魔法より、君に恋をする。

ルシアンルート 第39章 会いたかった

翌日の放課後。

 リリアは昨日より少し早く教室を出た。

 理由は分かっている。

 ルシアンに会いたいからだ。

 昨日までは「秘密を聞きたいから」とか、「約束したから」とか、一応それらしい理由があった。

 今日はない。

 ただ会いたい。

 それだけだった。

 生徒会室までの道を歩きながら、右手を見る。

 昨日、長い時間繋いでいた手。

 今日は自分から繋ごう。

 そんなことまで考えていた。

 だから、生徒会室の扉を開けて誰もいなかった時。

「……あれ」

 思った以上にがっかりした。

 机の上は綺麗に片付いている。

 書類もない。

 いつも窓際にいる人もいない。

「ルシアン先輩?」

 呼んでも返事はない。

 廊下へ戻ったところで、通りかかった生徒会役員に聞いた。

「会長なら、今日は王都から来た監督官の対応ですよ」

「戻ります?」

「夕方になると思います」

「そっか」

 お礼を言って、その場を離れる。

 予定を聞いていたわけではない。

 毎日会う約束をしていたわけでもない。

 だからルシアンが悪いわけではない。

 それでも。

「……つまんない」

 思わず口から出た。

 昨日までなら、空いた時間に図書館へ行くか、セシルを探すか、寮へ戻っていた。

 今日はどれも少し違う。

 結局、中庭のベンチへ座った。

 ぼんやり空を見る。

「リリア?」

 聞き慣れた声に振り向く。

 ノアだった。

「何してるの?」

「何も」

「珍しいね。ぼーっとしてる」

「人待ち」

「誰?」

「……ルシアン先輩」

 答えると、ノアが少しだけ目を細めた。

「最近よく一緒にいるね」

「うん」

「毎日?」

「最近は」

「へえ」

 ノアが隣へ座る。

「生徒会長なら、今日は外部対応じゃなかった?」

「知ってる」

「じゃあ待ってるの?」

「……多分」

「約束してる?」

「してない」

 ノアが笑った。

「それでも待つんだ」

「悪い?」

「全然」

 ノアはいつもの笑顔だった。

「ただ、結構好きなんだなと思って」

「……何が?」

「ルシアン先輩のこと」

 心臓が跳ねた。

「まだ分かんない」

「そう?」

「考えてる途中」

「じゃあ一個だけ聞いていい?」

「何?」

「今、僕と話してる間もルシアン先輩のこと考えてる?」

 リリアは黙った。

 考えていた。

 何時に戻るのかな。

 今日も手を繋げるかな。

 昨日「楽しみにしている」と言っていたのに、会えなかったらルシアンも残念に思うだろうか。

「……考えてる」

「じゃあかなり重症だね」

「病気みたいに言わないで」

「恋って大体そんなもんじゃない?」

「ノアは詳しいの?」

「まあ、それなりに」

 笑顔の奥が一瞬だけ違って見えた。

 でもノアはすぐ立ち上がった。

「僕、訓練あるから行くね」

「うん」

「会えるといいね」

「……うん」

 ノアが歩いていく。

 リリアはまた一人になった。

 そして気づく。

 ノアと話していても、ルシアンを考えていた。

「……重症なのかな」

 少しだけ笑った。

 それから図書館へ行った。

 本を一冊開く。

 三ページ読んで閉じた。

 食堂へ行った。

 飲み物を買う。

 いつの間にか、ルシアンが好きだと言っていた苦めのコーヒーを見ていた。

「私飲めないのに」

 自分で呟いて、別のものを買う。

 廊下を歩けば、深紅のネクタイが見えるたびに少し期待する。

 黒紫の髪ではないと分かると、少しがっかりする。

 そこでようやく、リリアは足を止めた。

「……私、何してるんだろ」

 会えない。

 たったそれだけ。

 昨日会った。

 一昨日も会った。

 明日だって会える。

 それなのに今日会えないだけで、こんなに気になる。

 昨日、ルシアンに聞いた。

 自分は彼を好きなのだろうか、と。

 ルシアンは決めてくれなかった。

『僕には決められない』

 当然だ。

 これは自分の気持ちだから。

「……そっか」

 胸元へ手を置く。

 昨日、好きだと言われて嬉しかった。

 手を繋ぎたかった。

 近くに座りたかった。

 肩へ寄りかかりたかった。

 昔のリリアを好きだったと聞いて、面白くなかった。

 セシルに嫉妬したと言われた時は、少し嬉しかった。

 今日、会えなくて寂しい。

 ずっと探している。

「……好きじゃん」

 口に出した。

 思ったより簡単だった。

「私、ルシアン先輩のこと好きじゃん」

 もう一度。

 今度は少し恥ずかしくなる。

「うわ」

 両手で顔を覆った。

 分かった瞬間、昨日までの全部が違って見える。

 手を繋いだ。

 好きだと言われた。

 肩で寝た。

 あれ全部、好きな人とやっていたのだ。

「……急に恥ずかしい」

 今さらだった。

 しかもルシアンは知っていた。

 自分がリリアを好きだと。

 その上でずっと隣にいた。

「ずるい……」

 でも。

 早く会いたい。

 分かったことを伝えたい。

 そのまま生徒会室へ戻った。

 まだいない。

 時計を見る。

 もう夕方だ。

「待とう」

 今度は迷わなかった。

 生徒会室のソファへ座る。

 昨日、二人で座った場所。

 しばらくして、廊下から足音が聞こえた。

 扉が開く。

「……リリア?」

 顔を上げる。

 ルシアンだった。

「ルシアン先輩」

「どうしてここに?」

 少し疲れている。

 それでも顔を見た瞬間。

 胸の奥が一気に明るくなった。

 リリアは立ち上がる。

「遅い」

「え?」

「待ってた」

「僕を?」

「うん」

「いつから?」

「結構前」

 ルシアンが時計を見る。

「……もしかして、放課後から?」

「途中で図書館とか行ったけど」

「今日は外部対応だと伝えていなかったね。ごめん」

「先輩悪くない」

「でも」

「約束してなかったし」

「じゃあ、なぜ待っていたの?」

 聞かれた。

 リリアはルシアンを見る。

 答えはもう分かっている。

「会いたかったから」

 ルシアンの表情が止まった。

「……そう」

「今日ずっと会いたかった」

「リリア」

「生徒会室来たらいなくて、思ったより寂しかった」

「……うん」

「ノアと話してても先輩のこと考えてた」

 ルシアンの眉が僅かに動いた。

「ノアと?」

「そこ?」

「いや。続けて」

「図書館行っても集中できなかったし、深紅のネクタイ見るたび先輩かと思った」

「それで?」

「分かった」

 心臓が速い。

 さっき一人で言うのとは全然違う。

 本人を前にすると、急に怖くなる。

 ルシアンは急かさなかった。

 ただ待っている。

「私」

「うん」

「ルシアン先輩のこと、好きみたい」

 言った。

 ルシアンは動かなかった。

「……みたい?」

「好き」

「うん」

「多分じゃなくて」

「うん」

「好きです」

 やっと言えた。

 ルシアンはまだ黙っている。

「……何か言って」

「少し待って」

「何で?」

「思った以上に嬉しくて、今まともなことを言える自信がない」

 リリアは目を瞬いた。

「ルシアン先輩でも?」

「僕を何だと思っているんだい」

「何でも余裕ある人」

「君の前では最近ほとんどないよ」

 ルシアンが眼鏡を外した。

 目元を押さえる。

「……本当に?」

「何が?」

「僕が好き?」

「うん」

「昔のことを聞いたからではなく?」

「違う」

「僕が君を好きだと言ったから?」

「それも違う」

 リリアは一歩近づく。

「今日会えなかったから分かった」

 ルシアンが顔を上げる。

「先輩がいないだけで寂しかった。会えたらすごく嬉しかった」

「……そう」

「だから好き」

 もう一歩。

 ルシアンとの距離が近くなる。

「先輩は?」

「聞く必要がある?」

「聞きたい」

 ルシアンは眼鏡を持ったまま、少し笑った。

「好きだよ」

 胸が跳ねる。

「今の君が好きだ」

「……うん」

「昔の彼女ではなく、エリシアという名前を持った、今ここにいる君が」

「うん」

「会いに来てくれる君が好きだ。僕の秘密を知りたがるところも、何でも顔に出るところも、思ったことをすぐ口にするところも」

「それ褒めてる?」

「全部好きだと言っている」

 急に恥ずかしくなる。

「……もっと言って」

「欲張りだね」

「聞きたい」

「僕の眼鏡を勝手に外したがるところも」

「勝手じゃない」

「耳が赤いと嬉しそうに指摘するところも」

「だって可愛い」

「僕を可愛いと言うところも」

「嫌じゃないんでしょ?」

「今ではかなり好きだよ」

 ルシアンが一歩近づく。

 もうほとんど距離がない。

「それから」

「うん」

「僕に会いたいと言ってくれるところが、一番好きかもしれない」

 リリアは何も言えなくなった。

「……ずるい」

「何が?」

「先輩の方が言うの上手い」

「長く生きているからね」

「それ関係ある?」

「ないかもしれない」

 二人とも少し笑った。

 ルシアンが眼鏡をかけ直す。

「リリア」

「何?」

「一つ確認していい?」

「うん」

「僕と恋人になりたい?」

 胸がまた大きく鳴った。

「……なりたい」

「本当に?」

「うん」

「では」

 ルシアンは少しだけ姿勢を正した。

「僕と付き合ってくれる?」

「はい」

 答えた瞬間、ルシアンが笑った。

 今まで見た中で、一番分かりやすい笑顔だった。

「……そんな顔するんだ」

「どんな?」

「嬉しそう」

「嬉しいからね」

「私も」

「そう」

「恋人?」

「ああ」

「ルシアン先輩が?」

「そうだよ」

「私の?」

「他に誰の恋人になるんだい?」

「確認したかった」

「今日は何度でも確認していいよ」

 リリアは少し考える。

「じゃあ」

「うん」

「手、繋ぎたい」

「どうぞ」

 ルシアンが右手を差し出す。

 リリアはその手を取った。

 昨日までと同じはずなのに。

 恋人になってから繋ぐと、全然違う。

「……変」

「何が?」

「昨日も繋いだのに、今日の方が緊張する」

「僕もだよ」

「本当?」

「確認する?」

 ルシアンが自分の胸元を見る。

 昨日と同じ。

「する」

「本当に?」

「うん」

 リリアは空いている手を伸ばす。

 ルシアンの胸へ触れる。

 速い。

「……昨日より速い」

「当然だろう」

「何で?」

「好きな人が恋人になった直後だから」

 また胸が熱くなる。

「先輩」

「何?」

「私も触って」

 ルシアンの動きが止まった。

「……どこを?」

「心臓」

「言い方に気をつけてくれるかな」

「何で?」

「いや」

 ルシアンが小さく息を吐く。

「君はそのままでいいよ」

 それから、許可を確かめるように一度リリアを見る。

 リリアが頷く。

 ルシアンの手が、そっと胸元へ触れた。

 服の上から。

 触れているのはほんの一瞬。

「……速いね」

「先輩のせい」

「それは嬉しい」

「何か悔しい」

「なぜ?」

「余裕ある」

「ないよ」

 ルシアンの手はすぐに離れた。

「これ以上触れていると、別のことを考えそうだから」

「別のこと?」

「聞かない方がいい」

「気になる」

「今日は駄目」

「また秘密」

「恋人になっても秘密はあるよ」

「減らして」

「努力する」

 リリアはルシアンを見る。

 近い。

 さっきからずっと近い。

 ふと、唇へ目がいった。

 そして。

 ルシアンが気づいた。

「リリア」

「何?」

「今、どこを見ていた?」

「……顔」

「顔のどこ?」

「言わない」

「珍しいね」

「恥ずかしいから」

 ルシアンは少し黙った。

「キスしたい?」

 直球だった。

 リリアの顔が一気に熱くなる。

「何で言うの!」

「違った?」

「……違わない」

 認める。

 ルシアンの目が少し柔らかくなる。

「僕もしたいよ」

「……する?」

「今日はやめておこう」

「え」

 思わず声が出た。

 ルシアンが笑う。

「そんなに残念そうな顔をしないでくれるかな」

「だってしたいって言ったのに」

「したいよ」

「じゃあ何で?」

 ルシアンは繋いだ手を少し持ち上げる。

「君にまだ話していないことがある」

「昔のこと?」

「ああ」

「それ聞くまで駄目?」

「駄目というより」

 紫の瞳が真っ直ぐこちらを見る。

「僕自身が、全部話してから君に触れたい」

「何で?」

「君が僕を好きだと言ってくれたからだよ」

「分かんない」

「僕の過去を知っても同じ気持ちでいてくれと、君に要求するつもりはない」

「……嫌われると思ってる?」

「可能性はある」

「私そんな簡単に嫌いになる?」

「僕が君なら、少しくらい怒ると思うよ」

「何したの」

「それは明日話す」

「今!」

「今日は遅い」

「気になる!」

「だから明日も会えるだろう?」

 言われて止まる。

「……ずるい」

「知っている」

「じゃあ明日絶対」

「ああ」

「全部?」

「かなり大きなところまで」

「約束」

「約束する」

 リリアは少し考えてから言う。

「じゃあキスも明日?」

 今度はルシアンが固まった。

「……リリア」

「何?」

「そういう予約をする人は初めて見たよ」

「駄目?」

「駄目ではない」

「じゃあ」

「明日、君が僕の話を聞いて」

 ルシアンの親指が、繋いだ手の甲をゆっくり撫でる。

「それでもまだ僕にキスしたいと思っていたら」

「うん」

「その時は、僕から聞くよ」

「何て?」

 ルシアンが少しだけ顔を近づけた。

 唇が触れるほどではない。

 でも、近い。

「キスしてもいい? って」

 息が止まりそうになる。

「……今聞いたじゃん」

「これは予告」

「ずるい」

「何度目かな」

「いっぱい」

 リリアは顔を逸らした。

 でも手は離さない。

「明日も好きだから」

「まだ明日になっていないよ」

「多分好き」

「多分?」

「絶対」

 ルシアンが笑う。

「楽しみにしている」

「先輩も明日まで好きでいてね」

「それは心配しなくていい」

「何で?」

「明日程度でなくなるなら」

 繋いだ手が、少しだけ強くなる。

「こんなに長い間、君を好きにならないよう苦労していないよ」

 リリアはまた黙った。

「……それ、今日一番キュンとした」

「キュン?」

「気にしないで」

「気になるな」

「秘密」

「仕返しかい?」

「うん」

 二人で笑った。

 その日。

 キスはしなかった。

 抱きしめもしなかった。

 ただ、女子寮の前までずっと手を繋いで歩いた。

 別れる直前。

「リリア」

「何?」

「今日、待っていてくれてありがとう」

「うん」

「会いたかったと言ってくれたことも」

「うん」

「好きだと言ってくれたことも」

 ルシアンは少しだけ笑う。

「多分、ずっと忘れない」

「大袈裟」

「そうかな」

「明日も言うよ」

「何を?」

「好き」

 ルシアンが黙る。

 そして、少し困ったように笑った。

「……本当に、今の君には敵わないな」

「じゃあまた明日」

「ああ」

「おやすみ、ルシアン先輩」

「おやすみ、リリア」

 部屋へ戻ったリリアは、ベッドへ倒れ込んだ。

 恋人になった。

 ルシアンと。

「……恋人」

 口に出す。

 嬉しい。

 ものすごく嬉しい。

 そして明日。

 彼の秘密を聞く。

 そのあと。

「……キス」

 枕へ顔を埋めた。

「予約しちゃった……」

 急に恥ずかしくなった。

 でも。

 やっぱりしたい。

 今のところ、その気持ちは変わらなかった。

 一方。

 生徒会室へ戻ったルシアンは、一人で机の前に座っていた。

 目の前には、一冊の古い記録。

 最初の世界より、さらに前。

 まだリリアという少女が存在しなかった頃。

 そこには、若い自分の記録がある。

 そして。

 自分の魂が二つに分けられた日の記録も。

 ルシアンはページへ触れた。

「……明日か」

 今の彼女に話す。

 最初のリリアが、何から生まれたのか。

 なぜ彼女が自分を愛したのか。

 なぜ自分が彼女を愛しながら拒んだのか。

 そして。

 今のリリアには、その繋がりが一切ないことも。

 怖くないと言えば嘘になる。

 今日ようやく手に入った恋が。

 明日には終わるかもしれない。

 それでも話す。

 今の彼女を、過去の少女と同じように扱わないために。

 彼女が自分で選べるように。

「運命なんてないんだよ、リリア」

 誰もいない部屋で呟く。

 自分と彼女を結ぶものは、何もない。

 魂も。

 神も。

 世界も。

 それでも今日。

 彼女は自分を探した。

 待った。

 会いたかったと言った。

 好きだと言った。

 その事実だけで十分だった。

「だから明日も」

 ルシアンは静かに目を閉じる。

「君が僕を選んでくれたらいい」
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