魔法より、君に恋をする。
「これだよ」

 差し出されたのは、分厚い黒革の魔導書だった。

 表紙に題名はない。

「読めます?」

「一部なら」

「先輩でも全部は無理なんですか?」

「古代文字だからね」

 リリアは本を開いた。

 紙は黄ばんでいるものの、保存状態は驚くほど良い。見たことのない文字がページいっぱいに並び、その合間に複雑な魔法陣が描かれていた。

「昨日の記号……これですね」

「そう」

「この術式は?」

「空間固定」

「こっちは?」

「魔力経路の強制接続」

「これは?」

「質問が早いな」

「気になるから」

「少しは自分で考えてみたら?」

「じゃあ黙っててください」

「呼び出しておいて扱いがひどい」

 そう言いながらも、ルシアンは楽しそうだった。

 リリアは完全に本へ夢中になっていた。

 古い術式は、現在使われている魔法とは構造そのものが違う。現代魔法が安全性と再現性を重視して洗練されているのに対し、古代術式には術者自身の感覚へ依存する部分が多い。

「面白い……」

「気に入った?」

「はい」

「君ならそう言うと思った」

 まただ。

 リリアが顔を上げる。

「それ」

「何?」

「『君ならそう言うと思った』」

「昨日も言ったね」

「私のこと、知ってるみたい」

「少しくらい分かってきたよ。ここ数日で何度も話しているからね」

「それだけ?」

「それだけ」

「……嘘つき」

「昨日、自分で認めたから否定しづらいな」

 ルシアンが苦笑する。

 リリアはまだ何か言いたかったが、それよりも魔導書への興味が勝った。

 再びページをめくる。

 一枚。

 もう一枚。

 古代文字。

 魔法陣。

 知らない術式。

 そのはずだった。

 ページをめくる指が止まった。

「……」

「リリア?」

 ルシアンの声が少し遠く聞こえた。

 開いたページの中央には、大きな魔法陣が描かれていた。

 円を重ねた複雑な構造。その周囲に、古代文字で何かが書かれている。

 初めて見る。

 そのはずなのに。

「これ……」

 リリアは無意識に魔法陣へ指を伸ばした。

「触らないで」

 ルシアンの声が鋭くなった。

 その瞬間、リリアの指が止まる。

「……?」

 今まで聞いたことのない声音だった。

「ノクス先輩?」

「そのページには、直接触れない方がいい」

「どうして?」

「古い資料だから」

「さっきまで普通に触ってましたけど」

「そこだけ保存術式が弱い」

「嘘」

 リリアは即答した。

 ルシアンが黙る。

「今、すごく焦りましたよね」

「そう見えた?」

「見えました」

 リリアはもう一度、魔法陣へ目を落とした。

「これ、何の魔法ですか?」

「……古い召喚術の一種だよ」

「違う」

「どうしてそう思うの?」

 聞かれて。

 リリアは答えられなかった。

 自分でも分からない。

 ただ、違うと思った。

「召喚じゃない」

 魔法陣を見る。

 円の中心。

 そこから外側へ広がる十二本の線。

「これは何かを呼ぶ魔法じゃないです」

 口から言葉が出る。

「外から中へ呼ぶんじゃなくて、中にあるものを……」

 そこで止まった。

「中にあるものを?」

 ルシアンが静かに尋ねる。

 リリアは眉を寄せた。

「……分からない」

 本当に分からなかった。

 なのに、召喚術ではないことだけは確信している。

 もっと奇妙なのは、その魔法陣を見ていると胸の奥がざわつくことだった。

 怖いわけではない。

 懐かしいとも違う。

 ただ、見てはいけないものを見ているような気がする。

「先輩」

「うん」

「私、この魔法知ってますか?」

 おかしな質問だと思った。

 知っているかどうかを、他人に聞くなんて。

 けれどルシアンは笑わなかった。

「……どうして僕に聞くの?」

「先輩なら知ってそうだから」

 ルシアンはしばらく答えなかった。

「知らないよ」

 やがて返ってきた言葉は、それだけだった。

「今の君は、この術式を知らない」

「今の?」

 ルシアンが目を伏せる。

「言葉の綾だよ」

「また嘘」

「……そうかもしれないね」

 リリアがさらに追及しようとした、その時だった。

 資料室の扉が開いた。
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