落ちこぼれ芸能科ですが、演技の天才ヒロインが舞台で全員勝たせます。
「これだけ。短いせりふだから」

「……なんて?」

「『行くな』」

「短すぎるだろ」

「だからできるよ」

 小春が台本を差し出すと、白峰くんはいやそうな顔のまま受け取った。

「一回だけだからな」

「うん」

 しぶしぶ、といった様子で白峰くんが顔を上げる。
 その瞬間、小春は気づいた。やっぱりこの子、もともとの目がすごくいい。伏せているから隠れているだけで、感情が乗ると一気に惹きつける目をしている。

「……行くな」

 短いひと言。

 だけど、その場の空気が少し変わった。
 ざわ、とクラスが揺れる。

「え」

「今の、よくない?」

「声やば……」

 本人だけが、いちばん驚いた顔をしていた。

「な……」

「ほら」

「いや、今のは、ただ読んだだけで」

「違うよ」

 小春は一歩近づく。

「今の声、ちゃんと相手を止めた。言葉が届いたもん」

「そんなわけ」

「ある。ねえ、もう一回」

 気づけば、小春は白峰くんのすぐ近くまで寄っていた。
 彼の手から台本を受け取り、ページを押さえながら見上げる。

「今度は、ほんとは行ってほしくないのに、強がってる感じで」

「……近い」

「え?」

「いや、なんでもない」

 白峰くんの耳が少し赤い。
 あれ、暑いのかな。今日はそんなに暑くないはずだけど。

「じゃあ、いくよ」

「……行くな」

 さっきより少し低く、少しだけ苦しそうな声。
 今度はもっとはっきり、空気が変わった。

「すご……」

「絶対こっちの役できるじゃん」

「え、白峰ってあんな声出せたの?」

 あちこちから驚きの声が上がる。

 白峰くんは完全に固まっていた。
 自分の声が人に届いたことが、信じられないみたいに。

 小春はうれしくなって、ぱっと笑う。

「やっぱり! 奏斗くん、すごくいい!」

「っ…」

 そのまま勢いで、彼の両手をぎゅっと握る。

「きみ、自分で思ってるよりずっと舞台向きだよ!」

「し、白雪さん」

「声もいいし、目もいいし、感情の入り方もきれい! ちょっと自信ないだけで、磨いたら絶対光る!」

 言っているうちに、わくわくしてきて止まらなくなる。
 こういう瞬間が好きだ。誰かの中にある宝物を見つけたときが、いちばん。

「離せ」

「え?」

「ちょ、近い、から」

「……あ」

 ようやく自分が手を握ったままだと気づいて、小春はあわててぱっと離した。

「ご、ごめん! うれしくてつい!」

「ついで握るなよ……」

 白峰くんは耳まで赤くして顔をそむけた。
 その様子に、クラスのあちこちからにやにやした視線が集まる。

「白雪さん距離近っ」

「人たらしかも」

「無自覚でやってるの強い」

「白雪」

 すっと落ちた声に、空気が変わる。

 小春が振り向くと、そこには桜井蓮が立っていた。
 いつの間にか客席から降りてきて、すぐ後ろまで来ていたらしい。

「蓮くん?」

「役者に触るな」

「え」

「指導するなら言葉でしろ」

 淡々とした口調。
 でも、なぜか少しだけ冷たい。

「いや、でも、つい」

「ついで済ませるな」

 小春はきょとんと目を瞬いた。
 怒られるようなことだったかな。たしかにいきなり手を握ったのは悪かったけど。

「……桜井、こわ」

 と誰かが小さくつぶやく。

 蓮はそれを無視して、白峰くんに向き直った。

「白峰」

「は、はい」

「今のせりふ、もう一度」

「え、俺?」

「白雪じゃなく、客席の一番後ろに向かって言え。届かせるつもりで」

 白峰くんはまだ少し戸惑ったままだったけれど、台本を持ち直して息を吸った。

「……行くな」

 さっきより、ずっとよかった。
 迷いが少し減って、言葉に芯が通っている。

 蓮は静かにうなずく。

「その役でいく」

「え」

「おまえは脇役じゃない。相手役候補だ」

「む、無理だって!」

「無理かどうかは、これから決める」

 ぴしゃりと言い切る声に、教室が静まる。

 そして蓮は、小春のほうを見た。

「おまえの言う通りだ。こいつは光る」

「……っ、ほんと?」

「ああ」

 その一言がうれしくて、小春の顔がぱっと明るくなる。

「やった!」

「ただし」

 蓮は一歩近づく。
 近い。思わず小春が見上げるくらいには、近い。

「次からは、あまり不用意に距離を詰めるな」

「え、なんで?」

「……指導に見えなくなる」

「?」

「おまえは無自覚すぎる」

 低く落ちた声に、胸がどきっとした。

 なんだろう。怒ってる、だけじゃない気がする。
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