魔法より、君に恋をする。
レオンハルトルート 第36章 知らない君を知りたい
翌朝、リリアは教室へ向かう途中で二度、二年生の校舎を見た。
一度目は偶然だった。二度目は、もしかしたらレオンハルトが通るかもしれないと思った。
三度目に見ようとしたところで、隣を歩いていたセシルに気づかれた。
「さっきから何見てるの?」
「二年生の校舎」
「うん。それは分かるけど」
セシルがリリアの視線の先を追う。
「誰かいる?」
「レオン先輩」
「今はいないね」
「うん」
「会いたい?」
「昨日会った」
「昨日会った人には今日は会いたくならない?」
言われて、リリアは考える。
「なる」
「じゃあ会いたいんだね」
「そっか」
納得すると、セシルが小さく笑った。
「リリアって、こういうところ素直だよね」
「何が?」
「自分の気持ちには鈍いのに、認めることにはあんまり抵抗がない」
「分からないものを分かったふりする方が嫌だから」
「なるほど」
セシルはそれ以上追及しなかった。
ただ教室へ向かって歩きながら、ほんの少しだけ遠くを見るような目をした。
「セシル」
「なに?」
「好きな人とはどう?」
セシルの足が一瞬止まる。
「……急だね」
「前に聞いたから」
「まだ何も変わってないよ」
「会いたい?」
「毎日会ってる」
「じゃあいいね」
「そうだね」
セシルは笑った。
「会えるだけでも、結構嬉しいよ」
その言葉を聞いて、リリアはもう一度だけ二年生の校舎を見た。
今度も、金色の髪は見つからなかった。
*
昼休みになって、ようやく会えた。
いつもの場所へ向かうと、すでにレオンハルトが座っていた。アレンと何か話していたが、リリアに気づいた瞬間、青い瞳がこちらへ向く。
「あ」
思わず声が出た。
「おはようございます」
「もう昼だけど」
「今日初めて会ったから」
「そういう意味?」
「はい」
レオンハルトが笑った。
「じゃあ、おはよう。リリア」
「おはようございます」
向かいへ座ろうとして、少し迷う。
隣が空いている。
昨日まではどこへ座るかなんて気にしたことがなかった。
今日は。
「ここいいですか?」
レオンハルトの隣を指した。
「もちろん」
座る。
それだけ。
なのに少し嬉しい。
「昨日、楽しかったです」
「僕も」
「また行きたい」
「昨日もう約束したよ」
「確認」
「そんなに?」
「忘れられたら嫌だから」
レオンハルトの手が止まった。
「忘れないよ」
思っていたより真剣な声だった。
リリアは彼を見る。
「……レオン先輩?」
「いや」
レオンハルトが少し笑う。
「何でもない」
けれど、その表情はどこか複雑だった。
忘れる。
その言葉は。
彼にとって、きっと自分とは違う意味を持つ。
過去の世界を覚えていない人。
他の四人が知っているものを、自分だけ知らない人。
「レオン先輩」
「うん?」
「忘れてても怒りませんよ」
「今の約束を?」
「違う」
リリアは少し考える。
「昔のこと」
青い瞳が静かになる。
「私も覚えてないから」
「……そうだね」
「同じ」
「君と僕が?」
「はい」
レオンハルトはしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「それ、少し安心するな」
「何が?」
「僕だけじゃないと思えるから」
その時。
「何の話してんだ?」
アレンが割り込んだ。
「二人だけで妙な空気出すな」
「妙な空気?」
「お前は分からなくていい」
「アレン先輩、昨日から機嫌悪いですね」
「誰のせいだと思ってんだ」
「分からない」
「だろうな!」
向かいでノアが笑っている。
カイルは相変わらず静かに食事をしていて、ルシアンは本を読みながら器用に紅茶を飲んでいる。
いつもの昼休み。
ただ。
リリアは隣にいるレオンハルトを、昨日までより少し意識していた。
*
午後の実技授業は、学年合同だった。
二人一組で魔法障壁を展開し、別の組から飛んでくる攻撃魔法を防ぐ。単純な訓練だが、相手と呼吸を合わせる必要がある。
リリアの相手はセシルだった。
「右お願い」
「任せて」
リリアが正面の魔法を防ぎ、セシルが右側から飛んできた魔力弾を剣で弾く。二人は長く組んでいるわけではないのに、不思議と動きが合った。
「終わり」
最後の一撃を防ぐ。
「やっぱりリリアとはやりやすいね」
「私も」
次の組へ交代するため、訓練場の端へ下がる。
その時。
別の場所にいるレオンハルトが目に入った。
二年生の女子生徒と組んでいる。
当然だった。
授業なのだから。
レオンハルトは相手に何かを説明している。女子生徒が笑い、彼も笑った。
胸の奥に。
小さな違和感。
「……」
「リリア?」
「何?」
「今、すごい顔してたよ」
「どんな?」
「難しい魔法式を見てる時みたいな顔」
「魔法じゃない」
「何見てたの?」
セシルが視線を追う。
そして。
「ああ」
「何?」
「ううん」
「言って」
「レオン先輩見てた?」
「うん」
「相手の女の子も?」
「……うん」
セシルは少しだけ考えた。
「嫌だった?」
「分からない」
「じゃあ、もしあの子がレオン先輩の腕を掴んだら?」
想像する。
「嫌」
即答だった。
「手を繋いだら?」
「もっと嫌」
「二人で休日に出かけたら?」
「……かなり嫌」
セシルが苦笑した。
「分かりやすいね」
「何が?」
「嫉妬じゃないかな」
リリアはレオンハルトを見る。
「これが?」
「たぶん」
「面倒」
「感想がそれなんだ」
「だって、授業なのに」
「嫉妬って理屈で出るものじゃないからね」
「セシルもする?」
聞いた瞬間。
セシルの表情が僅かに止まった。
「……するよ」
「好きな人に?」
「うん」
「どうするの?」
「何もしない」
「言わない?」
「言える立場じゃないから」
その言葉が少し寂しく聞こえた。
「好きなら言えばいいのに」
「いつかね」
セシルは笑った。
「今はまだいいんだ」
*
授業が終わったあと。
リリアは着替えを済ませ、教室へ戻ろうとしていた。
「リリア」
後ろから呼ばれる。
振り返る。
レオンハルト。
「レオン先輩」
「今帰り?」
「はい」
「少し時間ある?」
「あります」
答えが早かった。
レオンハルトが少し笑う。
「じゃあ付き合って」
「どこに?」
「昨日のお礼」
「お礼?」
「来て」
案内されたのは、学院の温室だった。
「ここ」
「私よく迷い込むところ」
「知ってる」
「なんで?」
「有名だから」
「そんなに?」
「少なくとも僕たちの間では」
「誰ですか、広めたの」
「たぶんノア」
「あとで言う」
「何を?」
「やめてって」
「それでやめるかな」
「……やめなそう」
温室の奥。
小さなテーブル。
そこに。
焼き菓子と紅茶が置かれていた。
「わ」
「昨日、君が誘ってくれたから」
「これ用意したんですか?」
「正確には頼んだ」
「王子っぽい」
「そこは自分で焼いた方がよかった?」
「焼けるんですか?」
「無理」
「じゃあ頼んで正解」
「容赦ないな」
二人で座る。
焼き菓子を一つ取る。
「美味しい」
「よかった」
「これ好き」
「覚えておく」
「なんで?」
「次も用意できるから」
自然な言葉だった。
でも。
リリアは手を止めた。
「次も?」
「……嫌?」
「違います」
嬉しい。
それだけなのに。
胸が変になる。
「嬉しい」
素直に言う。
レオンハルトの表情が柔らかくなる。
「ならよかった」
しばらく二人で話した。
授業のこと。
王都のこと。
レオンハルトの兄のこと。
リリアが入学初日に迷子になった話。
どうでもいい話ばかり。
それなのに。
時間が早い。
「レオン先輩」
「何?」
「さっきの授業」
「うん」
「一緒に組んでた人」
「ミレイユ?」
名前を聞いただけで。
少し嫌だった。
「仲いいんですか?」
「普通かな。同じ学年だから話すことはあるよ」
「ふうん」
「……どうしたの?」
「別に」
言ってから。
自分でも違うと思った。
「やっぱり別にじゃない」
「うん?」
「ちょっと嫌だった」
レオンハルトが目を瞬く。
「何が?」
「レオン先輩が、その人と楽しそうに話してるの」
言葉にすると。
思った以上に恥ずかしい。
「なんでかは、たぶん分かってます」
「……聞いても?」
「嫉妬らしいです」
沈黙。
「セシルが言ってた」
「……そう」
「はい」
レオンハルトが。
紅茶へ手を伸ばした。
飲む。
置く。
「レオン先輩」
「何?」
「顔赤い」
「今は言わなくていい」
「昨日も赤かった」
「君のせいだよ」
「私?」
「そう」
レオンハルトが困ったように笑った。
「そんなことを平然と言われたら、僕だって困る」
「嫌でした?」
「逆」
短い答えだった。
今度は。
リリアの方が黙った。
「……嬉しい?」
「かなり」
青い瞳が。
まっすぐ自分を見る。
「僕も、今日の授業で君を見てた」
「私?」
「セシルと組んでただろう?」
「はい」
「息が合ってた」
「セシル上手だから」
「そうだね」
そこで。
レオンハルトは少し視線を逸らした。
「楽しそうだった」
「楽しかったです」
「……そう」
声が。
少しだけ低い。
リリアは気づく。
「レオン先輩も?」
「何が?」
「嫉妬?」
「……」
「違う?」
レオンハルトはしばらく黙っていた。
それから、諦めたように笑った。
「たぶんね」
胸が。
大きく鳴った。
「そっか」
「嬉しそうだね」
「ちょっと」
「僕は結構恥ずかしいんだけど」
「お揃いだから」
「嫉妬が?」
「はい」
「それをお揃いって言う人、初めて見たよ」
レオンハルトが笑う。
リリアも笑った。
*
温室を出る頃には、夕方になっていた。
並んで歩く。
昨日とは違って。
今日は手を繋いでいない。
でも。
近い。
肩が触れそうな距離。
「リリア」
「はい」
「一つ聞いていい?」
「何ですか?」
「昨日、君は言ったよね」
――今のレオン先輩にも、好きになってもらえたら嬉しい。
「言いました」
「どういう意味だった?」
リリアは考える。
「そのままです」
「そのまま?」
「レオン先輩に好きになってもらえたら嬉しい」
「……友達として?」
聞かれて。
足が止まった。
以前なら。
分からなかった。
でも。
今は。
「たぶん」
リリアは。
レオンハルトを見る。
「違う方」
青い瞳が。
僅かに見開かれた。
「違う方って」
「恋愛の方」
言った。
胸が。
速い。
「まだ、私がレオン先輩を好きかは分からないです」
「……うん」
「でも」
正直に。
「他の女の人と仲良くしてるの嫌だったし、今日会えて嬉しかったし、次の休日も楽しみです」
「うん」
「だから」
少しだけ迷う。
「好きになる途中かもしれない」
レオンハルトは。
何も言わなかった。
ただ。
その表情が。
ゆっくり。
柔らかくなる。
「それは」
「はい」
「かなり嬉しいな」
「レオン先輩は?」
「僕?」
「私のこと」
聞く。
レオンハルトは。
少し考えた。
「僕も」
ゆっくり答える。
「たぶん、同じところにいる」
まだ。
好きとは言わない。
でも。
好きではないとも。
言えない。
「じゃあ」
リリアは少し笑った。
「一緒ですね」
「そうだね」
歩き出す。
今度は。
レオンハルトの手が。
ほんの少し。
リリアの手に触れた。
指先だけ。
それ以上は。
何もしなかった。
けれど。
二人とも。
少しだけ。
歩く速度が遅くなった。
*
その夜。
レオンハルトは自室で一人、机に向かっていた。
目の前には王家から届いた書類。
読まなければならない。
なのに。
全く頭に入らない。
『好きになる途中かもしれない』
何度目か分からないほど。
思い出す。
「……困ったな」
昨日も同じことを言った気がする。
でも。
本当に。
困っている。
嬉しい。
それ以上に。
怖い。
自分には。
知らない過去がある。
彼女との。
他の四人は知っている。
自分だけが。
知らない。
もし。
この気持ちが。
その過去から残った何かだったら。
「……違う」
声に出す。
今日。
リリアがセシルと笑っているのを見て。
面白くないと思った。
昨日。
彼女が自分を探して来てくれて。
嬉しかった。
焼き菓子を美味しいと言ってくれて。
次も用意したいと思った。
それを。
過去の自分が知るはずがない。
「これは」
今の。
自分の感情。
そう思いたい。
けれど。
胸の奥。
ずっと昔からあるような。
説明できない懐かしさが。
まだ。
消えていなかった。
一度目は偶然だった。二度目は、もしかしたらレオンハルトが通るかもしれないと思った。
三度目に見ようとしたところで、隣を歩いていたセシルに気づかれた。
「さっきから何見てるの?」
「二年生の校舎」
「うん。それは分かるけど」
セシルがリリアの視線の先を追う。
「誰かいる?」
「レオン先輩」
「今はいないね」
「うん」
「会いたい?」
「昨日会った」
「昨日会った人には今日は会いたくならない?」
言われて、リリアは考える。
「なる」
「じゃあ会いたいんだね」
「そっか」
納得すると、セシルが小さく笑った。
「リリアって、こういうところ素直だよね」
「何が?」
「自分の気持ちには鈍いのに、認めることにはあんまり抵抗がない」
「分からないものを分かったふりする方が嫌だから」
「なるほど」
セシルはそれ以上追及しなかった。
ただ教室へ向かって歩きながら、ほんの少しだけ遠くを見るような目をした。
「セシル」
「なに?」
「好きな人とはどう?」
セシルの足が一瞬止まる。
「……急だね」
「前に聞いたから」
「まだ何も変わってないよ」
「会いたい?」
「毎日会ってる」
「じゃあいいね」
「そうだね」
セシルは笑った。
「会えるだけでも、結構嬉しいよ」
その言葉を聞いて、リリアはもう一度だけ二年生の校舎を見た。
今度も、金色の髪は見つからなかった。
*
昼休みになって、ようやく会えた。
いつもの場所へ向かうと、すでにレオンハルトが座っていた。アレンと何か話していたが、リリアに気づいた瞬間、青い瞳がこちらへ向く。
「あ」
思わず声が出た。
「おはようございます」
「もう昼だけど」
「今日初めて会ったから」
「そういう意味?」
「はい」
レオンハルトが笑った。
「じゃあ、おはよう。リリア」
「おはようございます」
向かいへ座ろうとして、少し迷う。
隣が空いている。
昨日まではどこへ座るかなんて気にしたことがなかった。
今日は。
「ここいいですか?」
レオンハルトの隣を指した。
「もちろん」
座る。
それだけ。
なのに少し嬉しい。
「昨日、楽しかったです」
「僕も」
「また行きたい」
「昨日もう約束したよ」
「確認」
「そんなに?」
「忘れられたら嫌だから」
レオンハルトの手が止まった。
「忘れないよ」
思っていたより真剣な声だった。
リリアは彼を見る。
「……レオン先輩?」
「いや」
レオンハルトが少し笑う。
「何でもない」
けれど、その表情はどこか複雑だった。
忘れる。
その言葉は。
彼にとって、きっと自分とは違う意味を持つ。
過去の世界を覚えていない人。
他の四人が知っているものを、自分だけ知らない人。
「レオン先輩」
「うん?」
「忘れてても怒りませんよ」
「今の約束を?」
「違う」
リリアは少し考える。
「昔のこと」
青い瞳が静かになる。
「私も覚えてないから」
「……そうだね」
「同じ」
「君と僕が?」
「はい」
レオンハルトはしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「それ、少し安心するな」
「何が?」
「僕だけじゃないと思えるから」
その時。
「何の話してんだ?」
アレンが割り込んだ。
「二人だけで妙な空気出すな」
「妙な空気?」
「お前は分からなくていい」
「アレン先輩、昨日から機嫌悪いですね」
「誰のせいだと思ってんだ」
「分からない」
「だろうな!」
向かいでノアが笑っている。
カイルは相変わらず静かに食事をしていて、ルシアンは本を読みながら器用に紅茶を飲んでいる。
いつもの昼休み。
ただ。
リリアは隣にいるレオンハルトを、昨日までより少し意識していた。
*
午後の実技授業は、学年合同だった。
二人一組で魔法障壁を展開し、別の組から飛んでくる攻撃魔法を防ぐ。単純な訓練だが、相手と呼吸を合わせる必要がある。
リリアの相手はセシルだった。
「右お願い」
「任せて」
リリアが正面の魔法を防ぎ、セシルが右側から飛んできた魔力弾を剣で弾く。二人は長く組んでいるわけではないのに、不思議と動きが合った。
「終わり」
最後の一撃を防ぐ。
「やっぱりリリアとはやりやすいね」
「私も」
次の組へ交代するため、訓練場の端へ下がる。
その時。
別の場所にいるレオンハルトが目に入った。
二年生の女子生徒と組んでいる。
当然だった。
授業なのだから。
レオンハルトは相手に何かを説明している。女子生徒が笑い、彼も笑った。
胸の奥に。
小さな違和感。
「……」
「リリア?」
「何?」
「今、すごい顔してたよ」
「どんな?」
「難しい魔法式を見てる時みたいな顔」
「魔法じゃない」
「何見てたの?」
セシルが視線を追う。
そして。
「ああ」
「何?」
「ううん」
「言って」
「レオン先輩見てた?」
「うん」
「相手の女の子も?」
「……うん」
セシルは少しだけ考えた。
「嫌だった?」
「分からない」
「じゃあ、もしあの子がレオン先輩の腕を掴んだら?」
想像する。
「嫌」
即答だった。
「手を繋いだら?」
「もっと嫌」
「二人で休日に出かけたら?」
「……かなり嫌」
セシルが苦笑した。
「分かりやすいね」
「何が?」
「嫉妬じゃないかな」
リリアはレオンハルトを見る。
「これが?」
「たぶん」
「面倒」
「感想がそれなんだ」
「だって、授業なのに」
「嫉妬って理屈で出るものじゃないからね」
「セシルもする?」
聞いた瞬間。
セシルの表情が僅かに止まった。
「……するよ」
「好きな人に?」
「うん」
「どうするの?」
「何もしない」
「言わない?」
「言える立場じゃないから」
その言葉が少し寂しく聞こえた。
「好きなら言えばいいのに」
「いつかね」
セシルは笑った。
「今はまだいいんだ」
*
授業が終わったあと。
リリアは着替えを済ませ、教室へ戻ろうとしていた。
「リリア」
後ろから呼ばれる。
振り返る。
レオンハルト。
「レオン先輩」
「今帰り?」
「はい」
「少し時間ある?」
「あります」
答えが早かった。
レオンハルトが少し笑う。
「じゃあ付き合って」
「どこに?」
「昨日のお礼」
「お礼?」
「来て」
案内されたのは、学院の温室だった。
「ここ」
「私よく迷い込むところ」
「知ってる」
「なんで?」
「有名だから」
「そんなに?」
「少なくとも僕たちの間では」
「誰ですか、広めたの」
「たぶんノア」
「あとで言う」
「何を?」
「やめてって」
「それでやめるかな」
「……やめなそう」
温室の奥。
小さなテーブル。
そこに。
焼き菓子と紅茶が置かれていた。
「わ」
「昨日、君が誘ってくれたから」
「これ用意したんですか?」
「正確には頼んだ」
「王子っぽい」
「そこは自分で焼いた方がよかった?」
「焼けるんですか?」
「無理」
「じゃあ頼んで正解」
「容赦ないな」
二人で座る。
焼き菓子を一つ取る。
「美味しい」
「よかった」
「これ好き」
「覚えておく」
「なんで?」
「次も用意できるから」
自然な言葉だった。
でも。
リリアは手を止めた。
「次も?」
「……嫌?」
「違います」
嬉しい。
それだけなのに。
胸が変になる。
「嬉しい」
素直に言う。
レオンハルトの表情が柔らかくなる。
「ならよかった」
しばらく二人で話した。
授業のこと。
王都のこと。
レオンハルトの兄のこと。
リリアが入学初日に迷子になった話。
どうでもいい話ばかり。
それなのに。
時間が早い。
「レオン先輩」
「何?」
「さっきの授業」
「うん」
「一緒に組んでた人」
「ミレイユ?」
名前を聞いただけで。
少し嫌だった。
「仲いいんですか?」
「普通かな。同じ学年だから話すことはあるよ」
「ふうん」
「……どうしたの?」
「別に」
言ってから。
自分でも違うと思った。
「やっぱり別にじゃない」
「うん?」
「ちょっと嫌だった」
レオンハルトが目を瞬く。
「何が?」
「レオン先輩が、その人と楽しそうに話してるの」
言葉にすると。
思った以上に恥ずかしい。
「なんでかは、たぶん分かってます」
「……聞いても?」
「嫉妬らしいです」
沈黙。
「セシルが言ってた」
「……そう」
「はい」
レオンハルトが。
紅茶へ手を伸ばした。
飲む。
置く。
「レオン先輩」
「何?」
「顔赤い」
「今は言わなくていい」
「昨日も赤かった」
「君のせいだよ」
「私?」
「そう」
レオンハルトが困ったように笑った。
「そんなことを平然と言われたら、僕だって困る」
「嫌でした?」
「逆」
短い答えだった。
今度は。
リリアの方が黙った。
「……嬉しい?」
「かなり」
青い瞳が。
まっすぐ自分を見る。
「僕も、今日の授業で君を見てた」
「私?」
「セシルと組んでただろう?」
「はい」
「息が合ってた」
「セシル上手だから」
「そうだね」
そこで。
レオンハルトは少し視線を逸らした。
「楽しそうだった」
「楽しかったです」
「……そう」
声が。
少しだけ低い。
リリアは気づく。
「レオン先輩も?」
「何が?」
「嫉妬?」
「……」
「違う?」
レオンハルトはしばらく黙っていた。
それから、諦めたように笑った。
「たぶんね」
胸が。
大きく鳴った。
「そっか」
「嬉しそうだね」
「ちょっと」
「僕は結構恥ずかしいんだけど」
「お揃いだから」
「嫉妬が?」
「はい」
「それをお揃いって言う人、初めて見たよ」
レオンハルトが笑う。
リリアも笑った。
*
温室を出る頃には、夕方になっていた。
並んで歩く。
昨日とは違って。
今日は手を繋いでいない。
でも。
近い。
肩が触れそうな距離。
「リリア」
「はい」
「一つ聞いていい?」
「何ですか?」
「昨日、君は言ったよね」
――今のレオン先輩にも、好きになってもらえたら嬉しい。
「言いました」
「どういう意味だった?」
リリアは考える。
「そのままです」
「そのまま?」
「レオン先輩に好きになってもらえたら嬉しい」
「……友達として?」
聞かれて。
足が止まった。
以前なら。
分からなかった。
でも。
今は。
「たぶん」
リリアは。
レオンハルトを見る。
「違う方」
青い瞳が。
僅かに見開かれた。
「違う方って」
「恋愛の方」
言った。
胸が。
速い。
「まだ、私がレオン先輩を好きかは分からないです」
「……うん」
「でも」
正直に。
「他の女の人と仲良くしてるの嫌だったし、今日会えて嬉しかったし、次の休日も楽しみです」
「うん」
「だから」
少しだけ迷う。
「好きになる途中かもしれない」
レオンハルトは。
何も言わなかった。
ただ。
その表情が。
ゆっくり。
柔らかくなる。
「それは」
「はい」
「かなり嬉しいな」
「レオン先輩は?」
「僕?」
「私のこと」
聞く。
レオンハルトは。
少し考えた。
「僕も」
ゆっくり答える。
「たぶん、同じところにいる」
まだ。
好きとは言わない。
でも。
好きではないとも。
言えない。
「じゃあ」
リリアは少し笑った。
「一緒ですね」
「そうだね」
歩き出す。
今度は。
レオンハルトの手が。
ほんの少し。
リリアの手に触れた。
指先だけ。
それ以上は。
何もしなかった。
けれど。
二人とも。
少しだけ。
歩く速度が遅くなった。
*
その夜。
レオンハルトは自室で一人、机に向かっていた。
目の前には王家から届いた書類。
読まなければならない。
なのに。
全く頭に入らない。
『好きになる途中かもしれない』
何度目か分からないほど。
思い出す。
「……困ったな」
昨日も同じことを言った気がする。
でも。
本当に。
困っている。
嬉しい。
それ以上に。
怖い。
自分には。
知らない過去がある。
彼女との。
他の四人は知っている。
自分だけが。
知らない。
もし。
この気持ちが。
その過去から残った何かだったら。
「……違う」
声に出す。
今日。
リリアがセシルと笑っているのを見て。
面白くないと思った。
昨日。
彼女が自分を探して来てくれて。
嬉しかった。
焼き菓子を美味しいと言ってくれて。
次も用意したいと思った。
それを。
過去の自分が知るはずがない。
「これは」
今の。
自分の感情。
そう思いたい。
けれど。
胸の奥。
ずっと昔からあるような。
説明できない懐かしさが。
まだ。
消えていなかった。