光のはじまり ― 王子が困るまで ―
午前中は外来。午後は造影検査。

朝から目の前の仕事に集中しているうちに、あっという間に時間が経っていた。

昼前、同僚の医師たちと連絡通路を歩いていると、前方から看護師が二人やってきた。


綾瀬美月。


理久は気づいていたが、話しかけることはしなかった。

すれ違う時に、軽く会釈を交わす。

彼女も同じように頭を下げ、そのまま通り過ぎていった。

いつもの藤崎先生と、綾瀬さん。

院内での距離は、しっかり保った。

昨夜のことを知る人間は、もちろんいない。

それでいい。

誰にも気づかれず、彼女が普段どおりに働けることが大切だった。

理久も、何事もなかったように同僚との会話へ戻った。

◇

午後の検査を終え、医局へ戻った時だった。

「昨日はあんなに距離近かったのに、今日は何事もなかったみたいに普通って、反則だろ」

扉を開けた理久は、思わず足を緩めた。


……ん?


中川が、ほかのレジデントたちと話している。

「いや、飲み会であんなにフレンドリーだったのに、今朝のカンファじゃいつもどおり詰められてさ」

どうやら、昨夜の飲み会で親しく話していた上級医に、今朝のカンファレンスでは厳しく指導されたらしい。


……というか、当たり前だろ。


飲み会とカンファレンスでは、立場も状況も違う。

それは中川だって、分かっているはずだ。

理久はいつもどおり挨拶をして、自分のデスクへ向かった。


けれど。

昨日は、あんなに距離が近かったのに。

今日は、何事もなかったように普通。


……。


理久はパソコンを開いた。

今朝、綾瀬美月はぎこちなかった。

だからこそ、こちらは普段どおりに振る舞った。

院内ですれ違った時も、軽く会釈を交わしただけ。

彼女が望んでいるのは、そういう距離感のはずだった。

中川の話とは違う。

彼女と自分は、もともと恋人でも何でもないのだから。

昨夜は雷が怖くて、少しばかり距離が近くなっただけだ。

それを特別なことのように扱われたら、彼女の方が困るだろう。


……そうだよね。


理久は画面に視線を戻した。

自分の対応に、間違いがあったとは思わない。

それなのに、今朝の彼女のぎこちない表情が、ふと頭をよぎった。

あれだけ気まずそうにしていたのだから、きっとこれでよかったのだ。


理久は小さく息を吐き、仕事の画面に向き直った。

普段どおりにする。

ただ、それだけのこと。


……のはずなんだけどね。
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