魔法より、君に恋をする。
ノアルート 第41章 十三本目の行き先
恋人になって最初の月曜日。
リリアは教室へ入るなり、迷うことなくノアの席へ向かった。
「おはよう」
「おはよう、リリア」
「手」
「朝の挨拶より先じゃなかっただけ成長したね」
「繋がない?」
「繋ぐ」
差し出された手を握る。休日のデートで覚えたばかりの恋人繋ぎにすると、ノアが少しだけ目を丸くした。
「……学校でもそれ?」
「駄目?」
「僕は最高だけど」
「じゃあいい」
「よくないかもしれない人が後ろにいるよ」
「え?」
振り返る。
アレンがいた。
「朝っぱらから何見せられてんだ、俺は」
「手繋いでるだけです」
「指絡めてんじゃねえか!」
「恋人だから」
「知ってるよ!」
「アレン先輩、声大きい」
「誰のせいだ!」
リリアは首を傾げる。ノアは隣で笑いを堪えていた。
「リリア、そろそろ席行かないと先生来るよ」
「うん」
手を離す。
けれど二歩進んで、リリアは戻った。
「ノア」
「ん?」
「好き」
「……っ」
「今日の分」
「朝から!?」
「昨日、毎日言うって約束した」
「したけど……」
「ノアは?」
ノアが少しだけ頬を赤くする。
「好き」
「うん」
「大好き」
今度はリリアが止まった。
「……二個言った」
「昨日の仕返し」
「ずるい」
「恋人だから許して」
「それ私のやつ」
笑いながら席へ戻る。
その途中でセシルと目が合った。
「おはよう、リリア」
「おはよう」
「朝から幸せそうだね」
「うん」
素直に頷くと、セシルは少しだけ困ったように笑った。
「それならよかった」
「セシルも好きな人とうまくいくといいね」
「……ありがとう」
その人が誰なのか、リリアはまだ知らない。
いつか教えてくれたらいいと思う。
今は。
自分の恋で精一杯だった。
*
昼休み。
いつもの七人で食事をしていると、ルシアンが突然口を開いた。
「ところで」
嫌な予感がした。
「何ですか、ルシアン先輩」
「君たち、付き合ったそうだね」
ノアがむせた。
「なんで知ってるんですか!?」
「学院というのは狭い場所だよ」
「誰から聞いたんですか」
「三人」
「誰!?」
「守秘義務がある」
「絶対ないでしょ!」
リリアはパンを食べながらルシアンを見る。
「付き合いました」
「君は隠す気がないんだね」
「なんで隠すんですか?」
「いや。悪いことではない」
ルシアンが笑う。
「おめでとう、リリア。ノア」
「ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
ノアは少し照れている。
レオンハルトも微笑んだ。
「僕からも。おめでとう」
「ありがとうございます、レオン先輩」
「幸せそうだね」
「はい」
そう答えた瞬間。
ほんの少し。
レオンハルトの青い瞳が寂しそうに見えた。
アレンは露骨に不機嫌だった。
「俺はまだ祝ってねえからな」
「祝ってください」
「嫌だ」
「なんで?」
「なんでもだ!」
「でも付き合いました」
「知ってる!」
カイルは静かに食事を続けている。
けれど。
「クロフォード先輩」
「何だ」
「祝ってくれます?」
「……幸せなら、それでいい」
「はい。幸せです」
カイルの手が、一瞬だけ止まった。
「そうか」
それだけ。
でも。
優しい声だった。
リリアは少しだけ胸が痛くなった。
六人とも大切。
けれど。
選んだ。
だから。
曖昧にはしたくない。
リリアは隣に座るノアの袖を摘んだ。
「何?」
「何でもない」
「くっつきたくなった?」
「うん」
「素直だね」
ノアが嬉しそうに笑う。
その顔を見て。
やっぱり。
選んでよかったと思った。
その時だった。
「……リリア」
ルシアンの声が変わった。
「何ですか?」
「その首元」
「え?」
全員の視線が集まる。
リリアは自分の胸元を見る。
制服の下。
何かが。
光っている。
「何これ」
服の上から触れる。
熱くない。
痛くもない。
でも。
確かに光っている。
「保健室――いや、生徒会室へ来てくれるかい」
ルシアンが立ち上がる。
ノアもすぐに立った。
「僕も行きます」
「当然だ」
「私も」
セシルが言う。
アレンも。
カイルも。
レオンハルトも。
「全員来る気?」
ルシアンが少し呆れた顔をする。
「駄目ですか?」
リリアが聞く。
「……いや」
ルシアンは小さく息を吐いた。
「ここまで来たなら、今さら一人ずつ追い返す意味もないか」
*
生徒会室。
リリアは首元のリボンを少し緩めた。
「見える?」
胸元。
鎖骨の少し下。
そこに。
淡い銀色の線が浮かんでいる。
「これ……」
ノアの顔から笑みが消える。
一本。
二本。
三本。
円を描くように。
線が増えていく。
ルシアンが古い記録を机へ広げた。
「十二本」
かつて何度も見た構造。
世界を閉じる線。
再構築を示す円環。
そして。
「来る」
カイルが低く言った。
十三本目。
それは。
十二本の輪の外へ向かって伸びた。
リリアの胸元から。
一本の光が。
円を突き破るように。
外へ。
「……十三本目」
レオンハルトが呟く。
「今までと違う」
セシルが言う。
「今までは途中で消えていた」
ルシアンが答える。
「だが今回は」
十三本目の線が。
止まらない。
伸びる。
さらに。
その先で。
小さな円を描いた。
「……何?」
リリアが聞く。
ルシアンは答えなかった。
顔色が変わっている。
「ルシアン先輩?」
「これは」
彼の指が。
古い記録の一箇所を辿る。
「……世界座標だ」
部屋が静かになった。
「世界?」
「正確には、世界を一つの独立した存在として固定するための印だ」
ノアが記録を見る。
「じゃあ」
「十三本目は」
ルシアンがリリアを見る。
「出口ではない」
「え?」
「出口であると同時に」
一度。
息を吐く。
「新しい世界を作るための線だ」
リリアは胸元を見る。
十三本目。
その先にある。
小さな円。
「じゃあ今いるここは?」
「まだ完成していない」
その言葉に。
ノアの手が動いた。
リリアの手を握る。
「どういう意味ですか」
声が低い。
「十三回目の世界じゃないんですか」
「そこが、僕たちの認識違いだった可能性が高い」
ルシアンが古い記録をめくる。
「第一の世界が壊れ、その後、十二回の再構築が行われた。僕たちは便宜上、今を十三回目と呼んでいた」
「違うの?」
リリアが聞く。
「ああ」
ルシアンは首を横に振った。
「ここは十三回目の再構築世界ではない」
沈黙。
「十二回目の世界が終わったあと、本来なら再び同じ構造で十三回目が始まるはずだった。しかし、それが起きなかった」
「じゃあ」
セシルが聞く。
「今ここにある世界は何なんです?」
ルシアンの紫の瞳が。
リリアを見る。
「彼女と同じだ」
「私?」
「独立個体」
胸が。
鳴った。
「誰かに完成させられたものではない。過去の世界の複製でもない。十二回の再構築から外れて、自発的に発生した新しい世界」
「……だから」
ノアが呟く。
「今までなかったことが起きてる?」
「おそらく」
ルシアンが頷く。
「レオンに記憶がないこと。セシルがアルカディアを選んだこと。リリアが過去のリリアと魂を共有していないこと。そして十三本目の線」
全部。
今までと違う。
「じゃあ、いいことじゃない?」
リリアが言う。
「新しい世界なんでしょ?」
「完成すればね」
ルシアンの声が。
重くなる。
「完成しなかったら?」
「消える」
ノアの手に。
力が入った。
「……いつ」
「分からない」
「どうすれば完成するんですか」
「それも――」
突然。
窓が。
黒く染まった。
*
昼だった。
さっきまで。
確かに。
昼だった。
なのに。
窓の外。
空に。
黒い月が浮かんでいる。
「……あれ」
アレンが立ち上がる。
「前と同じじゃねえか」
「違う」
カイルが言った。
「何が?」
「大きすぎる」
黒い月。
空の半分を覆うほど。
巨大。
そして。
リリアの胸元の線が。
熱を持った。
「痛っ」
「リリア!」
ノアが支える。
「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「ちょっと熱いだけ」
「見せて」
十三本目の線。
その先の円。
そこへ。
黒い染みが広がっている。
「ルシアン」
カイルの声。
「これは何だ」
「……干渉だ」
「誰の?」
ルシアンが答える前に。
声がした。
『――見つけた』
全員。
聞いた。
今度は。
リリアだけではない。
『やっと』
どこからともなく。
男とも。
女とも。
人間とも言えない声。
『器が、世界を持った』
ノアがリリアを自分の後ろへ庇う。
「出てこい」
『ノア』
声が。
名前を呼んだ。
ノアの身体が固まる。
『まだ、その器を守るのか』
「……黙れ」
『十二回』
リリアは。
ノアの手が。
震えたのを感じた。
『十二回も』
「黙れ」
『お前は守れなかった』
「黙れ!」
魔力が弾ける。
「ノア!」
リリアが腕を掴む。
ノアが振り返る。
「私ここにいる」
「……」
「見て」
青い瞳。
「私」
呼吸が。
少しずつ戻る。
「……うん」
声が笑った。
『それは、リリアではない』
「知ってる」
リリアが答えた。
部屋が静かになる。
『……何?』
「私は昔のリリアじゃない」
胸元。
十三本目の線へ触れる。
「エリシア」
自分で。
その名を言う。
「でもリリアでもある。私がそう決めた」
『違う』
「何が?」
『その名は』
黒い月が。
揺れる。
『お前に与えたものではない』
「誰が?」
声が。
一瞬。
止まった。
「誰が私に名前をつけたの?」
答えない。
「誰が私を作ったの?」
『――』
「誰がこの世界を作ったの?」
沈黙。
「私じゃないの?」
胸元の線が。
光った。
黒い染みを。
押し返す。
『……やめろ』
「なんで?」
『その世界は完成してはいけない』
ルシアンの表情が変わる。
「なるほど」
「何が分かったんですか?」
「こいつの目的だ」
ルシアンが黒い月を見る。
「世界を壊すことじゃない」
『黙れ』
「十三番目の世界を」
ルシアンは続けた。
「独立させたくないんだ」
黒い月が。
大きく脈打った。
*
その直後。
空は戻った。
青空。
昼。
何事もなかったように。
「……消えた?」
レオンハルトが窓へ近づく。
「一時的にね」
ルシアンが答える。
「また来る」
ノアは。
まだリリアの手を握っている。
強い。
「ノア」
「うん」
「痛い」
「あ、ごめん」
すぐに緩む。
「離さなくていい」
「……うん」
今度は。
優しく握る。
「ルシアン先輩」
リリアが聞く。
「私たち、何すればいいですか?」
「調べる」
「それだけ?」
「まずはね。敵の正体、十三本目の完成条件、そして――」
ルシアンが。
リリアの胸元を見る。
「なぜ君が、この世界の核になっているのか」
「核?」
「おそらく」
嫌な言葉だった。
「私が死んだら?」
隣で。
ノアの身体が固まった。
「リリア」
「聞かないと」
ルシアンを見る。
「私が死んだら、この世界も消えますか?」
長い沈黙。
「……可能性はある」
ノアの手が。
また強くなる。
でも。
リリアは。
握り返した。
「ノア」
「……うん」
「約束」
「分かってる」
「私を助けるために死ばない」
「分かってる」
「一緒に生きる方」
ノアが。
リリアを見る。
怖そうだった。
でも。
逃げなかった。
「……探す」
「うん」
「絶対に」
今度は。
ノアから。
指を絡めた。
*
その夜。
ノアは一人で。
学院の屋上にいた。
空を見る。
月は。
普通の白い月。
「十二回守れなかった」
あの声。
間違ってはいない。
何度も。
失った。
だから。
身体が知っている。
危険が来たら。
彼女を後ろへ。
自分が前へ。
彼女が生きるなら。
自分は。
「……違う」
声にする。
今日。
リリアに言われた。
約束。
『一緒に生きる方』
「分かってる」
でも。
もし。
最後に。
彼女か。
自分か。
どちらかしか。
生きられないとしたら。
その時。
自分は。
本当に。
彼女と交わした約束を守れるのだろうか。
「ノア」
後ろから声がした。
振り返る。
「……リリア?」
「いた」
「なんでここに」
「探した」
「女子寮は?」
「抜けてきた」
「駄目でしょ」
「ノアがいなかったから」
リリアが歩いてくる。
「どうしてここだって?」
「分からなかったからいっぱい探した」
「それ絶対迷っただけだよね?」
「ちょっと」
「ちょっとじゃないでしょ」
いつもの会話。
それだけで。
胸が緩む。
リリアが目の前まで来る。
「ノア」
「ん?」
「怖い?」
誤魔化せなかった。
「……うん」
「私も」
「リリアも?」
「世界消えるかもしれないんでしょ?」
「……うん」
「怖いよ」
リリアは。
ノアの服を掴んだ。
「だから」
抱きつく。
ノアが息を呑む。
「一人で怖がらないで」
「……」
「恋人でしょ」
ノアの腕が。
ゆっくり。
背中へ回る。
「こういう時にも使うんだ、その言葉」
「便利」
「便利扱いしないで」
「好き」
「……ずるい」
「ノアは?」
「大好き」
「うん」
抱きしめる。
白い月の下。
黒い月ではない。
今は。
まだ。
「リリア」
「何?」
「キスしていい?」
「うん」
短く。
唇が触れる。
離れる。
リリアは。
もう一度。
自分から触れた。
「二回」
「怖い時は二回?」
「三回でもいい」
「じゃあ」
三回目。
今度は。
少しだけ長く。
唇を離したあと。
額を合わせる。
「ノア」
「うん」
「明日も会おうね」
胸が。
痛んだ。
でも。
ノアは笑った。
「うん」
明日。
その言葉を。
約束にする。
「明後日も」
「うん」
「来週も」
「うん」
「来年も」
「うん」
「卒業したあとも」
ノアは。
少しだけ目を閉じた。
「……うん」
「ずっと?」
十二回。
言えなかった。
願って。
失って。
諦めて。
それでも。
今度は。
「ずっと」
答えた。
リリアが笑う。
「約束」
「約束」
十三本目の線は。
その時。
二人の知らないところで。
ほんの少しだけ。
先へ伸びた。