魔法より、君に恋をする。

アレンルート 第45章 明日も、その先も

光の扉を抜けた途端、リリアの足元に硬い床の感触が戻ってきた。目を開ければ、そこは二人が消える直前まで歩いていた学院の廊下で、窓の外には夕暮れの空が広がっている。死んだ世界でどれほど長く過ごしたのか分からなかったが、こちらではほとんど時間が経っていないらしく、遠くからは生徒たちの話し声さえ聞こえていた。

「……帰ってきた?」

「たぶんな」

 隣で答えたアレンの手は、まだリリアの手を握っていた。境界を越えるために繋いだはずなのに、もう離す必要がなくなっても指は絡んだままだった。

「手、離さないんですね」

「嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあいいだろ」

「それ、便利な言葉になってない?」

「お前が嫌じゃねえなら問題ない」

 アレンは当然のように言いながら、確かめるように指を絡め直した。その仕草に少しだけ胸が鳴ったのが悔しくて、リリアは何でもない顔で前を向いた。

「とりあえずルシアン先輩のところ行きます?」

「ああ。あれが何だったのか確認した方がいい」

「そのあとお風呂」

「覚えてんのかよ」

「私が言ったんでしょ」

「その後の方も?」

 声に少し期待が混ざった。

 リリアはわざと考えるふりをする。

「何かありましたっけ」

「お前な」

「冗談です」

「マジで心臓に悪いからやめろ」

「三百年待てたのに数時間待てないの?」

「それとこれを一緒にすんな。もう待ちたくねえって散々言っただろ」

 少し拗ねたような声に笑ってしまった。三百年という言葉を、こうして冗談の中に混ぜられることが嬉しかった。過去が軽くなったわけではない。ただ、それを口にするたびにアレンが苦しそうな顔をしなくてもよくなったことが嬉しい。

 二人で生徒会室へ向かい、事情を説明すると、ルシアンはいつもの落ち着いた顔で話を聞いた。机の上には魔力測定用の石板が置かれていて、リリアとアレンが戻った直後から異常な数値を示しているらしい。

「つまり、偽神はアレン先輩の記憶を使って空間を作ったってこと?」

「正確には、第三世界の残留記録とヴァーミリオンの魂に残る記憶を接続したんだろう。君たちが見た場所は第三世界そのものではない。第三世界はすでに消滅しているからね」

「じゃあ、墓も?」

「記録だ。ただし、ヴァーミリオンが実際に見ていたものを基礎としている以上、景色そのものは当時に近かったはずだ」

 リリアは隣を見る。

 アレンは静かに頷いた。

「ほぼ同じだった。墓も、街も」

「そうか」

 ルシアンは少しだけ目を細めたが、それ以上過去について尋ねなかった。

「十三本目は?」

「変化している」

 ルシアンが石板へ指を滑らせると、光の線が浮かび上がった。十二本の途切れた線の横にある最後の一本だけが、以前より長く伸びている。

「完成に近づいてる?」

「かなり。ただ、まだ最後の接続点が残っている」

「何と繋がるんですか?」

「それが分からない」

 ルシアンが珍しく少し困ったように眉を寄せる。

「これまで十二の世界では、線の終点は必ずリリアだった。正確には、世界を維持するための器として作られた彼女へ接続していた。しかし現在の君は独立個体だ。世界の維持装置ではない」

「じゃあ今回は?」

「終点がない」

 リリアは石板を見る。

「それって駄目なんじゃないの?」

「逆だよ」

 ルシアンは淡々と答えた。

「終点が決められていないからこそ、この世界は初めて未来を持てる」

 アレンが眉を寄せる。

「どういう意味だ?」

「十二の世界には最初から結末があった。誰を選ぶか、誰が死ぬか、どこで世界が崩壊するか。多少の差異はあっても、大枠は同じだ。だが十三本目には終点がない。つまり、この先はまだ世界にも分からない」

「……いいこと?」

「少なくとも僕はそう思う」

 ルシアンの視線がリリアへ向く。

「君が作ったのは、正しい未来ではない。未来を決められていない状態だ」

 リリアは少し考えた。

「それなら、好きかも」

「だろうね」

「何で分かるの?」

「君は正解を押しつけられると大抵反抗するから」

「そんなことないです」

「あるだろ」

 横からアレンが即答した。

「アレン先輩まで」

「自覚持てよ」

「アレン先輩も人のこと言えない」

「俺は素直だぞ」

「どこが?」

 二人が言い合っていると、ルシアンが小さく息を吐いた。

「恋人になった途端に騒がしくなったね」

 二人とも止まった。

「……知ってるんですか?」

「見れば分かる」

「そんなに?」

「手」

 言われて初めて、リリアは生徒会室へ入ってからもずっとアレンと手を繋いでいたことに気づいた。

「あ」

「今気づいたのかよ」

「アレン先輩は気づいてた?」

「当然」

「じゃあ離してくれてもよかったのに」

「嫌だった?」

「嫌じゃない」

「じゃあ離さねえ」

 また同じことを言われた。

 ルシアンが眼鏡の奥で何とも言えない顔をしている。

「僕は帰ってもいいかな」

「ここルシアン先輩の部屋ですよ」

「そうだった」

 アレンが吹き出し、リリアもつられて笑った。

 結局、今日はこれ以上調べられることがないらしく、詳しい解析は翌日に持ち越すことになった。生徒会室を出る前に、ルシアンから「今夜また異常があれば一人で対処しないこと」と念を押され、リリアとアレンは揃って返事をした。

 廊下へ出ると、窓の外はすでに暗くなり始めていた。

「じゃあ、今日はここまでですね」

「……え?」

「何?」

「寮戻るの?」

「お風呂入りたいって言ったでしょ」

「いや、そうだけど」

 アレンが明らかに残念そうな顔をする。

「後で会うって言ったじゃん」

「会いますよ」

「本当に?」

「会うって言ってるでしょ」

「何時?」

「お風呂入って、ご飯食べてからだから……八時くらい?」

「どこ?」

「中庭?」

「寒くねえ?」

「じゃあ談話室」

「人いるぞ」

「何か問題ある?」

「……いや」

 アレンが妙に歯切れ悪く答える。

 少し考えて、理由に気づいた。

「キスできないから?」

「声でけえよ!」

「やっぱり」

「お前が約束したんだろ!」

「そんなにしたいの?」

 アレンが黙った。

 からかうつもりだったのに、真っ直ぐ見つめられて、今度はリリアの方が少し困る。

「したいよ」

 思ったより低い声だった。

「好きな奴とキスしたいのって普通だろ」

「……そうですね」

「でも、お前が嫌ならしねえ」

「嫌じゃない」

「じゃあしたい」

「今?」

「今は……」

 アレンが周囲を見る。

 廊下にはまだ生徒がいる。

「さすがに無理」

「意外と常識人」

「お前、俺を何だと思ってんの?」

「結構何でも勢いでやる人」

「否定できねえのが腹立つ」

 アレンは笑ったあと、女子寮へ向かう分かれ道までリリアを送った。

「じゃあ八時」

「うん」

「絶対来いよ」

「行くってば」

「迷うなよ」

「中庭くらい行ける」

「この前温室行こうとして塔に着いただろ」

「……迎えに来て」

「最初からそう言え」

 アレンが笑う。

「七時五十五分にここな」

「細かい」

「迎え行くから」

「分かりました」

 別れようとして、手を離す。

 けれど指先が離れる直前、アレンがもう一度握った。

「何?」

「いや」

「離さないと帰れないよ」

「分かってる」

 そう言いながら、まだ離さない。

「アレン先輩?」

「……ちょっとだけ」

 アレンはリリアの手を握ったまま視線を落とした。

「帰ってきたんだなって思って」

 その一言で、からかう気持ちが消えた。

 死んだ世界へ戻り、三百年前の墓を見て、過去の自分と向き合って、それでも今の世界へ帰ってきた。アレンにとっては、ただ学院の廊下へ戻ってきただけではないのだろう。

「帰ってきたよ」

「ああ」

「明日もいる」

「……ああ」

「明後日も、たぶんいる」

「そこは絶対って言えよ」

「未来は保証できないってアレン先輩が言ったんでしょ」

「こういう時だけ覚えてんなよ」

「でも」

 リリアは繋いだ手を持ち上げた。

「明日も会いたいって思ってるのは本当」

 アレンが黙った。

「アレン先輩は?」

「会いてえよ」

「じゃあ会おう」

「簡単だな」

「簡単でいいでしょ」

 アレンは少しだけ目を細めた。

「そうだな」

 今度こそ手が離れた。

 リリアが女子寮へ入る直前に振り返ると、アレンはまだ同じ場所に立っていた。

「八時!」

「分かってます!」

「七時五十五分!」

「細かい!」

 声を返すと、アレンが笑った。

 その笑顔を見てから、リリアは寮へ入った。

 約束通り、七時五十五分に分かれ道へ行くと、アレンはすでに待っていた。

「早くない?」

「七時四十五分からいた」

「十分前」

「待つの得意だから」

 冗談めかして言われた言葉に、リリアは少しだけ胸が痛くなった。

 それが顔に出たのか、アレンがすぐに笑う。

「そういう意味じゃねえよ。もう三百年の方と何でも繋げんな」

「でも」

「今の十分は普通にお前に早く会いたかっただけ」

 そう言われる方が困った。

「……そっちの方が恥ずかしい」

「何でだよ」

「知らない」

「俺は嬉しいけど」

「アレン先輩は何でも嬉しいでしょ」

「お前のことなら大体な」

 さらりと言われて、また顔が熱くなる。

「今日、ずっとそういうこと言う」

「恋人なんだからいいだろ」

「昨日までとあんまり変わってないけど」

「じゃあもっと恋人っぽくする?」

「例えば?」

 聞いた瞬間、アレンの目が少しだけ細くなった。

「それ、聞いていいの?」

「何で?」

「知らねえぞ」

「何が?」

「……やっぱいい」

「気になる」

「後で」

 意味が分からないまま中庭へ向かった。

 夜の中庭には誰もいなかった。魔法灯が淡く道を照らし、昼間より少し冷たい風が吹いている。二人は噴水の近くにあるベンチへ並んで座った。

「寒くない?」

「少し」

「こっち来る?」

「何で?」

「くっつけば暖かい」

「それがさっき言ってた恋人っぽいこと?」

「違うけど、それもいいな」

 アレンが腕を広げる。

「おいで」

 その言い方が思ったより優しくて、リリアは一瞬動けなくなった。

「……何?」

「いや」

「嫌ならやめるぞ」

「嫌じゃない」

「じゃあ来いよ」

 少し迷ってから、リリアは身体を寄せた。

 肩へ腕が回り、そのままアレンの胸元へ引き寄せられる。昼間の制服越しとは違い、風呂上がりらしい石鹸の香りがして、急に距離を意識した。

「近い」

「お前が来たんだろ」

「こんなに近くなると思わなかった」

「離れる?」

「……そのままでいい」

「了解」

 アレンの声が頭のすぐ上から聞こえる。

 少し恥ずかしい。

 でも、それ以上に落ち着く。

「アレン先輩」

「ん?」

「心臓速い」

「言うな」

「緊張してる?」

「してる」

「私も」

「じゃあお互い様だな」

 アレンの腕の中で少しだけ顔を上げると、思っていたより近いところに彼の顔があった。

 目が合う。

 どちらからともなく黙った。

 昼間までなら何か冗談を言っていたかもしれない。でも今は、次に何が起きるか二人とも分かっていた。

「……リリア」

「うん」

「約束」

「覚えてる」

「していい?」

 昨日も聞かれた。

 恋人になったのだから、もう聞かなくてもいいのではないかと思う。それでもアレンは聞くのだ。

 そのことが嬉しかった。

「いいよ」

 昨日より少しだけ素直に答えた。

 アレンの手が頬へ触れる。大きな手は剣を握っていた時とはまるで違う慎重さで、親指が頬を一度だけ撫でた。

「目、閉じないの?」

「アレン先輩は?」

「お前が閉じたら」

「じゃあ一緒に?」

「何だそれ」

「だって昨日、いつ閉じればいいか分からなかった」

「俺も分かんねえよ」

 二人とも笑ってしまった。

 笑ったせいで緊張が少しだけほどけた。

「じゃあ適当に」

「適当でいいの?」

「いいだろ。俺らしかいねえし」

「それもそうか」

 今度はリリアから少しだけ顔を近づけた。

 アレンが驚いたように目を見開く。

「何?」

「いや、お前から来ると思わなかった」

「嫌?」

「それ聞く?」

「聞いてみた」

「嫌なわけねえだろ」

 今度こそ目を閉じる。

 唇が触れた。

 昨日より長い。

 それでもまだ、ただ重ねるだけの優しいキスだった。

 離れたあともアレンの手は頬に残っていた。

「……どう?」

「何が?」

「昨日、まだよく分かんねえって言ってただろ」

「ああ」

 リリアは少し考える。

「昨日より好きかも」

「キスが?」

「うん」

「俺は?」

「好き」

「……お前、そういうの急に言うのずるい」

「聞いたから」

「聞いてねえよ」

「聞いてほしそうだった」

「まあ、そうだけど」

 アレンが照れたように笑う。

 その顔を見ていたら、もう一度したくなった。

 今度はリリアから彼の制服を少し引いた。

「アレン先輩」

「ん?」

「もう一回」

 アレンが完全に固まった。

「……今何て?」

「聞こえたでしょ」

「もう一回言って」

「嫌です」

「頼む」

「キスしたい」

 言った瞬間、自分でも恥ずかしくなって顔を逸らそうとした。

 でも、その前に頬へ添えられた手が優しく止めた。

「今の、めちゃくちゃ嬉しい」

「言わなくていい」

「俺ばっかりしたいんじゃねえって分かるの、すげえ嬉しい」

「恥ずかしいから早くして」

「はいはい」

 笑いながら近づいてきたアレンの唇が、もう一度重なる。

 今度はさっきより少し長かった。

 離れるかと思ったところで、ほんの少し角度を変えてもう一度触れる。リリアは驚いたが、嫌ではなくて、無意識にアレンの制服を掴んだ。

 その手に気づいたのか、アレンの腕が背中へ回る。

 近い。

 息が触れるほど近い。

 けれど怖くはなかった。

 キスが終わっても、しばらく二人とも離れなかった。

「……これ」

 リリアが小さく言う。

「ん?」

「結構好き」

「俺も」

「またしたい」

「リリア」

「何?」

「それ以上言うと俺帰したくなくなる」

 声が少し低かった。

 意味を理解するまでに数秒かかった。

「……帰らないと寮の門限あるよ」

「そういう意味じゃねえ」

「じゃあどういう意味?」

「今は知らなくていい」

「気になる」

「駄目」

「教えて」

「絶対駄目」

「なんで?」

「俺にも理性ってもんがあるから!」

 少し離れたところにいた鳥が驚いて飛んでいった。

「声大きい」

「誰のせいだよ!」

「アレン先輩?」

「お前だよ!」

 リリアは笑いながら、またアレンの肩へ寄りかかった。

 しばらく二人で夜空を見る。

 黒い月はない。

 普通の月がある。

「ねえ、アレン先輩」

「ん?」

「卒業したら何したい?」

「急だな」

「未来の話したくなった」

 アレンは少し考えた。

「まだ決めてねえけど、騎士団からは声かかってる」

「似合いそう」

「お前は?」

「魔法研究もしたいし、実戦系の仕事も気になる」

「危ねえやつ?」

「たぶん」

「……止めてえ」

「駄目です」

「分かってるよ」

 アレンは苦笑する。

「だから止めるんじゃなくて、俺も強くなる」

「何で?」

「お前が危ねえとこ行くなら、隣に行けるくらい」

「仕事違ったら?」

「休みの日に会う」

「遠かったら?」

「会いに行く」

「もっと遠かったら?」

「転移魔法覚える」

「苦手でしょ」

「覚える」

「忙しかったら?」

「時間作る」

「私が忙しかったら?」

「待つ」

 その答えだけは、とても静かだった。

 リリアはアレンを見る。

「待てる?」

「待てるよ」

 三百年待った人だから、ではない。

 今のアレンは少し笑って続けた。

「ただし、帰ってくるって分かってる待ち時間ならな」

 リリアの胸がきゅっとなる。

「じゃあ帰る」

「うん」

「ちゃんとアレン先輩のところに」

「……うん」

「だから待ってていいよ」

 アレンは何も言わなかった。

 代わりにリリアを抱き寄せた。

 今度の抱擁は強かった。

 それでも、閉じ込められているとは思わなかった。

 離れようと思えば離れられる。

 でも、今は自分から離れたくない。

 だからリリアも腕を回した。

「好きだよ」

 耳元でアレンが言った。

 何度も聞いた言葉だった。

 でも、何度聞いても嬉しい。

「私も好き」

 答えると、抱きしめる腕が少しだけ強くなった。

「もう一回」

「好き」

「もう一回」

「調子乗ってる?」

「乗ってる」

「じゃあ言わない」

「えー」

「代わりに」

 リリアは身体を少し離し、アレンの頬へ手を伸ばした。

 そして今度は自分から唇を重ねた。

 ほんの短いキスだった。

 それでも離れた瞬間、アレンが信じられないものを見るような顔をしている。

「……何?」

「いや」

「嫌だった?」

「だからその質問やめろって。嫌なわけねえだろ」

「じゃあ何?」

「幸せだなと思って」

 あまりにも素直に言われて、リリアの方が黙った。

 アレンは照れたように笑いながら、リリアの髪を耳へかける。

「三百年待ったからとかじゃねえぞ」

「うん」

「今、お前が俺のこと好きで、俺もお前が好きで、こうして一緒にいられるから幸せなんだ」

「うん」

「明日も会えるし」

「会える」

「明後日も?」

「デートでしょ?」

「そうだった」

「忘れたの?」

「忘れてねえよ。嬉しくて確認しただけ」

 アレンの額がリリアの額へ触れた。

「明日も、その先も、俺はお前といたい」

 以前なら、その言葉の後には「置いていくな」と続いていたのかもしれない。

 でも今は違った。

「お前が同じように思ってくれる間、隣にいさせて」

 それは命令でも、永遠を求める誓いでもなかった。

 今のリリアへ向けた、今のアレンの願いだった。

「いいよ」

 リリアは笑った。

「私も隣にいたいから」

 アレンも笑う。

 そのあと交わしたキスは、今日のどれよりもゆっくりしていた。

 永遠を保証するためではなく、過去を埋めるためでもない。ただ好きな人に触れたくてする、ごく普通の恋人同士のキスだった。

 やがて寮の門限が近づき、アレンは名残惜しそうにリリアを女子寮まで送った。入口の前で手を離してからもなかなか帰ろうとせず、リリアが「明日の朝も会うでしょ」と笑えば、「分かってるけど、今のお前とは今しか会えねえじゃん」と返されて、また胸が鳴った。

「明日の私も私ですよ」

「でも今日のお前とはちょっと違うだろ」

「前に言ってたね」

「だから今日の分、ちゃんと見とく」

「何それ」

「好きなだけ」

 あまりにも真っ直ぐで、リリアはもう何も返せなくなった。

 代わりに一歩近づき、背伸びをする。

 アレンが察して少しだけ身体を屈めた。

 最後にもう一度だけ唇を重ねる。

「おやすみ、アレン先輩」

「……おやすみ、リリア」

「また明日」

「ああ。また明日」

 リリアが寮の中へ入って振り返ると、アレンはまだそこにいた。

 でも今度は、三百年前の墓の前で待っていた時とは違う。

 リリアが階段を上がり、自分の部屋で眠り、朝になればまた会えることを知っている。

 だからアレンは笑って手を振り、今度は自分から背を向けた。

 その夜、彼はもう一度も振り返らずに歩いていった。明日になれば、また会える。その当たり前を信じられるようになったことが、三百年間止まっていた彼の時間が本当に動き出した証だった。
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