愛を失う数時間前【通常版】
05 自分だけが知らなかったこと
「俺と未知留の……、どうして?」
探るような視線だった。
いまさらそんなことを聞かれれば、不思議に思って当然だろう。
風香は目を伏せて言った。
「最近までふたりが友達だったって、私、知らなかったから……今からでも知りたいと思って」
「……」
優斗は考え込むような表情になった。少し黙ってから、慎重な声色を向けてきた。
「もしかして、未知留から俺のこと何も聞いてないの?」
「うん」
正直に答えた。
「……」
「……」
今度は少し長く沈黙が訪れた。その間に風香は、冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
手持ち無沙汰で、視線を泳がせる。
壁の時計が止まっていた。
「未知留とは中学で同じクラスだったんだ」
優斗が話し始めた。
風香は頷きながら、隣に座っている優斗の、大きめの手を見る。
「ちょっと仲良くなったあたりに、俺の反抗期を『平和だ』なんて言ってきて。ムカついて、喧嘩したんだ」
「喧嘩って、どんな……」
風香は耳を疑った。
――あの未知留が、他人と喧嘩を?
にわかには信じられない話だった。
『未知留』は普段、他人とは表面的な付き合いしかしない。誰にでも親切で優しいけれど、心は絶対に開かない。未知留が他人の前で感情を爆発させたことなど、風香が知る限り一度もなかった。
「殴り合ったりはしてないよ、その手前ぐらい」
優斗は慌てたように付け加えた。
「あとから知ったんだ。未知留は妹へのストレスで病んでたって。お互い鬱積した感情がたまりにたまってた。それを吐き出しあって、お決まりだけど、それから仲良くなったんだ」
「……」
花音のことが原因だと知り、心の底に溜まっている淀みが揺れ出す。
「未知留とはいつから会ってないの?」
混乱の中で聞いた。
「中学卒業してから、かな。フッカちゃんと付き合ってるって知ってからは、なんとか会おうとしたんだけど――言い訳でもなんでも聞きたくて――、けど、無理だった」
優斗は両方の指で額を押しながら言った。
そのしぐさには動揺と後悔が垣間見えた。
「でも、フッカちゃんがあの高校受験すること話したの俺だし……、俺が受験できるレベルじゃなかったのが悪いんだし……、自業自得だから」
「……えっと」
ふと、疑問が生じた。
「――ねえ、ゆっくんは、どうして私が行く高校を知ったの?」
優斗は、あ、と指先で唇に触れてから、大きな肩を下げて言った。
「フッカちゃんの新しいお母さんが、定期的にフッカちゃんの近況を教えてくれてて」
「は……、なにそれ」
風香は信じられない思いだった。
「あの人、夫と不倫した女から、置いてきた子供の報告受けてたの?」
心の中で言ったつもりが声に出ていた。
「……フッカちゃんのお父さんが不倫してたのは、別の人だよ」
「えっ? 今なんて?」
「その人と別れてから、今の奥さんと出会ったって聞いたけど……」
「……」
言葉が出なかった。
風香は疼くような頭を手の甲で支えた。
……どうしてこんなに重要なことなのに、私は覚えていないのだろう?
「フッカちゃん……」
優斗が心配そうに風香を見ている。
「……」
その眼差しが澄んでいて、風香の荒む心をかき乱した。
なぜなら、自分をみつめる優斗の深く切ない眼差しは、過去誰からも向けられたことのないものだと気づいてしまったからだ。
本当ならば、恋人だった頃の未知留に……、夫になった未知留に……、向けられているもののはずなのに……
その記憶が、風香にはなかった。
「――とにかく」
風香は優斗の視線を遮るように俯いて、その頬を髪の先で隠した。
「私の日常生活は、あの人とゆっくんに筒抜けだったってことだね」
葛藤を脇に置き、なんとか会話を戻した。
記憶にない過去も、振り返る過去も、現実も、すべてが深く絡まって頭の中がパンクしそうだった。
けれどまだ聞きたいことがある。
……でも、聞くのが、怖い。
絶望を、これ以上重ねるのが怖い。
「……フッカちゃん、ごめん」
「……どうして謝るの。君が悪いわけじゃないのに」
「そうだけど」
「……」
はあ――
風香は頭の中で、大きな息を吐ききった。
優斗の『ごめん』が、風香のプライドを刺激した。
同情されたくなかった。
「――で、私のことを未知留に話したんだよね?」
風香は感情を殺して軌道修正した。
「あ……、うん」
優斗が、風香の言葉尻の強さに狼狽えているのが分かった。だがそのまま続けた。
「未知留にはどこまでのことを話したの?」
当初の目的通り、未知留が自分の何を知っているのかを探った。
優斗は視線を床に落としたまま、呟くように言った。
「えっと、ほぼ全部、かな」
「全部って?」
「親の不倫とか、再婚とか……俺たちの“約束”とか、その他にも……いろいろ」
「っ!」
そんな私的なことまで……
思わず、羞恥心で体温が上がった。