魔法より、君に恋をする。

第十二章 王子様の名前

リリアがその中庭を訪れるのは、これで二度目だった。

 前回は図書館へ向かう途中で迷い込んだ。

 今日は違う。

 少なくとも本人は、そのつもりだった。

「……たぶん、こっち」

 銀色の方位針を見る。

 学院そのものを登録してあるので、敷地内で目的地を探す役にはほとんど立たない。

 それでも持っていると少し安心する。

 石造りの回廊を抜け、階段を一つ下りる。

 見覚えのある古い扉があった。

 開く。

 柔らかな風が頬を撫でた。

 小さな噴水と、白い花の咲く木。

 人の気配がほとんどない、学院の片隅に取り残されたような中庭。

「着いた」

 今日は迷っていない。

 目的地へ辿り着いたのだから、これは完全な勝利だった。

「……本当に来た」

 声がした。

 木陰の長椅子を見る。

 金色の髪が揺れた。

「レオンハルト先輩」

 レオンハルトは本を膝に置いたまま、驚いたようにリリアを見ていた。

 今日も上着を脱ぎ、制服の襟元を少し緩めている。

 王族として人前に立つ時とは違う姿だった。

「迷った?」

「迷ってません」

「即答だね」

「今日はここに来ようと思って来ました」

 レオンハルトの表情が止まった。

「……僕に会いに?」

「先輩がいるかは知りませんでした」

「ああ」

 少しだけ残念そうだ。

「でも、いたらいいなとは思ってました」

 今度こそ、完全に固まった。

「先輩?」

「……君は」

「はい」

「時々、本当に危ないね」

「何が?」

「分からないならいい」

 最近そればかり言われる。

「隣、座っていいですか?」

「もちろん」

 リリアは長椅子へ腰を下ろした。

 二人の間には一人分ほどの距離がある。

「今日は何してたんですか?」

「読書」

「何の本?」

「歴史書」

「ルシアン先輩もこの前、歴史書買ってました」

「会長と王都で会ったの?」

「はい。セシルとノアと出かけてたら、途中でアレン先輩が増えて、その後ルシアン先輩にも会いました」

「……ずいぶん賑やかな休日だね」

「楽しかったです」

「そっか」

 笑っている。

 けれどほんの少しだけ、声が弱くなった気がした。

「先輩は休日何してたんですか?」

「公務」

「休みなのに?」

「王子には学院の休日は関係ないからね」

「大変」

「慣れてるよ」

 いつもの答えだった。

 けれど、リリアは前に彼が言っていたことを覚えている。

 笑っているから元気とは限らない。

「疲れました?」

 レオンハルトが瞬く。

「少し」

 今度は誤魔化さなかった。

「そうですか」

「それだけ?」

「お疲れ様です」

「頑張れとは言わないんだ」

「前も言いました。もう頑張ってる人に言っても疲れるだけなので」

「覚えてたんだね」

「言ったことくらい覚えてます」

 レオンハルトは目を伏せた。

「……そういうところ、変わらないな」

 小さな声だった。

 リリアは聞き逃さなかった。

「今、何て?」

 レオンハルトの顔から笑みが消える。

「僕、何か言った?」

「変わらないって」

「……僕が?」

「はい」

 本人が一番驚いているように見えた。

 リリアは黙って待つ。

「ごめん」

 やがてレオンハルトが額へ手を当てた。

「分からない」

「また?」

「うん」

 苦笑する。

「君と話してると、時々変なんだ」

「どんな感じ?」

「初めて話してるはずなのに、次に君が何を言うのか知っているような気がする。でも実際に当たるわけじゃない」

「前も言ってましたね」

「それから」

 レオンハルトは自分の胸元を押さえた。

「君が笑うと、安心する」

 リリアは瞬いた。

「それは普通じゃないですか?」

「普通かな」

「嫌いな人じゃなければ」

「……そういう意味じゃないんだけどな」

「違う?」

「ううん。今はそれでいい」

 まただ。

 でも今日は追及しなかった。

 レオンハルト自身にも分からないのなら、問い詰めても答えは出ない。

「先輩」

「ん?」

「それ、怖いですか?」

「それ?」

「知らないはずのことを知ってる感じ」

 レオンハルトはしばらく黙った。

「少しね」

「じゃあ私と会わない方がいい?」

 青い瞳がこちらを向く。

「どうして?」

「私といる時に起きるなら」

「それは嫌だな」

 思っていたよりずっと早い返事だった。

 リリアは目を瞬く。

 レオンハルト自身も気づいたらしく、少し困ったように笑った。

「……ごめん。今のは忘れて」

「嫌です」

「即答だね」

「忘れる理由ないので」

「君は本当にそういう子だね」

 レオンハルトは笑った。

 今度の笑顔は、王子としての綺麗なものではない。

 少し困っていて、少し照れていて、それでも楽しそうな笑顔だった。

 リリアはやっぱりこちらの方が好きだと思った。
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