落ちこぼれ芸能科ですが、演技の天才ヒロインが舞台で全員勝たせます。
「あれ、小春?」

 聞き覚えのある軽やかな声。
 小春が顔を上げると、そこには見慣れない私服姿の一ノ瀬カイが立っていた。

 黒いパーカーのフードを浅くかぶっているのに、隠しきれないくらい目立つ。
 夜の街灯の下でも、その顔立ちははっきりわかる。

「一ノ瀬くん……」

「こんばんは」

 一ノ瀬はにこりと笑った。
 昼間の舞台袖で見た笑顔より、ずっとやわらかい。なのに、なぜかぞくっとする。

「メッセージ、見てくれた?」

「っ」

 蓮が一歩前に出る。
 小春をかばうみたいに、自然に。

「何のつもりだ」

「別に。ただの忠告だよ」

「忠告?」

「そう」

 一ノ瀬は肩をすくめた。

「白雪小春は、少し危うい演技をするから」

「危ういって、どういう意味」

 気づけば、小春は自分から聞いていた。
 蓮が止める前に、一ノ瀬は小さく目を細める。

「感情に入りすぎるんだよ」

「……」

「自分を削って役を生きるタイプだ。見ててわかった」

 その言葉に、心臓がどくんと重く鳴る。

 どうして。
 ほんの少し見ただけで、そんなことまで。

「そういう役者は、強いよ。すごく強い」

 一ノ瀬の声は静かだった。

「でも、壊れるときはあっさり壊れる」

 小春は思わず唇をかむ。
 図星だと思ったわけじゃない。たぶん。きっと。
 なのに、その言葉が嫌なくらい胸の奥に刺さる。

「……だから何」

 代わりに答えたのは、蓮だった。
 低く、冷えた声。

「それを今ここで言って、白雪に何をさせたい」

「別に何も」

「嘘つけ」

「桜井って、ほんとに怖いね」

 一ノ瀬は笑う。
 けれどその目は少しも笑っていなかった。

「でも、君が思ってるよりずっと、この子は脆いかもしれないよ」

「やめて」

 気づけば、小春が声を出していた。

 ふたりの視線が同時に向く。
 だけど小春は、もう目をそらさなかった。

「勝手に決めないで」

「白雪」

「わたしが壊れるかどうかは、わたしが決める」

 声が震えないように、ぎゅっと拳を握る。

「たしかに、演技に本気になる。役に入りこむ。そういうの、あるかもしれない」

「……」

「でも、それでもやるって決めたの」

 一ノ瀬は何も言わずに、小春を見つめていた。

「わたしは、このクラスを勝たせたい」

「白雪」

「みんなを輝かせたい。わたし自身も、逃げたくない」

 言葉にすると、不思議なくらい気持ちが定まる。
 怖い。少しだけ。でも、それ以上に進みたい。

「だから」

 小春はまっすぐ一ノ瀬を見返した。

「忠告ありがとう。でも、負けないから」

 数秒の沈黙のあと、一ノ瀬がふっと笑った。

「……やっぱり面白い」

「面白いで片づけないで」

「ごめん。でも、いいね」

「何が」

「そういう目」

 一ノ瀬は一歩下がると、ひらひらと手を振った。

「じゃあまた、舞台で」

「待て」

「安心してよ、桜井。今日はもう何もしない」

 そう言い残して、一ノ瀬は夜の道へ溶けるように去っていった。

 しばらくその背中を見送ってから、小春は大きく息を吐く。

「……びっくりした」

「無茶するな」

「ごめん。でも、言いたかったから」

「そういうところだ」

 蓮の声は少しかたい。
 怒ってるのかなと思って見上げると、彼は難しい顔のまま小春を見ていた。

「こわかっただろ」

「ちょっとだけ」

「なら、俺の後ろにいればよかった」

「でも」

「でもじゃない」

 ぴしゃりと言われて、小春はしゅんと肩を落とす。

「……心配かけた?」

「かけた」

 即答だった。

 小春は一瞬だけ目を丸くして、それからへにゃっと笑う。

「そっか」

「笑うところじゃない」

「うれしくて」

「なんでそうなる」

「だって蓮くん、ほんとにわたしのこと大事にしてくれてるんだなって思ったから」

 その一言で、蓮の動きが止まる。

 街灯の光の下、彼の横顔がはっきり見えた。
 冷静そうに見えるのに、ほんの少しだけ余裕をなくしている顔。

「……白雪」

「うん?」

「おまえ、ほんとに」

「また放っておけないって言う?」

「それ以上だ」

 心臓が大きく跳ねる。

 それ以上。
 今、たしかにそう言った。

 だけど次の言葉が落ちてくる前に、遠くで電車の音が鳴った。
 夜風がふたりの間を抜けて、ほんの少しだけ冷えた空気を運ぶ。

 蓮はふいに視線をそらして、小さく息を吐いた。

「……今日は帰るぞ」

「えっ、今の続きは?」

「ない」

「絶対あるよね!?」

「ない」

「あるって顔してる」

「してない」

「してる」

 むっとしたまま歩き出す蓮の隣に、小春はあわてて並ぶ。

 言葉の続きは聞けなかった。
 でも、たしかに何かが変わった気がした。

 恋なのか、まだ名前のない気持ちなのか。
 それはわからない。

 だけどひとつだけ、はっきりしていることがある。

 この舞台は、きっと恋も一緒に動かしていく。
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