愛を失う数時間前【通常版】
「ゆっくん、今日は本当にありがとう」
一緒に家を出て、優斗を送っていく道すがら謝った。
「面倒なこと頼んでおいて今更だけど、ごめんね」
「全然だよ」
優斗は屈託のない笑顔に戻っていた。
「フッカちゃんのためなら、喜んで」
優斗は質問ひとつしなかった。
「……なにか美味しいものでも奢らせて」
自分には結局、この程度しかできることはなかった。
「それとも『物』がいい?」
「――じゃあさ」と優斗は冬空を仰いでから、言った。
「これからも会ってくれる?」
「……ええと」
風香は口ごもる。
無意識に歩く足が遅くなった。
「……それは望みすぎか」
歩幅を合わせてくれる優斗の寂しそうな声に慌てた。
「そうじゃなくて」
風香は正直に告げた。「あの家を出るし」
「フッカちゃん、離婚するの?」
優斗が探るように聞いてきた。
風香は頷く。
「そうだったんだ!」
優斗の声が大きくなった。
「……って、フッカちゃんの不幸を望んでいるわけではなくて」
ガッツポーズを作ってから、優斗は慌てたように取り繕った。
「フッカちゃんは若いんだから、全然人生やり直せるしっ」
「はは、うん」
同い年の優斗に若さを説かれて、可笑しくなった。
「仕事は続けるの?」
「ファミレスには年内で辞めるって言ってあるよ」
今年中に決着をつけると決めている。それ以上は、心が持たない。
「よかった。この前シフトのこと聞いて心配だったんだ。女の子が夜中にひとりで歩いて帰るとかありえないだろ。なにかあったらどうするんだよって」
「……そう、だよね」
住宅街とはいえ街灯のない細い道もある。
未知留から「家から近くてよかった」と送り出されても、いつも夜道は怖かった。距離と安全がイコールじゃないことぐらい、とっくに気づいていた。
「仕事、一緒に探すよ。どんなことがしたい?」
「どんなこと……」
思わず顎に手を添えてしまった。改まって聞かれたら答えられなかった。
優斗が「気に障ったらごめん」と前置きをした。
「フッカちゃんは子供の頃、色に興味があったよ」
「!」
また風香の意識の奥底にある何かが刺激された。
「俺が絵を描いて、フッカちゃんが色を塗って、ふたりで完成させてた」
「……」
「あっ、覚えてなくても全然、責めるつもりじゃなくて……」
優斗の焦りに――、これまでの自分の態度を思い起こした。思い出話が不快だったのは自分側の問題だ。
「もっと詳しく聞いていい?」
謝る代わりに言った。
「もちろんっ」
頷く優斗の背後に光のようなものが見え――、目を細めたら雪だった。
この冬初めての雪が、風香と優斗の上に降った。