魔法より、君に恋をする。
ノアルート 第39章 君が好き
翌朝、リリアはいつもより少し早く教室へ向かった。
昨夜、ベッドの中で何度も考えた。ノアに会いたい。手を繋ぎたい。笑っていてほしい。他の女の子と親しそうにしていると少し嫌で、卒業したあとも隣にいる未来を想像しても嫌ではない。むしろ、その未来が少し楽しみだった。
それを恋と呼ぶのなら。
たぶん、自分はもうノアが好きだ。
そう思ったところで、教室の扉を開ける。
まだ生徒は少なかった。
窓際。
いつもの席。
ノアはまだ来ていない。
「……早すぎた」
自分の席へ鞄を置く。教科書を出してみる。開いてみる。三行読んで、何も頭に入っていないことに気づいた。
廊下で足音がするたび、顔を上げる。
違う。
また違う。
「……遅い」
時計を見る。
別に遅くない。むしろ普段より十分以上早い。
それでも落ち着かない。
五分ほど経った頃。
「おはよ――」
聞き慣れた声。
顔を上げる。
青みを帯びた銀髪。青い瞳。白銀のネクタイ。昨日と同じ、何度も見てきたノアだった。
なのに。
見つけた瞬間。
嬉しかった。
「あ」
声が出た。
ノアがこちらを見る。
「リリア?」
笑う。
「おはよう」
胸が鳴る。
昨日より。
はっきりと。
「……おはよう」
「今日早いね」
「ノア待ってた」
「え?」
ノアの足が止まった。
「どうしたの?」
「いや、今……」
「ノア待ってたって言った」
「聞こえてた。聞こえてたけど、もう一回聞きたかった」
「変なの」
「朝からすごいなと思って」
ノアがこちらへ来る。
近づくほど。
嬉しい。
ああ。
やっぱり。
リリアは自分の胸へ手を当てた。
「ノア」
「ん?」
「分かった」
「何が?」
「昨日の続き」
ノアが目を瞬く。
「……秘密って言ってたやつ?」
「うん」
「もう分かったの?」
「今」
「今?」
「ノア見たら分かった」
青い瞳が少しずつ大きくなる。
「何が?」
聞かれた。
リリアは答えようとして。
止まる。
「……まだ言わない」
「ええ?」
「放課後」
「なんで!?」
「今言ったら授業できない気がする」
「僕はもう気になって授業できないよ!」
「頑張って」
「理不尽!」
ノアが頭を抱える。
それがおかしくて、リリアは笑った。
そして、その顔を見ながら改めて思う。
好きだ。
今度は。
迷わなかった。
*
「今日のリリア、機嫌いいね」
昼休み、セシルに言われた。
「分かる?」
「分かるよ」
「なんで?」
「ずっとノア見てるから」
「え」
リリアは自分の視線の先を見る。
ノア。
アレンと言い合いながらパンを食べている。
「……本当だ」
「無意識だったんだ」
「うん」
セシルが少し笑う。
「分かった?」
「何が?」
「前に言ってたこと」
――ノアの隣は、落ち着くのに落ち着かない。
「あ」
リリアは頷く。
「分かった」
「そっか」
「恋だった」
セシルが一瞬だけ黙った。
「……そっか」
「うん」
「ノアには?」
「まだ」
「言うの?」
「今日」
セシルは少しだけ目を伏せ、それからいつもの柔らかな笑顔を見せた。
「頑張って」
「告白って頑張るもの?」
「リリアなら普通に言いそうだね」
「好きって言えばいいんでしょ?」
「そうなんだけど」
「じゃあ言える」
「……本当に強いなあ」
「セシルも好きな人に言えばいいのに」
セシルが止まった。
「……そうだね」
「応援する」
「ありがとう」
その声が少しだけ寂しく聞こえた気がしたけれど、アレンの声が飛んできた。
「おいノア! それ俺の肉!」
「名前書いてませんでしたよ」
「俺の皿にあっただろ!」
「共有かと思って」
「思うか!」
「ノア」
リリアが呼ぶ。
「ん?」
「私のあげる」
「え、いいの?」
「うん」
「待て!」
アレンが叫ぶ。
「何?」
「なんでそいつだけ補充されんだよ!」
「ノアが食べたいから」
「俺も食いてえ!」
「自分のあったじゃん」
「そいつに取られたんだよ!」
「じゃあノア、返して」
「リリア、僕の味方じゃなかったの?」
「アレン先輩可哀想」
「そこは僕を選んでよ」
その言葉に。
リリアは少しだけ笑った。
「今日は選ぶよ」
「……え?」
「放課後」
ノアが固まった。
「何の話だ?」
アレンが眉を寄せる。
「秘密」
「絶対なんかあるだろ!」
ノアは。
それから昼休みが終わるまで。
明らかに落ち着かなかった。
*
放課後。
「リリア」
「うん」
「どこ行く?」
「中庭」
「分かった」
ノアの返事が妙に素直だった。
二人で歩く。
いつもなら何か話すのに、今日はノアが静かだ。
「緊張してる?」
「してる」
「ノアでも?」
「君、僕を何だと思ってるの?」
「余裕ある人」
「君の前ではほとんどないよ」
「そうなの?」
「最近特にね」
中庭。
授業が終わったばかりだから、人は少ない。
春の花が咲いている。
二人で木の下まで歩く。
リリアは振り返った。
「ノア」
「うん」
緊張している。
自分も。
胸が速い。
でも。
嫌ではない。
「手、出して」
「手?」
「うん」
ノアが右手を出す。
リリアはそれを握った。
「……まず手?」
「落ち着くから」
「僕は逆に緊張するんだけど」
「我慢して」
「はい」
温かい。
これが好き。
「昨日、ノアに好きってどんな感じか聞いたでしょ?」
「うん」
「会いたいとか、触りたいとか、笑っててほしいとか」
「うん」
「明日も一緒にいたいとか」
「……うん」
「考えた」
ノアの手が少しだけ強くなる。
「私、ノアに会いたい」
「うん」
「手繋ぎたい」
「うん」
「笑ってると嬉しい」
「……うん」
「他の女の子といると、ちょっと嫌」
「それは嬉しい」
「あと」
一度。
息を吸う。
「明日も会いたい」
ノアが何も言わない。
「明後日も」
青い瞳を見る。
「来週も」
もう。
怖くない。
「卒業したあとも、ノアが隣にいたらいいなって思った」
「リリア」
「だから」
言う。
「私、ノアが好き」
風が吹いた。
銀白色の髪が揺れる。
ノアは。
何も言わなかった。
「……ノア?」
「待って」
「また?」
「ちょっと本当に待って」
「なんで?」
「想像してなかった」
「昨日から結構分かりやすかったと思う」
「そうだけど!」
ノアが繋いでいない方の手で顔を覆う。
「そんなすぐ言ってくれると思わないじゃん……」
「なんで?」
「もっと待つと思ってた」
「待つの得意って言ってたもんね」
「得意になっただけ」
その声に。
ほんの少し。
昔の時間が滲んだ。
「ノア」
「うん」
「今は待たなくていいよ」
手を引く。
ノアが顔を上げる。
「私も好きだから」
青い瞳が揺れた。
そして。
笑った。
今まで何度も見てきた笑顔なのに。
今までで一番。
綺麗だと思った。
「……もう一回言って」
「好き」
「もう一回」
「好き」
「もう一回」
「多い」
「十二回くらい聞きたい」
「なんで十二回?」
「……何でもない」
ノアが笑う。
リリアは首を傾げたけれど。
「じゃあ三回まで」
「もう二回使った」
「あと一回」
「大事に取っておこうかな」
「好き」
「あ!」
「使い切った」
「ずるい!」
「ノアが欲しそうだったから」
「欲しいよ。何回でも」
「じゃあこれから言えばいいじゃん」
「これから?」
「うん」
「……これからも?」
「付き合ったら言うでしょ?」
ノアが固まった。
「……付き合う?」
「違うの?」
「いや、違わない! 全然違わない!」
「じゃあ付き合う?」
「待って、なんで告白された僕よりリリアの方が進行してるの?」
「時間かかる?」
「かからない」
「じゃあ」
ノアが。
急に真面目な顔になった。
「リリア」
「うん」
繋いでいた手を。
両手で包まれる。
「僕と付き合ってください」
「うん」
「……本当に?」
「うん」
「今のリリアが?」
「他に誰がいるの?」
ノアが息を呑む。
「今の私が、今のノアを好きになった」
その瞬間。
ノアの顔が歪んだ。
「……泣く?」
「泣かない」
「目、濡れてる」
「泣かない」
「泣いてもいいよ」
「格好悪い」
「別に」
「初めて付き合った日に泣く彼氏、嫌じゃない?」
彼氏。
その言葉が。
胸の中で跳ねる。
「ノア、彼氏?」
「……そうなるね」
「私、彼女?」
「そうなるね」
「変な感じ」
「嫌?」
「ううん」
リリアは笑った。
「嬉しい」
ノアは結局。
少し泣いた。
*
「ねえ」
「何?」
「恋人って何するの?」
付き合い始めて十分。
中庭のベンチに並んで座ったリリアが聞いた。
「……それ僕に聞く?」
「彼氏だから」
「その言葉、まだ心臓に悪い」
「彼氏」
「やめて」
「ノア彼氏」
「リリア」
「何?」
「楽しんでるでしょ」
「ちょっと」
ノアが笑う。
「手繋いだり」
「もうしてる」
「デートしたり」
「した」
「もっとする」
「うん」
「抱きしめたり」
「……」
リリアが止まる。
「嫌ならしないよ」
「したことない」
「うん」
「ノアとは?」
「ないね」
「してみたい」
ノアが固まった。
「……今?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
「じゃあする」
「待って待って」
「なんで?」
「僕にも心の準備がある」
「さっきから待ってばっかり」
「今日の君が速すぎるんだよ!」
リリアは笑う。
「じゃあ準備して」
「……した」
「早い」
「しない方がいい?」
「する」
ノアが立つ。
リリアも立つ。
向かい合う。
「どうするの?」
「おいで」
言われる。
リリアは一歩近づいた。
ノアの腕が。
ゆっくり。
背中へ回る。
抱きしめられる。
「……」
近い。
想像していたより。
ずっと。
耳を澄まさなくても。
ノアの心臓が聞こえる。
「速い」
「誰のせいだと思ってるの?」
「私?」
「君」
リリアも。
ノアの背中へ腕を回してみる。
ぎゅっと。
抱きしめる。
「……リリア」
「何?」
「それ反則」
「抱きしめるんでしょ?」
「そうだけど」
「嫌?」
「もっとして」
「いいの?」
「うん」
だから。
もう少し強く抱きしめる。
「ノア」
「ん?」
「これ好き」
「……僕も」
「手より好きかも」
「それは嬉しい」
「温かい」
「うん」
「生きてる」
その言葉に。
ノアの腕が少し強くなる。
「生きてるよ」
「よかった」
「うん」
昨日。
血を見た時。
怖かった。
今。
腕の中にいる。
温かい。
「ノア」
「何?」
「私より先に死ばないでね」
「死なない努力をする」
「一緒に生きる方」
「探す」
「うん」
「約束したからね」
「忘れないで」
「忘れない」
しばらく。
離れなかった。
*
女子寮へ帰る頃には、もう夕方だった。
いつもの場所。
いつもの別れ道。
でも今日は。
恋人。
「じゃあまた明日」
ノアが言う。
「うん」
手を離す。
……。
リリアは動かない。
「リリア?」
「もう一回」
「何を?」
「ぎゅってする」
ノアが笑った。
「おいで」
今度は。
リリアから近づく。
抱きしめられる。
「……毎日する?」
「したい?」
「うん」
「じゃあ毎日」
「朝も?」
「人いなかったら」
「昼」
「みんなの前?」
「駄目?」
「僕はいいけど、アレン先輩が死ぬと思う」
「じゃあやめとく」
「アレン先輩のために?」
「うん」
「優しいね」
笑いながら。
離れる。
でも。
近い。
顔を上げる。
ノアの顔。
青い瞳。
視線が。
一瞬だけ。
リリアの唇へ落ちた。
気づいた。
胸が。
跳ねる。
「……ノア」
「うん」
「今どこ見た?」
「言わない」
「唇?」
「言わない」
「キスしたい?」
「リリア」
「何?」
「そういうの、本人に聞かないで」
「なんで?」
「したくなるから」
「今は?」
「……したいよ」
正直だった。
リリアの胸が。
また鳴る。
「する?」
ノアの目が大きくなる。
でも。
少しして。
ノアは首を横に振った。
「今日はしない」
「なんで?」
「初めてだから」
「うん」
「僕が勢いで貰いたくない」
「私がいいって言っても?」
「うん」
「変なの」
「次のデートで」
「予約?」
「嫌?」
「……嫌じゃない」
ノアが笑う。
「じゃあ約束」
「うん」
リリアは少し考えて。
「でも」
「何?」
背伸びする。
ノアの頬へ。
唇を触れさせた。
ほんの一瞬。
離れる。
「……」
ノアが固まった。
「これは?」
「……リリア」
「キスじゃない?」
「キスだよ!」
「唇じゃない」
「そういう問題じゃない!」
「嫌だった?」
「そんなわけないでしょ!」
「よかった」
「ちょっと待って、本当に……」
ノアが頬を押さえる。
真っ赤だった。
「可愛い」
「誰のせい!?」
「私」
「分かってるなら!」
リリアは笑った。
「おやすみ、ノア」
「……おやすみ」
「また明日」
「うん」
数歩進む。
振り返る。
ノアはまだ頬を押さえていた。
「ノア」
「何!?」
「好き」
「……!」
「今日三回使ったから、これは明日の分」
「そういう制度なの!?」
「またね」
「リリア!」
笑いながら女子寮へ入る。
胸が。
ずっと。
温かい。
好きだと分かる前より。
分かったあとの方が。
ずっと楽しかった。
*
一人残されたノアは、しばらく動けなかった。
頬に。
まだ。
柔らかな感触が残っている気がする。
「……好きって」
言ってくれた。
今の彼女が。
自分を。
何度も待った。
何度も願った。
けれど。
今日のこれは。
そのどれとも違う。
過去の続きではない。
新しい恋だった。
「……明日も会える」
声にしてみる。
明日。
彼女は生きている。
自分も生きている。
会える。
その当たり前が。
今は何より嬉しい。
ノアは頬を押さえたまま、小さく笑った。
「次のデート、どうしよう」
考えることが。
死に方ではなく。
彼女と過ごす休日のことになっている。
その変化に。
ノア自身は。
まだ気づいていなかった。