愛を失う数時間前【通常版】
「ごめん。ほんとに、ごめん、……まさかフッカちゃんと未知留がこの先会うなんて、思ってなかったし。……だから心から後悔してる」
「……」
優斗の、怒りのような悲しみのような震える声に、風香の興奮が静かに萎んでいった。
「……そっか」
風香は我慢して、葛藤を脇に置いた。
優斗の気持ちも分からないではなかった。
リアルで交わるはずがないと油断していたら、何でも話してしまうことはある――かもしれない。
それにしても……。
風香は次々と湧き上がる疑問に立ち止まる。
未知留はなぜ、友達からさんざん相談された女と親しくなろうと思ったのだろう。
好奇心が刺激されたのだろうか?
仮に、最初の頃は優斗のことを言い出せなかったのだとしても、未知留の元に優斗から不定期にあれほどの手紙が届いていたのだ。しかもその内容には、風香が『知るべき事実』が並んでいた。母の病気のこと、母への誤解が解けるかもしれない“経緯”のこと……。恋人だった風香に、妻になった風香に、それらを伝えない選択肢などあるだろうか。
風香は無意識に考え込んだ。
過去を遡ってみた。
――互いに『家族』への傷と憧れを持っていた分、『家族』についてたくさん話した。
未知留が言えない空気はなかったはずだ。
そして、ここが最も重要なことだった――
“未知留は、私のすべてを知って、私に近づいてきた”
「……ゆっくんが、未知留に私のことを話したことは、もういい、よ」
過去を変えることはできない。
今さら優斗を責めてもどうしようもないことだ。
それよりも……
「ただ、私のせい――で、未知留とは友達じゃなくなった、ってことでしょう?」
切り口を変えて聞いてみた。
どこかにほんのわずかでも、『過去の自分』だけは未知留に裏切られていなかった――、という痕跡をみつけたかったのかもしれない。
優斗は困ったような、悲しいような、複雑な表情をした。
「……どうだろう、未知留が打ち明けてくれてたら、何か違ったかな、とは思ったことあったけど」
「ゆっくんは、私と未知留がつきあったことをどうやって知ったの?」
「友達からだよ。『知ってる? そういえば未知留にカノジョができたってさ』って……、雑談の中で突然、知ったんだ」
「……ショックだった?」
また、他人事のように聞いた。
「正直、心臓が捻じ曲がった感覚だった……かな」
「心臓が……」
「あと、重低音の濁音みたいな大きな音が、耳元で鳴った感じ」
「……そっか」
自分で聞いておいて、返答に困った。
優斗は項垂れて、頷いた。
「俺、未知留のこと恨んだ……、けど、同じ高校に行っただけで、裏切ったって思った自分は、幼稚だったって……うん、今は、思ってるよ」
優斗の声が湿っている。
「それに……未知留の気持ちだけじゃ、つきあうまではいかないだろうし」
「……」
「フッカちゃんにも、未知留を好きになるような、なにかが……あったんだよね?」
「……」
優斗は思いつめた目で風香を見ていた。
「未知留とはどうやって出会ったの?」
「え……」
「未知留とつきあうようになったきっかけとかって……、聞いてもいい?」
答えを待つ優斗から、思わず目を逸らした。
なんとか答えようとした。優斗のために。
けれども疑念を持って過去を振り返ってしまった瞬間から、自分が感じた恋心も、そして未知留からもらった優しさも、なにもかもが空しく思えるのだ。
『運命』のように未知留と出会ったと思っていた。
未知留が、たくさんいる女の子の中から自分を選んでくれたと思っていた。
だけど――――
風香は無意識に頭を振った。
考えを纏めようとするそばから、隙あらば未知留と花音の裏切りが脳裏に現れた。
「――あ、ごめん、踏み込み過ぎだよね」
風香が黙ったせいで、優斗が気を回した。
「えっと、コーヒー! おかわり、どう? あ、紅茶とか、違うものにする? ――って、紅茶はどこにあったかなあ」
キッチンへ向かった優斗の背中に「もう、大丈夫だよ」と強めに言った。
優斗が振り返った。
「いろいろありがとう。そろそろ帰らなきゃ」
風香は立ち上がった。優斗が慌てたように戻ってきた。
その唇が開きかけている。
何か言いたそうだったけれど、またここから会話が始まらないように、風香は俯いて髪の先で表情を隠した。
「フッカちゃん、その……また会える?」
コートを着ている後ろで優斗が言った。声が震えていた。
風香はそろりと振り返った。
目の前にいた優斗を見上げる。
「――ようやく俺のこと、ちゃんと見てくれた」
「!」
優斗に言われて初めて、そのことに行き着いた。
「……そう、だね」
勝手に訪ねてきて、質問ばかりを向けて、優斗の語る過去に苛立った――そんな自分が恥ずかしく、情けなくなった。
「また会おう」
優斗のために言ったはずが、自分の中の何かが揺さぶられた。
……これは、なんの感情?
ただ、その正体を突き詰める余裕はなかった。
連絡先を交換し、今度こそ優斗をまっすぐに見上げて、別れを告げた。
外には、冬の晴れ間が広がっていた。