愛を失う数時間前【通常版】
11 偽りのキスの温度
食べながら、風香は切り出した。
「ゆっくん、お願いがある」
「うん。いいよ」
まだ何も言わないうちから優斗が即答した。
「……今度、未知留がいない日にうちに来てほしいの」
少し言いよどんで、一気に言った。
「!」
期待に応える顔つきだった優斗はオムライスをスプーンに乗せたまま数秒固まった。
「無理?」
「そんなことないよ、もちろん行くよ」
と言いながらも優斗の戸惑いが伝わってきた。
口元は咀嚼のために閉じられたままになった。夫不在の家へ招かれる意味を考えているのかもしれなかった。
「実は、ゆっくんには私の恋人のふりをしてもらいたいの」
「!」
風香の願いに、優斗は打たれたような顔をした。
「ダメかな?」
このくらいの頼みなら多分断らないだろう――という風香の予想通り、優斗はすぐに答えをくれた。
「ダメじゃない。やるよ」
そのふたつ返事に復讐心が励まされた。
今回の計画は準備に過ぎないけれど、初めの一歩だから。
「具体的にはどうするの?」
「……ずっと前から付き合ってるってふりをしてほしい」
「うん」
「好きとか、愛してるとか、そういう言葉も使ってほしいかな」
「うんうん」
「あとは、私が渡す『台本』通りに会話してほしい」
「わかった」
「……」
優斗はなんでも受け入れようとしていた。
「……理由は聞かないの?」
風香は探るように優斗を見た。
聞かれてもはぐらかすつもりなのに、優斗のことが心配になる自分は滑稽だ。
優斗は首筋を触りながら笑った。
「そりゃ、気になるけど、フッカちゃんが言いたくなったときでいいよ」
「……」
――なんてお人好しなんだろう。
風香は僅かな罪悪感の隙間から、優斗に笑顔を向けた。
「じゃあ火曜日は空いてる?」
未知留がその日出張する。今回、本当に仕事のようだが、これを利用しない手はなかった。
「火曜日……」
優斗の眉がやや下がったところを見ると予定がありそうだが、優斗は軽やかに「大丈夫!」と言い切った。
それから一時間ほどかけて、具体的な計画を話し終えた。
「俺、頑張る!」
優斗は拳を振った。
「あとさ、始める前に他の部屋を見てもいい?」
「家の中?」
「うん。未知留と友達だった頃、“古くて白い洋館”って聞いて遊びに行きたくて何度も催促したんだけど、結局誘われなかったから」
未知留は他人との線引きが激しい。だから当然のことだ。
「全然いいよ。あとで簡単な間取り図も用意するね」
「やった!」
「その代わり、さっきも説明したけど盗聴器があるし、義妹もいるから、無言でお願いね」
盗聴器は『未知留が仕込んだ』と勘違いしているかもしれないな、と思ったけれど、訂正はしないでおいた。
「楽しみだな。その日は俺、フッカちゃんと“ラブラブ”なんだよね」
突拍子もない頼みなのに優斗は嬉々としている。
「しかも俺たち“ずっと恋愛してた”って設定なんでしょ。嬉しいなあ」
「……」
優斗の楽しそうな表情をまじまじと眺めてしまった。
「ん? どうかした?」
「あー、なんていうか、ゆっくんって不思議な人だね」
「えっ、俺にちょっと興味出てきたの?」
身を乗り出す勢いの優斗を、両手を使って静止する。
「……そうじゃなくって、こんなメンドクサイ頼み事に文句も言わずに乗ってくれるから」
「はは」
優斗は弾けるように笑った後で、真面目な顔をした。
「フッカちゃんのお願いだからに決まってるでしょ」
「……」
風香は瞬きをした。
荒んでいる心に不思議な清涼感が一瞬、訪れた。
さわさわと肌を撫でられているような、甘い何かを口いっぱいに頬張っているような、遠すぎる昔に経験した気がするそれら――そんな空気感に風香は一時だけ包まれた。
+ +
未知留を出張へ送り出した数十分後、近くで待機していた優斗を家の中へと招き入れた。