落ちこぼれ芸能科ですが、演技の天才ヒロインが舞台で全員勝たせます。
「いいよ」

「白雪」

 蓮がすぐに止める。

「やらなくていい」

「でも」

「乗るなと言ったはずだ」

「わかってる」

 小春は蓮を見る。

「でも、ここで逃げたら、たぶん自分で悔しくなる」

 蓮の眉がわずかに寄る。

「白雪」

「大丈夫」

 そう言って笑ってみせると、蓮は何か言いたげに唇を動かした。
 けれど結局、それ以上は止めなかった。

「……無茶はするな」

「うん」

 小春は舞台の中央へ出る。

 広い劇場。
 見られている視線。
 静まり返った空気。

 こんなの、本当は嫌いじゃない。
 むしろ、舞台の上に立つと不思議なくらい心が冴える。

「お題は?」

 一ノ瀬が少し考えるように目を伏せる。

「じゃあ」

 顔を上げた彼の目が、どこか意地悪に光った。

「信じてた人に裏切られた瞬間」

 小春の胸が、どくんと鳴る。

 そのお題は、妙にいやだった。
 過去の何かに触れられたような、不快なざわつきが胸の奥をかすめる。

 でも。

「……わかった」

 小春は目を閉じた。

 信じる。
 裏切られる。
 それでもなお、相手を嫌いになれない。

 胸の奥に、感情を沈めていく。
 冷たいのに熱い、苦しいのに泣けない、そんな感情。

 目を開けた瞬間。

 小春の表情は、もう別人だった。

「どうして」

 かすれた声が、静かな劇場に落ちる。

「どうして、そんなふうに笑えるの」

 ゆっくりと後ずさる。

 目の前の誰かを見ているはずなのに、焦点はどこか遠い。信じたかったのに、信じきれなかった自分まで責めるような目。

「ずっと、信じてたのに」

 声が震える。
 けれど崩さない。崩せない。泣いたら負けだと思うから。

「わたしだけ、知らなかったんだ」

 一歩、踏み出す。

「ねえ」

 指先がわずかに揺れる。

「嘘だったって言ってよ……っ」

 最後の一言で、張りつめていたものがほんの少しだけ切れた。

 沈黙。

 誰も動かない。

 劇場中が、小春のつくった感情に呑まれていた。

 そして。

「……すご」

 ぽつりと、A組の誰かがつぶやいた。

 それをきっかけに、空気が一気にざわめく。

「今の、やばくない?」

「一瞬で空気変わった」

「鳥肌立ったんだけど」

 C組だけじゃない。
 A組の生徒たちまで、小春を見ていた。

 ルミナもわずかに目を見開いている。

 一ノ瀬は、そんな周囲の反応を受けてもなお、静かな顔で小春を見つめていた。

「……やっぱり危うい」

 その一言で、空気がまた変わる。

「は?」

 小春が顔を上げる前に、蓮が舞台へ上がった。

「言いたいことがあるならはっきり言え」

「はっきり言ってるよ」

 一ノ瀬は小さく肩をすくめる。

「すごいよ、この子」

「……」

「でも今の演技、危なかった」

 蓮の目が鋭くなる。

「どこが」

「役に入りすぎる」

 一ノ瀬の視線が小春に向く。

「演じてるっていうより、落ちてる感じ」

 小春は思わず息を止めた。

 それは、自分でも気づいていたことだったから。

 感情に深く入ると、戻ってくるのに少し時間がかかる。
 終わったあと、世界の色が変わったみたいにぼんやりすることがある。

 それを、たった一度の演技で見抜かれた。

「でも」

 一ノ瀬は少しだけ笑う。

「だからこそ、目が離せないんだけどね」

 その言葉に、蓮の空気が変わる。

「おまえ」

「何?」

「それ以上、白雪に近づくな」

 ぴんと張りつめた声だった。

 劇場が静まり返る。

 一ノ瀬は、ほんの一瞬だけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。

「へえ」

「……」

「桜井、それ自分で言っちゃうんだ」

「関係ない」

「関係あるよ」

 一ノ瀬はわざとらしく小春へ視線を流す。

「だって、そんなふうに守られたら」

「一ノ瀬くん」

 気づけば、小春が口を開いていた。

 みんなの視線が集まる。
 でも今は、それどころじゃなかった。
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