愛を失う数時間前【通常版】
12 奪われたものを取り返す前に
家に居たくなくて、少し早くファミレスへ出勤した。
最近はずっとそうだ。
――「あ、由真ちゃん、今休憩?」
スタッフルームにいた由真に『お疲れ様』の挨拶と共に言う。
「うん。今日はめっちゃ暇で、休憩が前倒しになったよ」
時計は十四時前だ。
「っていうか風ちゃん、最近出勤、早くない?」
由真とはシフトが重なる数時間一緒に働く。
基本は由真が午前から夕方、風香が午後から夜。
「辞めるからって、気を使って働かなくてもいいのに」
「はは……」
風香は曖昧に笑った。
「風ちゃん、もしかして離婚するの?」
由真が、誰もいないスタッフルームで声を落とした。
「あ」
勘のいい由真は、これまでの会話を覚えているのだろう。
――将来、夫とカフェをやることになって。だからここで大手のノウハウを学ぶことにしたんだ。
――夫婦でお金を貯めないと! 社員になれればボーナスや昇給や保障があるじゃない?
ここで働くことは夫の意思だと、由真には話してあった。
だからここを辞めるということは、つまりは――。
「実は、そうなんだ」
風香もこそりと答えた。
「やっぱり。なんかそんな気がした。円満離婚?」
「……」
言葉に詰まった。由真はすぐに察したようだ。
「浮気――とか?」
「はは……まあ、そうだね」
離婚と聞けば、誰もが真っ先に頭に浮かぶ原因だろう。
「慰謝料とかいっぱいもらわないとね」
「……」
なぜだか由真が怒っている。
「……私がもらう側って、思う?」
「あたりまえじゃん! 夜の時間で働かされて家のこともやらされて、自分の時間もない。こんなに頑張ってきた風ちゃんに、なんの落ち度があるのよ!」
……。
自分の代わりに声にしてくれた由真に、胸が小さく震えた。
「あ、でも内緒にして……。夫はまだこのこと知らないの」
「!」
由真が分かりやすく驚いた。
「もしかして旦那さんから逃げたいの?」
「……うん」
復讐が先だけど。
心の中で言う。
「ねえ、風ちゃん。私、今まで言わなかったけどさあ」
「うん?」
「風ちゃんの旦那さん、一回ここに来たじゃん」
「あー、うん、来たね」
風香は『その一回』を記憶から取り出して、頷いた。
あれは風香が働き始めて少し経った頃だった。
――風香の働く環境を確かめておかないとね。
確か、そんなことを言った。
風香はそれを『愛情』だと思い込んだ。
「あの時さあ、風ちゃんの旦那さんがかっこよくてみんなびっくりしてたじゃん」
「……うん」
未知留はどこへ行っても人からの視線を浴びる。出会った頃からそうだった。
「だけど笑ってるのに笑ってない――みたいな目をしてるよね。ファミレスの中とか働いてるみんなのこととかも、じいっと観察してる感じだったし。そうそう、スタッフルームまで見せてほしいっていってきたよね」
由真は無意識に肩を縮めた。
「目つきがさ、なんかちょっと『蛇』みたいって、思ったんだよね」
……!
由真に言葉にされて初めて、その表現になんの違和感もないことに気付かされた。
背中の汗がひやりと意識に届いた。
「あれって独占欲っていうより監視っぽかったから、ちょっとヤな感じがしたんだよね」
「由真ちゃん……、君は本当にするどいね」
思わず由真を肯定した。
由真は「でしょでしょ」と自分の観察眼に頷いているが、風香は恐怖を感じずにはいられなかった。
……未知留は常に私の行動や周囲を見張ってた……。
「私は風ちゃんの味方だよ。逃げるなら協力するからね。だってあの旦那さん、簡単に別れてくれなさそうだもん」
由真の言葉に、ばくん、と胸が波打った。
――そうだ、だから復讐と同時に証拠を集めることにしたのだ。
実の妹との関係を別れの取引にするために。
「なにかあったら……よろしくね、由真ちゃん」
「うん。もちろん! まかせて」
由真を巻き込むつもりはない。
……だけど心の中で、私にも味方がいるって、勇気をもらってもいいよね。
風香は着替えを済ませて、休憩が終わった由真とともにホールへと出た。