魔法より、君に恋をする。
ノアルート 第38章 好きになる途中
翌日の昼休み、リリアはノアの左腕を見ていた。
正確には、制服の袖に隠れている昨日の傷を見ている。
「リリア」
「何?」
「穴開きそう」
「袖に?」
「僕の腕に」
「もう開いてる」
「治りかけてるよ」
「見せて」
「ここで?」
「うん」
「脱げってこと?」
「袖まくるだけでしょ」
「分かってるけど、ちょっと言ってみた」
「じゃあいい」
「ごめんごめん、見せるから」
ノアが笑いながら左袖を捲る。昨日巻かれていた包帯は細くなっていて、治癒魔法のおかげか傷はもう薄い赤色の線になっていた。
リリアはそれをじっと見る。
「痛い?」
「ほとんど」
「本当?」
「本当」
「触っていい?」
「……傷を?」
「うん」
「いいけど」
指先で傷の少し横へ触れる。
「痛い?」
「傷は痛くない」
「じゃあ何?」
「君が近い」
「それは痛くないでしょ」
「心臓に悪い」
「病気?」
「恋」
「……」
リリアは無言で手を離した。
「あ、逃げた」
「治ってるならいい」
「今ちょっと照れたでしょ」
「照れてない」
「耳赤いよ」
「暑い」
「便利だね、その言い訳」
向かいで食事をしていたアレンが、とうとう耐えられなくなったようにフォークを置いた。
「お前ら最近ずっとそれやってんな」
「それって?」
リリアが聞く。
「それだよ!」
「分からない」
「距離!」
アレンが二人を指差す。
「近え!」
リリアは隣を見る。
ノアがいる。
確かに近い。
「前から近かったよ?」
「今は種類が違う!」
「種類?」
「説明させんな!」
「アレン先輩、最近よく怒りますね」
「誰のせいだと思ってんだ!」
ノアは楽しそうだ。
レオンハルトが苦笑しながら紅茶を飲み、カイルは露骨にこちらを見ないようにしている。ルシアンは本を開いているが、さっきから同じ頁のままだ。
セシルだけが、少し笑っていた。
「リリア」
「何?」
「ノアの隣、落ち着く?」
突然聞かれて、リリアは考える。
「うん」
「そっか」
「セシルの隣も落ち着くよ」
「ありがとう」
「でも違う」
セシルの目が少しだけ細くなった。
「どう違う?」
「分からない」
「またそれ?」
ノアが笑う。
「分からないものは分からない」
リリアは少し考えてから、ノアの袖を摘んだ。
「でも、ノアの隣だと最近ちょっと変」
「……どう変?」
「落ち着くのに、落ち着かない」
「どっち?」
「両方」
ノアが黙る。
アレンが額を押さえた。
「もう告白しろよ」
「アレン」
ルシアンが本から顔を上げる。
「それを決めるのは君じゃない」
「分かってるよ!」
「なら黙って食べなさい」
「なんでお前が保護者みたいになってんだよ」
「君よりは向いていると思う」
「喧嘩売ってんのか!」
いつもの昼食。
いつもの声。
でもリリアは、摘んでいたノアの袖をしばらく離さなかった。
*
放課後。
「ノア、今日暇?」
帰り支度をしていたノアの手が止まった。
「……暇」
「今の間何?」
「嬉しかった」
「まだ何も言ってない」
「君から僕の予定聞いてくれたから」
「そんなに?」
「そんなに」
「じゃあ暇?」
「世界が滅びそうでも暇にする」
「それは世界を優先して」
「はい」
リリアは鞄を肩に掛けた。
「街行かない?」
「今日?」
「うん」
「二人で?」
「うん」
「デート?」
「……たぶん」
ノアの口元が緩む。
「行く」
「即答」
「断る理由ないからね」
「私、買いたいものあるだけだよ」
「何?」
「ノート」
「色気ないなあ」
「あとお菓子」
「ちょっと出た」
「何が?」
「デート感」
「お菓子で?」
「君となら何でも」
「またそういうこと言う」
「嫌?」
「……嫌じゃない」
ノアが一瞬黙る。
「最近、本当に強いね」
「何が?」
「こっちの話」
*
街へ着いて最初に入ったのは文具店だった。
リリアは棚いっぱいに並んだノートを前に、真剣な顔で悩んでいる。
「白と青、どっちがいいと思う?」
「白」
「なんで?」
「リリアっぽい」
「髪?」
「それもあるけど、何でも書けそうだから」
「ノートは全部何でも書けるよ」
「そういう話じゃないんだけどな」
「じゃあ青」
「僕の意見どこ行ったの?」
「聞いただけ」
「採用するとは言ってないってやつ?」
「うん」
結局、リリアは白いノートを買った。
「白じゃん」
「見てたらこっちがよくなった」
「僕の意見は?」
「関係ない」
「悲しい」
「でもノアが白って言ったから、もう一回見た」
「……それならいい」
店を出たあと、次は焼き菓子の店へ入った。
リリアは小さなクッキーの袋を二つ買う。
「二つ食べるの?」
「一個ノア」
「僕に?」
「昨日怪我したから」
「お見舞い?」
「うん」
「もう治ってるけど」
「じゃあいらない?」
「いる」
即答だった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
店を出る。
少し歩いたところで、ノアが袋を眺めながら笑った。
「何?」
「嬉しいなと思って」
「クッキーで?」
「リリアが僕のために選んでくれたから」
「同じ味だけど」
「それでも」
そんなことで喜ぶのか。
リリアは不思議に思う。
でも。
自分がしたことでノアが嬉しそうなのは、嫌いじゃない。
「次は違う味にする」
「次もくれるの?」
「あ」
「約束ね」
「勝手に約束にした」
「駄目?」
「……いいよ」
またノアが笑う。
その顔を見ると。
リリアも少し嬉しくなる。
*
帰り道。
夕方の街は人が多かった。
露店が並ぶ通りへ入ると、買い物帰りの人々や学院の生徒たちで道が狭くなる。
ノアが自然にリリアの少し前を歩いた。
その背中を見る。
昨日なら。
たぶんそのまま歩いていた。
今日は。
リリアは手を伸ばした。
ノアの手を掴む。
「……」
ノアが振り返る。
「迷子防止」
リリアが言う。
「どっちの?」
「私」
「認めた」
「今日は人多いから」
「はいはい」
ノアが手を握り直す。
前より自然だった。
でも。
胸はまだ鳴る。
「ノア」
「ん?」
「私、手繋ぐの好きかも」
「……誰とでも?」
「知らない」
「そこ重要なんだけど」
「セシルとはよく繋いでた」
「知ってる」
「でも今はちょっと違う」
「どう違う?」
「ノアと繋ぐと、手を意識する」
「手を?」
「温かいとか、大きいとか」
「うん」
「離したくないなとか」
ノアの足が止まった。
後ろから歩いてきた人にぶつかりそうになり、リリアが手を引く。
「止まったら危ない」
「誰のせいだと思ってるの?」
「ノア」
「君だよ」
「私?」
「離したくないとか急に言うから」
「思ったから」
「思ったこと全部言うのやめない?」
「嫌」
「どうして?」
「ノアが嬉しそうだから」
今度こそ。
ノアは完全に黙った。
「……ほら」
「何?」
「嬉しそう」
「顔見てないのに?」
「手」
「手?」
「強くなった」
握る力が。
少しだけ。
「……参ったな」
「何が?」
「本当に好きだなと思って」
「私を?」
「うん」
前なら。
好きだと言われるたび、どう返せばいいのか分からなかった。
今は。
「そっか」
それだけなのに。
嬉しい。
*
帰り道の途中、小さな公園があった。
「ちょっと休む?」
「うん」
二人でベンチに座る。
手は。
まだ繋いでいる。
「ノア」
「ん?」
「好きってどんな感じ?」
「難しい質問するね」
「ノアは分かるでしょ?」
「分かってるつもり」
「教えて」
ノアは少し考える。
「会いたいとか」
「うん」
「触れたいとか」
「うん」
「笑っててほしいとか」
「うん」
「他の人に取られたくないとか」
「それも?」
「僕はね」
「他には?」
「明日も一緒にいたい」
リリアはノアを見る。
「明日?」
「うん。今日だけじゃ足りない」
「明後日は?」
「いたい」
「来週」
「いたい」
「来年」
「いたい」
「卒業したら?」
「いたい」
「ずっと?」
ノアは。
そこで少しだけ黙った。
「……ずっと」
声が柔らかかった。
「それが好き?」
「僕にとってはね」
リリアは考える。
会いたい。
昨日も思った。
触れたい。
今、自分から手を繋いだ。
笑っていてほしい。
それも思う。
他の女の子といると少し嫌。
明日も。
「……明日」
「うん?」
「私もノアに会いたい」
ノアの瞳が揺れる。
「明後日もたぶん」
「うん」
「来週も」
「……うん」
「卒業したあとは分からない」
「そこは正直だね」
「まだ一年生だし」
「そうだね」
「でも」
リリアは繋いだ手を見る。
「分からないけど、嫌じゃない」
「何が?」
「卒業したあともノアがいるの」
ノアは何も言わなかった。
「ノア?」
「ちょっと待って」
「また?」
「今日は多い」
「何が?」
「嬉しいこと」
ノアは俯いて笑う。
「処理が追いつかない」
「変なの」
「君のせいだよ」
リリアは少し笑った。
そして。
思った。
好きになるというのは。
突然何かが変わることだと思っていた。
胸が大きく鳴って。
世界が変わって。
その瞬間に分かるものだと。
でも。
違うのかもしれない。
昨日より今日。
今日より明日。
会いたいと思う回数が増えて。
触れたいと思う距離が近くなって。
その人が笑うと自分も嬉しくなって。
少しずつ。
気づいた時には。
戻れないところまで歩いている。
「ノア」
「何?」
「私、たぶん」
言いかける。
でも。
まだ。
言葉にするには少しだけ怖かった。
「……やっぱりいい」
「ええ?」
「まだ秘密」
「気になる」
「教えない」
「昨日まで何でも言ってたのに」
「これはまだ私も分からないから」
「そっか」
ノアは追及しなかった。
「じゃあ分かったら教えて」
「うん」
「待ってる」
「待てる?」
「得意だよ」
笑って言った。
でも。
その言葉だけ。
なぜか。
とても寂しく聞こえた。
*
女子寮の前。
「今日はありがとう」
ノアが言う。
「私が誘ったのに?」
「だから」
「楽しかった?」
「すごく」
「私も」
手を離す。
今日は。
いつも以上に名残惜しい。
「……ノア」
「ん?」
リリアは一歩近づいた。
「腕」
「もう大丈夫だよ」
「違う」
「え?」
「ちょっと屈んで」
ノアが怪訝そうな顔をしながら、少し身体を屈める。
リリアは。
その頭へ。
手を置いた。
「……何してるの?」
「よしよし」
「なんで!?」
「昨日怪我したから」
「僕、子どもじゃないよ?」
「知ってる」
「じゃあ何で」
「したかった」
青銀色の髪。
思っていたより柔らかい。
リリアは二度、三度と撫でる。
ノアは完全に固まっていた。
「嫌?」
「……嫌じゃない」
「じゃあいい」
「でもこれ、かなり恥ずかしい」
「誰も見てない」
「そういう問題かな」
「ノア」
「ん?」
「髪柔らかい」
「今知った?」
「うん」
「もっと触る?」
「いいの?」
「リリアなら」
だから。
もう少し撫でた。
「……リリア」
「何?」
「そろそろ限界」
「何の?」
「理性」
「理性?」
ノアが顔を上げる。
近い。
思った以上に。
青い瞳が。
すぐそこにある。
リリアの手は。
まだノアの髪に触れている。
二人とも。
動かなかった。
「……ノア?」
「うん」
「近い」
「君が近づいたんだよ」
「そうだった」
「離れる?」
聞かれる。
リリアは。
すぐに答えられなかった。
離れた方がいい。
たぶん。
でも。
離れたいとは。
思わない。
「……もうちょっと」
ノアの目が見開かれる。
「このまま?」
「うん」
数秒。
ただ。
近くにいる。
それだけ。
ノアは触れなかった。
キスもしなかった。
ただ、リリアが離れるまで待っていた。
やがてリリアが一歩下がる。
「……おやすみ」
「おやすみ」
「また明日」
「うん」
少し歩いて。
リリアは振り返った。
ノアはまだそこにいた。
「ノア」
「何?」
「明日も会いたい」
今度は。
ちゃんと言えた。
ノアが笑う。
「僕も」
部屋へ戻ってから。
リリアはベッドに座り、自分の胸へ手を当てた。
まだ速い。
好き。
その言葉を。
頭の中で。
ノアの名前の隣へ置いてみる。
ノアが好き。
「……」
嫌ではない。
むしろ。
しっくりきた。
リリアは枕へ顔を埋めた。
「……これかも」
誰にも聞かれない声で呟く。
明日。
顔を見たら。
もっと分かる気がした。
正確には、制服の袖に隠れている昨日の傷を見ている。
「リリア」
「何?」
「穴開きそう」
「袖に?」
「僕の腕に」
「もう開いてる」
「治りかけてるよ」
「見せて」
「ここで?」
「うん」
「脱げってこと?」
「袖まくるだけでしょ」
「分かってるけど、ちょっと言ってみた」
「じゃあいい」
「ごめんごめん、見せるから」
ノアが笑いながら左袖を捲る。昨日巻かれていた包帯は細くなっていて、治癒魔法のおかげか傷はもう薄い赤色の線になっていた。
リリアはそれをじっと見る。
「痛い?」
「ほとんど」
「本当?」
「本当」
「触っていい?」
「……傷を?」
「うん」
「いいけど」
指先で傷の少し横へ触れる。
「痛い?」
「傷は痛くない」
「じゃあ何?」
「君が近い」
「それは痛くないでしょ」
「心臓に悪い」
「病気?」
「恋」
「……」
リリアは無言で手を離した。
「あ、逃げた」
「治ってるならいい」
「今ちょっと照れたでしょ」
「照れてない」
「耳赤いよ」
「暑い」
「便利だね、その言い訳」
向かいで食事をしていたアレンが、とうとう耐えられなくなったようにフォークを置いた。
「お前ら最近ずっとそれやってんな」
「それって?」
リリアが聞く。
「それだよ!」
「分からない」
「距離!」
アレンが二人を指差す。
「近え!」
リリアは隣を見る。
ノアがいる。
確かに近い。
「前から近かったよ?」
「今は種類が違う!」
「種類?」
「説明させんな!」
「アレン先輩、最近よく怒りますね」
「誰のせいだと思ってんだ!」
ノアは楽しそうだ。
レオンハルトが苦笑しながら紅茶を飲み、カイルは露骨にこちらを見ないようにしている。ルシアンは本を開いているが、さっきから同じ頁のままだ。
セシルだけが、少し笑っていた。
「リリア」
「何?」
「ノアの隣、落ち着く?」
突然聞かれて、リリアは考える。
「うん」
「そっか」
「セシルの隣も落ち着くよ」
「ありがとう」
「でも違う」
セシルの目が少しだけ細くなった。
「どう違う?」
「分からない」
「またそれ?」
ノアが笑う。
「分からないものは分からない」
リリアは少し考えてから、ノアの袖を摘んだ。
「でも、ノアの隣だと最近ちょっと変」
「……どう変?」
「落ち着くのに、落ち着かない」
「どっち?」
「両方」
ノアが黙る。
アレンが額を押さえた。
「もう告白しろよ」
「アレン」
ルシアンが本から顔を上げる。
「それを決めるのは君じゃない」
「分かってるよ!」
「なら黙って食べなさい」
「なんでお前が保護者みたいになってんだよ」
「君よりは向いていると思う」
「喧嘩売ってんのか!」
いつもの昼食。
いつもの声。
でもリリアは、摘んでいたノアの袖をしばらく離さなかった。
*
放課後。
「ノア、今日暇?」
帰り支度をしていたノアの手が止まった。
「……暇」
「今の間何?」
「嬉しかった」
「まだ何も言ってない」
「君から僕の予定聞いてくれたから」
「そんなに?」
「そんなに」
「じゃあ暇?」
「世界が滅びそうでも暇にする」
「それは世界を優先して」
「はい」
リリアは鞄を肩に掛けた。
「街行かない?」
「今日?」
「うん」
「二人で?」
「うん」
「デート?」
「……たぶん」
ノアの口元が緩む。
「行く」
「即答」
「断る理由ないからね」
「私、買いたいものあるだけだよ」
「何?」
「ノート」
「色気ないなあ」
「あとお菓子」
「ちょっと出た」
「何が?」
「デート感」
「お菓子で?」
「君となら何でも」
「またそういうこと言う」
「嫌?」
「……嫌じゃない」
ノアが一瞬黙る。
「最近、本当に強いね」
「何が?」
「こっちの話」
*
街へ着いて最初に入ったのは文具店だった。
リリアは棚いっぱいに並んだノートを前に、真剣な顔で悩んでいる。
「白と青、どっちがいいと思う?」
「白」
「なんで?」
「リリアっぽい」
「髪?」
「それもあるけど、何でも書けそうだから」
「ノートは全部何でも書けるよ」
「そういう話じゃないんだけどな」
「じゃあ青」
「僕の意見どこ行ったの?」
「聞いただけ」
「採用するとは言ってないってやつ?」
「うん」
結局、リリアは白いノートを買った。
「白じゃん」
「見てたらこっちがよくなった」
「僕の意見は?」
「関係ない」
「悲しい」
「でもノアが白って言ったから、もう一回見た」
「……それならいい」
店を出たあと、次は焼き菓子の店へ入った。
リリアは小さなクッキーの袋を二つ買う。
「二つ食べるの?」
「一個ノア」
「僕に?」
「昨日怪我したから」
「お見舞い?」
「うん」
「もう治ってるけど」
「じゃあいらない?」
「いる」
即答だった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
店を出る。
少し歩いたところで、ノアが袋を眺めながら笑った。
「何?」
「嬉しいなと思って」
「クッキーで?」
「リリアが僕のために選んでくれたから」
「同じ味だけど」
「それでも」
そんなことで喜ぶのか。
リリアは不思議に思う。
でも。
自分がしたことでノアが嬉しそうなのは、嫌いじゃない。
「次は違う味にする」
「次もくれるの?」
「あ」
「約束ね」
「勝手に約束にした」
「駄目?」
「……いいよ」
またノアが笑う。
その顔を見ると。
リリアも少し嬉しくなる。
*
帰り道。
夕方の街は人が多かった。
露店が並ぶ通りへ入ると、買い物帰りの人々や学院の生徒たちで道が狭くなる。
ノアが自然にリリアの少し前を歩いた。
その背中を見る。
昨日なら。
たぶんそのまま歩いていた。
今日は。
リリアは手を伸ばした。
ノアの手を掴む。
「……」
ノアが振り返る。
「迷子防止」
リリアが言う。
「どっちの?」
「私」
「認めた」
「今日は人多いから」
「はいはい」
ノアが手を握り直す。
前より自然だった。
でも。
胸はまだ鳴る。
「ノア」
「ん?」
「私、手繋ぐの好きかも」
「……誰とでも?」
「知らない」
「そこ重要なんだけど」
「セシルとはよく繋いでた」
「知ってる」
「でも今はちょっと違う」
「どう違う?」
「ノアと繋ぐと、手を意識する」
「手を?」
「温かいとか、大きいとか」
「うん」
「離したくないなとか」
ノアの足が止まった。
後ろから歩いてきた人にぶつかりそうになり、リリアが手を引く。
「止まったら危ない」
「誰のせいだと思ってるの?」
「ノア」
「君だよ」
「私?」
「離したくないとか急に言うから」
「思ったから」
「思ったこと全部言うのやめない?」
「嫌」
「どうして?」
「ノアが嬉しそうだから」
今度こそ。
ノアは完全に黙った。
「……ほら」
「何?」
「嬉しそう」
「顔見てないのに?」
「手」
「手?」
「強くなった」
握る力が。
少しだけ。
「……参ったな」
「何が?」
「本当に好きだなと思って」
「私を?」
「うん」
前なら。
好きだと言われるたび、どう返せばいいのか分からなかった。
今は。
「そっか」
それだけなのに。
嬉しい。
*
帰り道の途中、小さな公園があった。
「ちょっと休む?」
「うん」
二人でベンチに座る。
手は。
まだ繋いでいる。
「ノア」
「ん?」
「好きってどんな感じ?」
「難しい質問するね」
「ノアは分かるでしょ?」
「分かってるつもり」
「教えて」
ノアは少し考える。
「会いたいとか」
「うん」
「触れたいとか」
「うん」
「笑っててほしいとか」
「うん」
「他の人に取られたくないとか」
「それも?」
「僕はね」
「他には?」
「明日も一緒にいたい」
リリアはノアを見る。
「明日?」
「うん。今日だけじゃ足りない」
「明後日は?」
「いたい」
「来週」
「いたい」
「来年」
「いたい」
「卒業したら?」
「いたい」
「ずっと?」
ノアは。
そこで少しだけ黙った。
「……ずっと」
声が柔らかかった。
「それが好き?」
「僕にとってはね」
リリアは考える。
会いたい。
昨日も思った。
触れたい。
今、自分から手を繋いだ。
笑っていてほしい。
それも思う。
他の女の子といると少し嫌。
明日も。
「……明日」
「うん?」
「私もノアに会いたい」
ノアの瞳が揺れる。
「明後日もたぶん」
「うん」
「来週も」
「……うん」
「卒業したあとは分からない」
「そこは正直だね」
「まだ一年生だし」
「そうだね」
「でも」
リリアは繋いだ手を見る。
「分からないけど、嫌じゃない」
「何が?」
「卒業したあともノアがいるの」
ノアは何も言わなかった。
「ノア?」
「ちょっと待って」
「また?」
「今日は多い」
「何が?」
「嬉しいこと」
ノアは俯いて笑う。
「処理が追いつかない」
「変なの」
「君のせいだよ」
リリアは少し笑った。
そして。
思った。
好きになるというのは。
突然何かが変わることだと思っていた。
胸が大きく鳴って。
世界が変わって。
その瞬間に分かるものだと。
でも。
違うのかもしれない。
昨日より今日。
今日より明日。
会いたいと思う回数が増えて。
触れたいと思う距離が近くなって。
その人が笑うと自分も嬉しくなって。
少しずつ。
気づいた時には。
戻れないところまで歩いている。
「ノア」
「何?」
「私、たぶん」
言いかける。
でも。
まだ。
言葉にするには少しだけ怖かった。
「……やっぱりいい」
「ええ?」
「まだ秘密」
「気になる」
「教えない」
「昨日まで何でも言ってたのに」
「これはまだ私も分からないから」
「そっか」
ノアは追及しなかった。
「じゃあ分かったら教えて」
「うん」
「待ってる」
「待てる?」
「得意だよ」
笑って言った。
でも。
その言葉だけ。
なぜか。
とても寂しく聞こえた。
*
女子寮の前。
「今日はありがとう」
ノアが言う。
「私が誘ったのに?」
「だから」
「楽しかった?」
「すごく」
「私も」
手を離す。
今日は。
いつも以上に名残惜しい。
「……ノア」
「ん?」
リリアは一歩近づいた。
「腕」
「もう大丈夫だよ」
「違う」
「え?」
「ちょっと屈んで」
ノアが怪訝そうな顔をしながら、少し身体を屈める。
リリアは。
その頭へ。
手を置いた。
「……何してるの?」
「よしよし」
「なんで!?」
「昨日怪我したから」
「僕、子どもじゃないよ?」
「知ってる」
「じゃあ何で」
「したかった」
青銀色の髪。
思っていたより柔らかい。
リリアは二度、三度と撫でる。
ノアは完全に固まっていた。
「嫌?」
「……嫌じゃない」
「じゃあいい」
「でもこれ、かなり恥ずかしい」
「誰も見てない」
「そういう問題かな」
「ノア」
「ん?」
「髪柔らかい」
「今知った?」
「うん」
「もっと触る?」
「いいの?」
「リリアなら」
だから。
もう少し撫でた。
「……リリア」
「何?」
「そろそろ限界」
「何の?」
「理性」
「理性?」
ノアが顔を上げる。
近い。
思った以上に。
青い瞳が。
すぐそこにある。
リリアの手は。
まだノアの髪に触れている。
二人とも。
動かなかった。
「……ノア?」
「うん」
「近い」
「君が近づいたんだよ」
「そうだった」
「離れる?」
聞かれる。
リリアは。
すぐに答えられなかった。
離れた方がいい。
たぶん。
でも。
離れたいとは。
思わない。
「……もうちょっと」
ノアの目が見開かれる。
「このまま?」
「うん」
数秒。
ただ。
近くにいる。
それだけ。
ノアは触れなかった。
キスもしなかった。
ただ、リリアが離れるまで待っていた。
やがてリリアが一歩下がる。
「……おやすみ」
「おやすみ」
「また明日」
「うん」
少し歩いて。
リリアは振り返った。
ノアはまだそこにいた。
「ノア」
「何?」
「明日も会いたい」
今度は。
ちゃんと言えた。
ノアが笑う。
「僕も」
部屋へ戻ってから。
リリアはベッドに座り、自分の胸へ手を当てた。
まだ速い。
好き。
その言葉を。
頭の中で。
ノアの名前の隣へ置いてみる。
ノアが好き。
「……」
嫌ではない。
むしろ。
しっくりきた。
リリアは枕へ顔を埋めた。
「……これかも」
誰にも聞かれない声で呟く。
明日。
顔を見たら。
もっと分かる気がした。