私ばかりが本気だと思って別れを告げたら、完璧上司の余裕が崩れました【ヒロイン視点改稿版】
 おずおずと呼びかけると、雅芳がゆっくりと振り向く。その表情は少々気まずそうだ。どこかぎこちない仕草で眼鏡を押し上げ、視線を斜め下に逸らす。

「その……急に、すまなかった」

 常に乱れのない口調で語る彼が、妙に歯切れ悪く言葉を詰まらせている。
 その様を佳穂は意外な思いで受け止めつつ、首を横に振った。

「別に、謝られるようなことでは……」

 しかし佳穂のフォローはあまり彼の耳には届いていないようだった。
 雅芳は「ああ……いや、うん」となにに頷いたのかよく分からない相槌を打って、握った拳を口もとに当てる。
 二人の間に気詰まりな沈黙が下りた。

「――とにかく、僕は帰るから。きちんと戸締りはして」
「……はい」
「おやすみ」
「おやすみ、なさい」

 去っていく雅芳を見送ったあと、佳穂は自宅に入り、きちんと施錠する。
 そうして玄関ドアに背を向けたところで、ふと自身の唇に触れる。
 当然ながら、雅芳の唇とは違って、指の皮膚は少し硬い。
 彼の唇は、もっと――と思い返した途端に、先ほどの感触がリアルに思い出されて身体に甘い痺れが走る。
< 20 / 28 >

この作品をシェア

pagetop