愛を失う数時間前【通常版】
15 ※優斗編 オムライス(下)
正直、舞い上がりすぎて会話の内容がほとんど頭に残っていない。
ただフッカちゃんが俺に対してよそよそしくて、目線も合わなくて……、ああ、これは会えなかった月日のせいなのかなと悲しくて――。そしたら、フッカちゃんに『記憶がない』ことが分かった。
幸せだった過去を消してしまうほど、あの頃フッカちゃんを傷つけたと気づいて俺は……拗ねて泣いて、暴れた自分を過去に戻って殴りつけたいと思うくらい後悔した。……それなのに、フッカちゃんが俺に会わずにいられたことが記憶障害のせいだと知って、……ほっとしてしまった。フッカちゃんの心の傷を思ったら、そんな単純な話じゃないのに――。
あの日の俺は、感情がアップダウンして頭がパンクしそうだった。
だからこの再会の日、俺はフッカちゃんの“異変”に気づくことができなかった。
駅ビル内のイタリアンカフェでフッカちゃんと会ったときも同じだ。
『まるでデートだ』と、ひとりで舞い上がっていた。
開いたメニュー表の中にオムライスをみつけた。
子供の頃、フッカちゃんとふたりでお母さんにせがんでよく作ってもらってたなあ、と懐かしくなった。
……そうだ、オムライスを注文してみよう
もしかしたらフッカちゃんの記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないし。
――と考えていたら、フッカちゃんが『オムライス』と口にした。
「……」
俺は、胸が熱くなった。
俺にとってオムライスは特別な食べ物だ。
お母さんはフッカちゃんと離れ離れになってからオムライスだけは作らなかった。俺も、オムライスだけはどこへ行っても食べられなかった。
ああ、フッカちゃんの潜在意識は『お母さんのオムライス』を覚えているんだ。いつか、俺と一緒に食べていたことも思い出してくれるかな……、
単純な俺は、その願いが叶わないはずがないと思った。
このまま俺と会い続けたらいつかすべて思い出すに違いない――、フッカちゃんが俺に会いに来て、記憶にないのに「ゆっくん?」と呼びかけてくれたように。
――よし。
使命感と焦燥に突き動かされた。
だけどそんな風に浮かれきっていた俺も、フッカちゃんの涙を見て――我に返った。
ただごとじゃないと、気付いたんだ。
フッカちゃんは“助けを求めている”って。
だったら俺のやることはひとつだ。
俺はもう、あの頃みたいに無力な子供じゃない。
そこからは、フッカちゃんの細かな表情や言動に神経を張った。
何が彼女をこうも追いつめているのか知らなくてはならない。
フッカちゃんに頼まれて『恋人』のフリをした。
フッカちゃんを抱きしめて見つめ合い、その手を取って、その名を呼んで、キスをして――ああ、やっぱり彼女は俺のだ……
揺るぎない自分の気持ちと共に確信した。
声も唇も、抱きしめた感触も全部俺に馴染んでいる。そんな相手がこの世に二人といるはずがない。――取り戻したかった。
フッカちゃんが未知留と離婚するつもりだと知り、俺もここから先は我慢しないと決めた。
芝居を打った内容から想像できることは、未知留は浮気をしているらしい――、ということと、まだ未知留に離婚を切り出していない――、ということぐらいだった。
フッカちゃんは離婚の理由を語らなかったし、俺もフッカちゃんが言いたがらないことを無理矢理聞けなかった。
そんなフッカちゃんの意思を尊重しつつ、俺を頼ってくれるようにそばにいて、必要な時にアシストしよう――と決めた。
次の日、フッカちゃんに会いに行った。
最初から隠れるつもりで向かったわけじゃなかった。フッカちゃんを家から職場まで送っていき、その短い時間だけでも話したいと思ったんだ。
「――いってきます」
壁にもたれていると、フッカちゃんの声が小さく聞こえてきた。
俺は耳を澄ました。
「今日は少し暖かいね」
未知留の声もした。
――ああ、そうか、昨日は出張だったから直帰して、今日はこの時間に家にいるのか。
俺は、『雨宮家』の間取り図を頭の中で広げた。
玄関の右側にリビングとキッチン、左側に寝室……
「気をつけて」
未知留の声に、フッカちゃんが「ありがとう」と答えている。
「……っ」
ふたりが向き合っていると知るだけで、悔しくなった。
今の俺はフッカちゃんが離婚すると知っている。そのせいか、そんな権利もないのに独占欲が湧き上がった。飛び出していって「フッカちゃんはおまえと離婚するんだ!」と言ってやりたくなる。
……頭の中の喧騒をそのままに、俺は壁から背を離してフッカちゃんが敷地の外へ出てくるのを待った。
「?」
だがドアが閉まる音はしたのに、フッカちゃんの足音は聞こえてこなかった。
そっと覗いてみると、フッカちゃんの背中が見えた。
壁伝いに『中庭』の方向へとゆっくり進んでいく。その慎重な足取りに、俺はピンときた。
……もしかしてフッカちゃんは、未知留の浮気を疑ってるのか?
これから浮気相手を呼ぶかも……って?
分からないが……、とにかく、フッカちゃんが疑念を持って動いていることは見て取れた。
俺は少し迷いながらも門をくぐった。