愛を失う数時間前【通常版】
番外編

14 ※優斗編 オムライス(上)


 

 だいぶ昔に、心の整理をつけたつもりだった。
 ……フッカちゃんが未知留と結婚したと聞いたときに。
 
 なのにあの日、フッカちゃんを前に一瞬にして気持ちが戻った。彼女の憂いを帯びた表情がつんと澄ました子供の頃の面影と重なって、体温が一気に跳ね上がった。



 ――あの日の俺は、前日までイラストの仕事で一週間ほど出歩いていた。
 
 家に戻って泥のように寝て、寝すぎて重くなった頭でぼんやりメールチェックをしていた。インターフォンが鳴って、ああメンドクセー、と思いながら階段を下りてドアを開けたんだ。

「フッカちゃん?!」
 思わず疑問形になったのは自信がなかったからじゃない。俺がフッカちゃんを間違えるはずはないから。
 これは『妄想』なんじゃないかと、俺自身の脳みそを疑ったんだ。


 フッカちゃんは子供の頃から大人びた女の子だった。
 同じ年なのに年上みたいに頼りになって、彼女の言う通りにすれば目の前のことはだいたいうまくいった。
 俺は忠犬のように、いつもフッカちゃんのそばにいた。
 俺はフッカちゃんとふたりだけでいたかった。誰かが俺たちの間に入ってくると牙を向けた。そのたびにフッカちゃんが『みんなで仲良く!』というから仕方なく言うことを聞いて――こっそり、拗ねる――を繰り返していた。
 俺がいじけているとフッカちゃんはすぐに飛んできてくれた。
 フッカちゃんにとっても俺は『特別』だと分かる瞬間が、本当に嬉しかった。
 
 プロポーズは何度もした。
 そのたびにフッカちゃんは「いいよー」と軽く返してくるから、忘れないように繰り返し念を押した。
 フッカちゃんは言ったっけ。
「ゆっくんはなきむしだから、フッカがけっこんしてめんどうみてあげるの」
 その頃の俺は、嬉しくても、悔しくても、すぐに泣いていた。――あ、今もそれは変わらないか。
 とにかくフッカちゃんは、一生俺の側にいると約束してくれた。

 そんな楽しい日々は、突然終わった。
 俺たちの親が結婚することになったからだ。
 
 俺たちは離れ離れになった。
 だが春休みのように癇癪を起こすことはなかった。
 おやじに、『フッカちゃんは大切なお母さんをおまえにあずけたんだ。だからちゃんと言うことを聞いて、良い子にならないと』
 そう言われて。
 ……本当に仲の良い母娘だったんだ。
 そんな大好きなお母さんをフッカちゃんは俺のところへ『送った』――と子供だった俺は解釈した。
 いつか俺たちが結婚するまで、俺が暴れないように……
 単細胞だった俺は、おやじの言葉をそう変換したんだ。

 ――あの頃のフッカちゃんが年相応に幼かったら、俺もそんな風に彼女のことを買い被ったりはしなかったのかもしれない。今となっては結果論だが。
 
 正直、親が再婚したぐらいでフッカちゃんと二度と会えなくなるなんて、俺は考えてもいなかった。
 それはフッカちゃんのお母さんも同じだった。
 いくら親権を渡したとはいえ週に一度――、最低でも月に何度かは会わせてもらえると思っていたんだ。だけどフッカちゃんの父親は、お母さんの願いを無視し続けた。
 そんな状態のままフッカちゃんの父親が再婚した。
 大人たちは話し合いの末、新しい家族と馴染めないフッカちゃんのために、俺たち家族とは交流しないことを勝手に決めてしまった。フッカちゃんの成長記録だけは送る、という条件で。

 送られてくる写真の中のフッカちゃんはいつも笑っていた。幸せそうに――見えた。
 写真を指でなぞって、寂しい気持ちを耐えた。
 その時から俺はフッカちゃんの絵を描き始めた。写真はお母さんに渡ってしまう。俺の手元に残すにはそれ以外に方法がなかったし、描いた彼女は俺だけのものだから。

 中学生になり、一緒に暮らす連れ子同士でも結婚できる方法があると知った。
 興奮しながら親に教えた。ふたりはすでに知っていた。
「いつまで子供の頃の楽しい思い出を引きずるんだ?」
 父親は信じられないことを口にした。世界が敵になったような――裏切りだった。
「……約束が、違う」
 俺の体も声も怒りで勝手に震えた。
 おやじは取り合ってもくれなかった。
「家族で結婚? みっともない」
「問題ないだろっ、血が繋がってないんだからっ」
「おまえが良くても世間の目にフッカちゃんに耐えられると思うか?」
「は……」
 二言目には「フッカちゃんが――」と彼女を持ち出して俺をあきらめさせるやり方を、心の底から汚いと思った。
 思春期だった。
 
 進路の時期になっても未来は色褪せて、勉強にも身が入らなかった。
 何度もフッカちゃんに会いに行こうとした。
 でも、どうしてもできなかった。
 親たちは家庭裁判所に面会制限の書類を提出し、合意を交わしていた。
 その効力は『子供が成人するまで』。
 親にも言われていた。――破ったら一生会えなくなる、と。
 
 当時の俺は、この理不尽な現実に翻弄され荒れていた。 
 誰彼構わず難癖をつけ、喧嘩を吹っ掛けて歩いた。
 そんな時だった。どうしようもない俺に未知留が声をかけてきたのは。
 
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