さく笑った。
◇
結局、綾瀬美月は朝食を食べることになった。
少し斜めの席に座り、最初こそ遠慮していたものの、やがてトーストに手を伸ばし、スープを飲み始めた。
理久もコーヒーを口に運ぶ。
自分の部屋で、誰かと朝食を食べる。それ自体は、別に珍しいことではない。
けれど、目の前にいるのは綾瀬美月だった。
昨夜まで、まともに話しかけるだけで警戒されていた相手が、今は自分の作った朝食を食べている。
しかも、時々こちらを睨んでくる。
……何で睨むんだろうね。
理久は笑いをこらえ、コーヒーを飲んだ。
食事が進むにつれ、彼女の表情も少しずつ落ち着いてきた。それでも、ふとした拍子に申し訳なさそうな顔をする。
雨宿りをしたこと。寝てしまったこと。朝食まで出されたこと。
どうやら、全部が気になるらしい。
「綾瀬さんって、助けられるの苦手だよね」
何気なく口にすると、彼女の手が止まった。
駅ビルで倒れた男性のところへ、迷わず駆け寄った姿を覚えている。病棟でも、誰かのためならためらわずに動く。
けれど、自分が何かをしてもらう側になると、途端に落ち着かなくなるらしい。
そのことを少し真面目に話すと、彼女は返事に困ったような顔をした。
「……そういう言い方、ずるいです」
理久は笑った。
「うん。知ってる」
すぐに否定するよう求められたが、否定する気にはならなかった。結局、また少し怒られてしまう。
理久はコーヒーを飲みながら、向かいに目をやった。
朝食の間、彼女は何度か小さく笑いそうになっていた。けれど、そのたびに口元を引き締める。
笑えばいいのに。
そう言ったら、きっとまた怒るのだろう。
理久は何も言わず、自分の朝食を食べた。