魔法より、君に恋をする。
ノアルート 第43章 十三番目が生まれた理由
十三本目の線は、翌朝にはまた少し伸びていた。
鏡の前で制服の襟元を少し開き、鎖骨の下に浮かぶ銀色の線を確認したリリアは、昨夜より確実に長くなっているそれを指先でなぞった。
「……選択」
昨日、ルシアンが言っていた。
自分が未来を選ぶたび、この世界は完成へ近づく。
だとしたら、どこまで伸びれば完成するのだろう。世界が完成した瞬間、自分には何が起こるのか。偽神はそれまで待ってくれるのか。
分からないことは多い。
でも。
「ノアに聞こ」
そう呟いたところで、リリアは少し笑った。
前なら、分からないことがあればまず自分で考えていた。それでも分からなければセシルに相談するか、専門的なことならルシアンを探した。
今は。
最初にノアが浮かぶ。
「……彼氏って便利」
本人が聞いたらまた怒りそうだと思いながら、リリアは部屋を出た。
*
教室へ入る。
ノアはいない。
「あれ」
昨日より遅い。
席へ鞄を置き、それでも気になって廊下を見る。
いない。
一分。
二分。
三分。
「遅い」
「誰が?」
後ろから声がした。
「ノア」
「僕?」
振り返る。
いた。
「遅い」
「まだ始業二十分前だけど」
「待ってた」
「……」
「何?」
「いや」
ノアが笑う。
「毎朝これ言われたいなと思って」
「じゃあ早く来て」
「待っててほしいから少し遅く来ようかな」
「それなら待たない」
「難しいなあ」
リリアはノアの手を取る。
「おはよう」
「おはよう」
「好き」
「好き」
「大好き」
「僕も大好き」
「あと」
「うん?」
周囲を見る。
まだ少ない。
「今日はセシルいない」
「……リリア」
「今ならできる」
「朝から?」
「昨日できなかった」
「根に持ってたんだ」
「ちょっと」
ノアが笑いながら身を屈める。
軽く唇が触れた。
一度。
「終わり?」
「学校だからね」
「もう一回」
「リリア」
「一回だけ」
「その一回だけ、昨日何回聞いたかな」
「覚えてない」
「僕は覚えてるよ」
それでも。
もう一度。
短くキスをする。
離れた瞬間。
「……おはよう、二人とも」
声。
振り返る。
セシル。
「……おはよう」
「おはようございます」
「今日は間に合わなかったね」
セシルが笑う。
「何に?」
「邪魔するの」
「セシル!」
ノアが真っ赤になる。
リリアは少し考えて。
「明日はもっと早くする」
「そういう対策なんだ」
「うん」
「リリア、強いね」
「最近よく言われる」
ノアが額を押さえていた。
*
放課後。
生徒会室へ向かうと、すでにルシアン、カイル、レオンハルト、アレンが揃っていた。
「ノアとリリア遅えぞ」
「授業終わったばかりですよ」
「こいつらどうせ途中でいちゃついてたんだろ」
「してません」
「手繋いで来た」
「リリア!」
「ほら見ろ!」
「手くらいいいでしょ!」
「俺は何もよくねえ!」
アレンが騒いでいる横で、ルシアンは机の上に広げた紙から顔を上げた。
「元気そうで何よりだ。こちらは徹夜だよ」
「寝た方がいいですよ」
「世界が滅びたら永遠に眠れる」
「縁起悪い」
「僕もそう思う」
「なら言わないでください」
いつもの調子で返すと、ルシアンは少しだけ笑った。
「座ってくれ。かなり重要なものを見つけた」
その一言で、空気が変わった。
リリアとノアが並んで座る。机の下で、自然と手を繋いだ。
「昨日、十三本目が伸びる条件について《選択》だと言ったね」
「はい」
「あれはほぼ間違いない」
ルシアンが一冊の記録を開く。
「ただし、単に何かを選べばいいわけではない」
「朝ご飯パンにするとか?」
「それで世界が完成するなら楽だったね」
「違うんだ」
「残念ながら」
ルシアンは文字を指す。
「《既定因果から外れる自律選択》」
「……難しい」
「簡単に言えば」
レオンハルトが先に口を開いた。
「過去に決められていない未来を、自分で選ぶこと?」
「正解だ」
「じゃあ」
リリアは考える。
「ノアと付き合ったのは?」
「過去にも君とノアが恋人になった世界は存在する」
胸が少しだけちくりとする。
「なら違う?」
「いや」
ルシアンは首を振った。
「そこが重要なんだ。結果だけを見れば似ている。しかし、過程が違う」
「過程?」
「過去の君ではない魂が、過去を知らない状態で、現在のノアを知り、自分の意思で好きになった」
ノアの手が少し強くなる。
「だから」
「既定因果ではない」
ルシアンが頷く。
「偽神が用意した《リリアは六人のうち誰かを選ぶ》という構造に似ていても、君自身の選択である限り、それは別の未来だ」
「……よかった」
思わず言った。
「何が?」
ノアが聞く。
「ノア好きなの、決められてなくて」
ノアが一瞬黙った。
「……うん」
「私が決めた」
「うん」
「だから好き」
「待って、今すごく嬉しい」
「よかった」
アレンが机を叩いた。
「話進めろ!」
「アレン先輩、今日ずっと怒ってますね」
「お前らのせいだ!」
「半分くらいは元からじゃない?」
「ノア、お前も黙れ!」
ルシアンが咳払いをする。
「続けても?」
「お願いします」
*
「そして、もう一つ分かった」
ルシアンの表情が真剣になる。
「今の世界がなぜ生まれたのか」
リリアは姿勢を正した。
「それ知りたかった」
「ああ」
「誰が作ったんですか?」
「誰か一人ではない」
ルシアンは答えた。
「十二回目の世界の終わりに、複数の選択が重なった」
「誰の?」
ルシアンは。
ノアを見る。
アレンを見る。
カイルを見る。
そして。
自分自身の胸元へ指を置いた。
「僕たちだ」
記憶を持つ四人。
「……僕ら?」
ノアが聞く。
「ああ」
「何したんですか」
「願ったんだ」
ルシアンの声が静かになる。
「もう彼女を選ばせるな、と」
ノアの表情が変わった。
「……」
「覚えているだろう?」
長い沈黙。
「少し」
ノアが答える。
「十二回目の最後」
目を閉じる。
「世界が崩れて」
「うん」
「彼女が……」
言葉が止まる。
リリアは握っている手へ力を込めた。
「無理に言わなくていい」
「……ありがとう」
ルシアンが続ける。
「十二回目の終わり、僕たちは初めて同じ結論に至った」
カイルが低く言う。
「次があるなら、俺たちが決めるな」
アレンも。
「選ばせるな。誰か一人のために死なせんな」
ノアが。
ゆっくり。
続ける。
「……僕たちのことを、忘れていい」
胸が。
締めつけられる。
「ノア」
「僕、言った」
青い瞳が。
遠い過去を見る。
「次の世界があるなら、僕たちのことなんて全部忘れていいから」
少し笑う。
「自分のために生きてって」
リリアは。
何も言えなかった。
「僕は」
ルシアンが続ける。
「世界の管理者として、再構築命令を拒絶した」
「拒絶できたんですか?」
「本来ならできない」
「じゃあ?」
「壊した」
「何を?」
「僕自身を」
ルシアンは平然と言った。
「管理権限の一部を破棄した。次の再構築で《リリア》を既定位置へ配置する命令を実行できないようにした」
「それで今の私が?」
「それだけではない」
カイルが口を開く。
「俺は」
拳を握る。
「次の彼女を守るな、と願った」
「……え?」
「俺から」
カイルはリリアを見る。
「俺たちの記憶から。俺たちの後悔から。俺たちの勝手な愛情から」
リリアは黙る。
「アレン先輩は?」
「俺は単純だ」
アレンが椅子にもたれる。
「もう同じ女を作るなって願った」
「……」
「同じ顔で、同じ魂で、同じ運命背負わせて、また俺らの前に置くくらいなら」
赤い瞳が細くなる。
「次は別の誰かにしろって」
「それが」
リリアは。
自分の胸へ手を置く。
「私?」
「たぶんな」
そして。
ノア。
「僕は」
ノアが言う。
「自由にしてって願った」
リリアを見る。
「僕を好きにならなくていい」
胸が。
少し痛む。
「会わなくてもいい。僕を知らなくてもいい。別の誰かを好きになってもいい」
「ノア」
「ただ」
ノアが笑う。
「生きてほしかった」
リリアの目の奥が。
熱くなる。
「……なのに会ったね」
「会ったね」
「好きになった」
「……うん」
「ノアを」
「うん」
リリアは手を握り直す。
「じゃあノアの願い、半分失敗」
「最高の失敗だよ」
ノアが笑った。
*
「四人の願いだけで、新しい魂は作れない」
ルシアンが説明を続ける。
「だが、僕たちの拒絶によって十二回続いた構造に亀裂が入った。そして、その亀裂へ世界そのものが反応した」
「世界が?」
「十二回の中で生きた人間たちの選択だ」
ルシアンは記録を見つめる。
「偽神は世界を何度も巻き戻した。だが、巻き戻しても完全には消えないものがあった」
「記憶?」
「違う」
セシルが呟く。
「選んだこと?」
ルシアンが彼女を見る。
「そうだ」
「人が自分で選んだこと」
「それだけは、世界に痕跡として残った」
誰かを助けた。
誰かを愛した。
逃げた。
戦った。
間違えた。
それでも。
自分で選んだ。
「十二回分の《選択》が蓄積した結果、世界そのものが偽神の再構築から外れようとした」
リリアは。
少しずつ。
理解する。
「それで新しい世界が生まれた」
「そう」
「私も?」
「ああ」
ルシアンが頷く。
「君は誰か一人が作った存在ではない」
静かな声。
「十二回の世界で、人々が自分で選んだ可能性。その集積から生まれた魂だ」
リリアは。
胸元を見る。
十三本目。
「可能性創造」
自分の魔法。
「……だから私の魔法」
ルシアンが頷く。
「おそらくね」
「可能性を作る」
「君自身が」
彼は少しだけ笑う。
「可能性から生まれたから」
不思議だった。
感動するべきなのかもしれない。
泣くべきなのかもしれない。
でも。
リリアが最初に思ったのは。
「……じゃあ私、結構みんなの子?」
全員が止まった。
「リリア」
ノアが額を押さえる。
「何?」
「今の説明聞いて最初の感想それ?」
「違う?」
「概念としては……」
ルシアンが真剣に考え始める。
「ルシアン先輩も考えないでください!」
ノアが止めた。
セシルが吹き出した。
レオンハルトまで笑う。
アレンは腹を抱えている。
「お前すげえな!」
「何が?」
「そういうとこだよ!」
カイルだけが。
ほんの少し。
口元を緩めていた。
リリアも笑った。
自分が何から生まれたとしても。
今。
笑っている。
それでいい。
*
その瞬間だった。
窓が。
黒く染まった。
笑い声が止まる。
「来た」
ノアが立ち上がる。
空。
黒い月。
昨日より。
近い。
『――なるほど』
声。
『知ったか』
「知った」
リリアが答える。
『自分が何であるかを』
「うん」
『ならば理解したはずだ』
「何を?」
『お前は、人間ではない』
ノアが一歩前へ出る。
「黙れ」
でも。
リリアが腕を掴んだ。
「いい」
「リリア」
「私が話す」
黒い月を見る。
「人間じゃないと駄目なの?」
『……』
「私、ご飯食べるし」
アレンが小さく「そこかよ」と呟いた。
「眠いし。迷子になるし。ノア好きだし」
「最後だけ急に嬉しい」
「黙ってて」
「はい」
「セシルも好き。みんな大切。魔法使う。怪我したら痛い。死ぬの怖い」
胸へ手を置く。
「十分じゃない?」
『お前は世界の機構だ』
「だから?」
『人ではない』
「私が人だと思ってるから人」
『――』
「それじゃ駄目?」
声が。
少し。
歪んだ。
『選択』
黒い月が脈打つ。
『また、選択』
「うん」
『それが世界を壊した』
「違う」
ルシアンが言う。
「選択が、お前の世界を壊したんだ」
『黙れ、管理者』
「もう管理者ではないよ」
『お前が壊した』
「そうだね」
ルシアンは笑った。
「誇りに思っている」
黒い月が揺れる。
『ならば』
声が。
変わった。
『選ばせよう』
空間が。
歪む。
「リリア!」
ノアが手を伸ばす。
でも。
届かなかった。
*
気づくと。
リリアは。
一人だった。
「……ノア?」
白い場所。
何もない。
前を見る。
誰かがいる。
銀白色の髪。
紫色の瞳。
自分と。
同じ顔。
「……誰?」
少女が。
笑う。
『はじめまして』
優しい声。
『エリシア』
胸が。
鳴った。
「第一リリア?」
『そう呼ばれていたもの』
「本物?」
『違う』
即答だった。
『私は記録』
少女は。
少し寂しそうに笑う。
『あなたたちが言う、第一リリアの再現情報』
「……偽神が作った?」
『そう』
「私を消すため?」
『そうなる』
「嫌?」
少女が。
目を見開く。
「あなたは嫌じゃないの?」
『私は記録だから』
「でも喋ってる」
『そう見えるように作られている』
「じゃあ聞く」
リリアは一歩近づく。
「あなた、ノア好き?」
少女の顔が。
変わった。
『……』
「好きなんだ」
『記録にそうある』
「ルシアン先輩は?」
『愛していた』
「他のみんなは?」
『大切だった』
「じゃあ」
リリアは。
まっすぐ彼女を見る。
「私の身体欲しい?」
長い。
長い沈黙。
そして。
『……欲しくない』
初めて。
記録ではないような声だった。
「なんで?」
『あなたを見たから』
「私?」
『あなたは』
少女が笑う。
『私より、ずっと自由』
「そう?」
『うん』
「方向音痴だけど」
『知ってる』
「なんで知ってるの?」
『見ていたから』
「恥ずかしい」
『面白かった』
「第一リリアも笑うんだ」
『笑うよ』
少し。
似ている。
でも。
違う。
「ノアに会いたい?」
聞く。
少女は。
しばらく黙った。
『会いたい』
「そっか」
『でも』
紫の瞳が。
リリアを見る。
『あなたを消してまで、会いたくない』
胸が。
少しだけ温かくなる。
「同じこと言ってた」
『誰が?』
「ノア」
少女が。
泣きそうな顔で。
笑った。
『……そっか』
*
その頃。
生徒会室。
「リリア!」
ノアは。
倒れたリリアを抱えていた。
息はある。
心臓も。
動いている。
でも。
目を開けない。
「ルシアン!」
「待て」
「何を待つんですか!」
「意識だけが隔離されている」
「戻せる?」
「探している!」
黒い月。
声が。
ノアへ囁く。
『ノア』
「黙れ」
『会いたくないか』
「黙れ」
『お前が愛したリリアに』
腕の中。
今のリリア。
温かい。
『返してやる』
「いらない」
即答した。
『……何?』
「彼女は死んだ」
声が震える。
「会いたいよ」
十二回。
好きだった。
「今でも」
忘れられない。
「でも」
腕の中の少女を。
抱きしめる。
「この子を殺してまで会ったら」
青い瞳が。
黒い月を見る。
「昔のリリアに、僕が殺される」
『……』
「絶対怒るよ」
少し。
笑った。
「そういう人だったから」
黒い月が。
大きく揺れた。
『ならば』
声が。
冷たくなる。
『選べ』
ノアの前に。
二つの光が現れる。
一つ。
過去。
第一リリア。
もう一つ。
現在。
腕の中のリリア。
『過去を捨てれば、今を残す』
ノアが目を細める。
『過去の記憶を全て失え』
「……」
『十二の世界を忘れろ』
声が笑う。
『それならば』
黒い月が。
告げる。
『今のリリアを返してやる』
ノアの呼吸が。
止まった。